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人と比較してしまう
自分はよく人と比較してしまい、落ち込むことが多いです。 あまり比較をしないほうがよいといわれて実行したいのですが、なかなかできません。 1.少しずつ他人と比較しないようにしたいのですが、何かよいアドバイスないでしょうか? 2.他人と比較した場合、落ち込むのは捉え方次第といわれていますが、どのように考えればプラスに捉えられますか? (例えばテストを受けて相手の方が合格して、自分が不合格だった場合なんで自分は駄目→どのようにプラスに捉えればよいでしょうか) 自分だけでは解決できなかったので、助けをお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
人と自分を比較する時は相手のことが普通よりも良く見えるものだと思います。 テストなどは、はっきり合格や不合格がわかる時以外は、あるいはもし自分が不合格であっても懸命に頑張った結果ならそれで良かったと潔くそれを受け入れる心の余裕があれば人と比較する辛さは免れるような気がします。 その心の余裕はどうやったら出るか、それは、長い目で人生見る訓練を自分に施すことかもしれません。 それは今の結果は人生の過程で起こる出来事なんだということを認識することだと思います。今は人の方が勝っているような気がしていても先のことはわからないものなのです。ご自分に日が当たるという時期も必ず来ます。今は人の方が良いように見えても先ではどうなるかわかりません。 一時の感情に心を囚われないようにしとて泰然として生きてみてください。解決への糸口になるのではと思えるのです。
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比較はオンリーワンでだれにもないその人自身が大事ということだと、やはり比較してしまいます。 比較しないその人らしさの部分であって、それは比較しなくて大事にするものかもしれません。しかし、それ以外の部分は人は比較して、競争などをしていきてます。あなたが社会的に孤立してなければ、自然に意識はそうなるはずです。自分の位置を捉えたり、認識したりそれでするのです。 それで正しく比較するには、条件などもあります。平等ということです。結果の平等、機会の平等と論争がありますが、完全な平等はできません。ですので、比較する意味がないともいえるでしょう。個々の事情があるのですから。それであまりなんでも比較をすることはないのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。考えても仕方ないですし、比較しても意味がないという風に、常日頃言い聞かしてみてみようかなと思います。
「ひとと比較してはならない」という発想はどこから出てくるのでしょう。たぶん、「比較するからねたむ」、「自信をなくす」、「自分を見失ってしまう」、「劣等感を持ってしまう」といったところでしょうか。しかし、原因というものは、そう簡単には決められません。「劣等感を持っているから比較してしまう」という具合に、原因と結果が逆のことだってあり得ます。 http://www.katotaizo.com/lecture/index.html 「本当の『自分らしさ』とは何か」 「自分流の人生を生きてみないか」 けっきょく、“あるがままを認める”ということではないでしょうか。合格する人もいれば不合格の人もいる、容姿のいい人もいれば悪い人もいる、何の不思議があるでしょう。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/11/ 「人生の物語を想像してみる」 「できることに目を向ける」
お礼
ご回答ありがとうございます。 できることを精一杯取り組んでいこうと思います。
- ichini12
- ベストアンサー率41% (22/53)
社会は、人を競争させることで成り立っているようなものですから、人と比較して落ち込むことは誰しも少なからずあって、仕方のないことだと思います。 たとえば、テストの成績で上の順位の人を壁に張り出したりしますよね。 よく上位10位くらいを張り出して、それに載った人は壁の自分の名前を見て鼻高々・・・なんて光景は質問者さんも見たことがあるかもしれません。 実は、それは順位を公開することで、張り出された人も張り出されなかった人も「次も(または次は)頑張ろう」と思わすための、テストを受けさせる側(教員など)の工夫であったりします。 ですから人と比較すること自体は決して悪いことではなく、むしろ比較して落ち込んでいるのなら、あなたは社会の中で他人と切磋琢磨して向上していける人なのだといえるかもしれません。 このように、比較すること自体は悪いことではないですが・・・質問者さんの場合は、比較=結果と捕らえているのかもしれませんね。 テストならば、「どこができなかったか」ではなく、「●●さんよりもよくできたか」。 「どうして不合格になったか」ではなく「誰が不合格か」。 テストは本来の意味は、自分の力を試すものであり、他人と比較するものではありません。テストを受けさせる側は次を見越した上で合否を発表して、両者ともに「次もがんばろう」と思わせますが、それは不合格者を落ち込ませるものはなく「頑張らせよう」とする工夫なのです。 テストを受けて相手の方が合格して、自分が不合格なのだとしたら、「どうやって合格した?コツを教えて」と合格者に聞いたりすることを望んでいるともいえますね。 このように、「合格した人が良い。不合格の自分がいけない。」ではなく、「合格した人の回答はどんなのか。自分はダメだったけど、ちょっとおだてて、聞き出しちゃおう♪」くらいの図太さがあればバッチリです。 テストで相手が良い結果なら、それはあなたのチャンスかもしれませんよ。自分にもっていないものを相手はもっているのですから、盗む良いチャンスです。 「落ち込むのは捉え方次第」の意味は、ちょっと図太くなれば自分にいいチャンスが巡ってくる、みたいな意味ももっているでしょうね。考え方次第で、比較はなんとでも捉えられます。 テストという、ほんの一例しか挙げられませんでしたが、「自分が頑張れるような考え方」をゆっくり探してみるのもいいかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 なるほどなと感じました。参考にさせていただきます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 潔く結果を受け止め、今後に向けて取り組んでいこうと思います。