数助詞と抽象化
この質問は以前に数学欄でも質問したのですが、哲学に興味を持っておられる方のご意見も承りたくて、再録いたします。
私の経験した限り数助詞を付ける民族は少ないようです。例えば、日本では人の数は「5人」で、「5本」とは言いません。ところが英語では人でも鉛筆でもfiveです。そしてfive pencils (5の鉛筆)とは言っても「5本の鉛筆」と、わざわざ「本」を付けません。
(私は知識が皆無なのですが、中国語と韓国語には数助詞があるとか。)
さて質問です。数学で言う「数」とは、その集合が持っているあらゆる個性や特徴を消去しても残っているある性質に名付けた、大変抽象的な概念なのですが、日本人はそこまで抽象化出来なかったようです。そこで、抽象化からの不安を取り除くために付けたのが「数助詞」ですね。この点では、日本人は抽象化が苦手なようですね。それにもかかわらず、日本人には世界的な数学者が排出している理由が、私には未だに良く判りません。
ご意見をお聞かせ下さい。