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選手のダメだしっていうのはない
オリンピック中継の視聴者からの応援メッセージって言うのは、いつもいつも同じようなパターンですよね。 勝ったら、 「よくやった、立派、すごい、感動した」 負けたら 「残念、頑張った、よくやった」 どっちにしても、否定的とかもっとできたはずとかいうものは、あるのかもしれないけど採用されないようです。 だから、結局そういう「肯定的」以外は認めない、というお約束があるんだなぁと感じるわけなんですが、これって、しょうがないことなんでしょうか?もうちょっと柔軟性があってもよくはないんでしょうか?
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- buck
- ベストアンサー率14% (97/678)
応援メッセージとしては、"なし" ということでしょうね。 五輪後、各競技団体、JOCでそれぞれ総括がされるでしょうが、その場合は、"あり" 。 以上、憶測になりますが。
- yoshinani
- ベストアンサー率61% (8/13)
オリンピックに限らないと思うのですが、 とりあえず「もっとできたはず」は、私も「そりゃないだろう」と思います。 だって、国の代表になるまでに何年、何十年と一生懸命ひとつの競技を 練習してきた人の努力なんて、一般人の自分にはとうてい想像がつきません。 ルール変更、プレッシャー、体調管理、モチベーション、平常心… 文字で書いてしまえばかんたんですが、私達には想像もつかないような 苦しみと努力の上に、オリンピックという一発勝負が待っているんでしょう。 そんな人たちに、たとい過去のタイムや成績より順位が悪かろうと 「もっとできたはず」なんて、私だったら言えないし、そういうコメントは発表できません。 福原愛ちゃんが、 試合中に「がんばれ」って言われると、勝ってても負けてても「こんなに頑張ってやってるのに、頑張っていないように見えるの?」とちょっと残念な気持ちになると言っていました。 全然レベル違いますけど、私も仕事で必死だった時に「頑張れ」って言われて「これ以上何を頑張るの?」と驚いた事があります。 まあ、表現が違いますが、そんなものかと思います。 並大抵でない努力をしてきた人たちに「もっとできたはず」というのは、柔軟な意見を取り入れたのではなく、無神経か思いやりが無いように感じます。 人それぞれですけど><
お礼
とてもためになるお話、ありがとうございます。 本当にあの人たちは大変な苦労をしてあの舞台に上がっている、ということはよくわかってる人はわかっているでしょう。だからこそ選手のん人間的な心理状態というのも加味して投稿してほしいなぁなんて感じます。現状ではやっぱり表面的な応援が多いですよね。製作するほうもそれを望んでいる気がします。 福原愛と、仕事関係の話しは本当にそう思いますよ。 気軽に限界まで頑張っている人に「頑張れ」なんて軽薄で思慮不足な言葉ってずれていると思います。もちろん、言っている本人にとってはそんなこと言われたら心外なんでしょうけども。 なかなか、この辺の、大衆的なレベルの人が、とんでもない重圧のかかったアスリートにコメントすると言うことは本来おかしいんですよね。そのおかしなことをあたかも当然のように演出している、という茶番があるきがしますよ。
- popodon
- ベストアンサー率48% (27/56)
「メッセージ」じゃなくて 「応援メッセージ」ですから当然な気がしますが。 いかがでしょう?
お礼
そうですね。私もそういう「条件」のコーナーらしいなと思っています。
お礼
ありがとうございます。