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授業を中断する教師をどう思いますか
自分が子供の頃の話なのですが、公立小学校で、授業中に生徒の態度が悪いと先生が怒って授業を中断して職員室に帰ってしまうことが何度かありました。 そういうときは、思慮分別のある生徒が職員室まで行って謝って先生を連れ戻していました。それでも数十分は確実にロスです。 授業に集中しない不真面目な生徒も悪いと思うのですが、一部の落ち着きの無い生徒のせいで、他の大人しい生徒まで教育を受ける機会を逸してしまうのは理不尽ではないかと思いました。 これは仕方の無いことなのでしょうか、また、教師の行為は職務怠慢にならないのでしょうか。
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No.2です。 学習意欲に関してですが、学校で教えても家庭の状態によっては子供が「無理だから」「出来ない」と言った親の言葉を学校に持ってきていることがあります。すでに諦めムードなんですね。講演会で学校の先生なんですが、やる気を持たせようとしているけれど、大人が夢を持たなくなって、無理などという愚痴を出しているのではと思います。 個人差で言えば、大人社会になって、みんな同じ考え方、同じような能力を持っているわけでもありません。個人差があるのが当たり前なんです。まずそれを認めないとグループとしてのまとまりが無くなります。まず、問題を起こす子供がなぜそうなるのか、先生が見つけられたらいいのですが、それが出来る先生も少ないみたいです。でも作文を通して子供も気持ちなどを探っている先生が居ます。そういった先生の話では家庭での問題が学校に、以前にいじめられた経験からいじめているなど何らかの原因があります。そしてその問題は多くの子供が知ることで、実は私も、僕もという共感する部分が出てきます。それにより子供たちで考えて,その子を認め、仲間に成っていきます。 子供たちは仲間に成りたいのです。そのための行動が攻撃的であったりするのです。 学童、小学校と子供を通わせていますが、この仲間作りが出来ると全体としての強さが良く出てきます。 先生は子供たちにアドバイスが限界です。家庭での指導が一番大切なんです。もと小学校の先生ですが先生も親も必死な状態。ゆとりがないそうです。そのゆとりの無さが子供にも伝わっていると言います。その先生は講演会で大人気の方ですが、子供の自主性を大切にされていました。そこでは自分たちで考え出来ない子供でも大丈夫なような取り組みでした。そこでは誰もが「認められる存在」に成っているようです。 出来ない子供を認めないのではなく、「認めること」何です。これが分からないうちはトラブルが出てきますね。学童でもそのあたりをしっかりと指導しています。認めることで不思議とまとまり、全体として強くなるのです。 子供は常に自分の居場所を求めています。そしてその居場所は自分を認めてくれる人が居るところです。認めてもらえることで他人も認める力も出てきます。
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- kyo-mogu
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学校は授業だけの世界ではありません。人とのつながりなども大切にしています。クラスでまとまっていないという状態が問題だと思います。不真面目だからと切り捨てるのが良いみたいに聞こえます。 いろんな生徒がいます。生徒の自主性を高めることで教師が言わなくてもクラスがまとまっていきます。このクラスがまとまることを願っての退出だと思います。生徒同士が注意しないなどの問題。学年がわかりませんが高学年であれば自分たちで勉強を出来るように注意し合うのが大切なんです。 たしかにまじめな生徒にとっては理不尽かもしれません。でも生徒自身で話し合い、不真面目な子供も授業に参加出来るようにしていけば、子供は成長します。そういった事も期待していると思います。 先生が何かをするほうが楽かもしれません。でもいつでも先生がいるわけでもありません。 私の小学生時代でもありましたよ。先生が出て行くというとんでもない事だと、その時に子供は理解するのです。 職務怠慢とは思いませんね。ただたばこを吸いたいとか先生の個人的な理由は怠慢だと思いますが教育の中の一場面だと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 先生の意図は想像がつきますが、私は先生が出て行くだけでは問題の解決にならないと考えます。 以下に述べるのは個人的な見解です。 その理由の1つが児童の学習意欲です。 私の頃の小学生(この場合は3年生の頃)は、学習する意義、つまり、 社会で生きていくために必要な一般教養を身につける事や、将来の職業で必要になる技能の基礎を築く事など、を具体的にイメージできていない子が多かったです。 必要性を感じなければ学習意欲が湧かないのは無理もないことです。 2つ目の理由が、児童の性格の個人差です。 同じ学年でも勉強熱心な子と遊び好きな子がいます。 怒って授業を中断することで、前者はその意味を理解して反省すると思いますが、後者は反省できるとは限らないと思います。 『授業中に行儀よくしていないと先生が出て行く』=『嫌いな勉強から解放される』という悪知恵を付けて、 わざと授業を妨害するようになるケースもあるからです。 腐ったミカンですね。 前者と後者を同じ方法で教育する事に無理があるかと。 色々言いましたが、如何でしょうか?連帯責任的な教育についての問題提起をしました。
- seiiiichi
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私は教師の意識と程度の問題かと思います。 教師の(特に小学校の)役割は教科の授業だけでなく、 生徒の人間性の教育も大きく含むと思います。 この場合は教師が怒って職員室に帰ることによって、 「授業中の態度を自分で考えて見直せ」ということを分からせたり、 「一部の生徒の態度が他の生徒にまで迷惑をかける」ことを分からせたり、 生徒たちで先生に謝りにいく方法を話しあったりすることで 問題解決やコミュニケーション方法を学ばせる意図があると考えます。 (もちろん、本当の意図するところは教師しか分かりませんが。 もしかしたら、ただ面倒臭くなっただけかもしれません) ただ、そういう意図があったとしても、授業を中断することがあまりに多いと それはやり方を考えた方がいいのでは?と思います。 それは、真面目な生徒への不利益以外にはなりません。
お礼
ありがとうございます。 確かに小・中学校は人格形成の基礎となる大切な時期ですね。 当時の自分にも「クラスの生徒同士で反省させようとしてるんだな」とは想像できましたが、 授業放棄が本当に効果があるなら2~3回ぐらいでみんな態度を改めそうなものなのに、 相変わらず毎週のように起こることなので、「他に方法はないのだろうか?」とも思っていました。 (今回こういった話題を挙げたのは、最近になって小学校の教員採用試験に興味を持ち、 教師の理想像について考えるようになったからです。)
お礼
大変遅れてすみません。 ありがとうございました。