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「。。。。とするーとしているーとされる。」

テレビ、ラヂオ、新聞、最近では小説等でも、 表題のような表現が気になります。 例えば、 1)役所は対応に問題無かったと ”している ”(何かの問題に対して苦情,抗議がきた場合 の言い訳) 2)例の勤皇の志士暗殺実行犯と ”される” xx藩お抱えxx組隊士 3) 傷害事件の加害者と ”される” 少年A 4) 世界最古の木造建築物と ”される” 古都xxの xx寺 等々。 これらは日本語として不自然ではないでしょうか。 例えば次のように言い換えられないものでしょうか。 1)言っている、答えている 2)伝えられている、言われている 3)疑われている 4)言い伝えられている 皆様のご意見お聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • puni2
  • ベストアンサー率57% (1002/1731)
回答No.4

私も素人ですので,自分の感覚による主観的な回答になってしまいますが,1)~4)については,「自然か不自然か」と聞かれたら,少なくとも不自然だとは思われません。 ただ,確かに最近は報道で「~とされる」が使われる回数が増えたような気がします。 その背景には,報道において,より客観的な文章が目指されているということがあるのではないでしょうか。 報道の地の文で「世界最初のコンピュータ,ENIAC(エニアック)」と言ってしまうと,このアメリカのコンピュータが最古だと断定したことになってしまいます。 しかし,「世界最初のコンピュータとされるENIAC」であれば,そういう風に思われてきた,言われてきた(でも異論もある)という形になり,断定を避けることができます。 もっともこの場合であれば「世界最初のコンピュータと言われてきたENIAC」でもいいわけで,そういう意味では,報道における「される」の多用は,方向性は悪くないと思いますが,いささか安直という感は否めないでしょう。 「される」はかなり意味の広い(曖昧さをもつ)表現なので,どうしても「される」が最適だという場合に限って用いたほうが,表現がより具体的になって好ましいと思います。 質問文にあげられた4つの例文ですが,「している」「される」を使った場合と,他の表現に言い換えた場合とでは,いずれもニュアンスが異なってきます。 ただ,「される」を使ったほうの表現も,日本語として不自然だとは感じられません。あくまでも,どういうニュアンスで表現するかの違いでしょう。 たとえば, 1)役所は対応に問題無かったとしている 1′)役所は対応に問題無かったと言って/答えている 役所の担当者の発言の中に「対応に問題はなかった」というようなセリフが実際に含まれていた場合なら後者でもよいでしょう。 一方,「対応に問題はない」という語句はないものの,担当者の全発言の趣旨を総合すると,結論としてはそういうことになる,という場合は,ちょっと使いづらいと思います。 そんなとき,「としている」を使いたくなるのでしょう。 もっとも,そのような場合は「役所は,対応に問題はなかったという立場をとっている」のほうがよいかと思います。 2)例の勤皇の志士暗殺実行犯とされるxx藩お抱えxx組隊士 2′)例の勤皇の志士暗殺実行犯と伝えられて/言われているxx藩お抱えxx組隊士 通説では彼が実行犯だが,異説もある,という場合,後者のほうが客観的といえば客観的ですが,場合によっては逆にかどが立ってしまう場合もあるかもしれません。 通説を疑っているというニュアンスがハッキリ出てしまいますので。 特に,その実行犯(とされている人)が地元では英雄だったりすると,地元の新聞で「伝えられている」は使いづらく,せいぜい「されている」ぐらいになるのではないでしょうか。 3)傷害事件の加害者とされる少年A 3′)傷害事件の加害者と疑われている少年A これはどちらでも良いと思いますが,報道記者の感覚では,後者だといささか長ったらしく感じられるのではないでしょうか。 また,逮捕時ではなく,少年院に入所したり,またその後社会復帰した場合,「加害者と疑われた少年A」ですと,逆に「疑われたけれど無実だった」というニュアンスが出てしまいますし,かといって「疑われる」も使いづらい。となると,「加害者とされた少年」あたりに落ち着くように思います。 4)世界最古の木造建築物とされる古都xxのxx寺 4′)世界最古の木造建築物と言い伝えられている古都xxのxx寺 これは2と同様。 3)でも述べましたが,特に最近の新聞は活字が大きい分,1ページに収まる字数は減っています。1980年頃(1段15文字)に比べると,いまは1段11字が普通ですので,(15分の11)の2乗=0.537…,約半分の字数しか入りません。 そのため,1字でも倹約しようという意識が,「とされる」の多用の背景にあるのではないでしょうか。 また,もう一つの背景として,人権意識の向上とか,誤報への反省などもあげられるかもしれません。 松本サリン事件のように,逮捕された人が実は無実で(この場合被害者だったわけです),その後の捜査や裁判などで真犯人が判明する,ということもあります。 その結果,たとえば「東京の電車内で会社員が女子学生寮に窃盗に入って逮捕されました」のように全体を断定せず,「東京の電車内で会社員が女子学生寮に窃盗に入ったとして逮捕されました」という言い回しが増えたのだろうと思われます。 ただ,このような場合「東京の電車内で会社員が女子学生寮に窃盗に入った疑いで逮捕されました」と言ったほうが,より明確ですよね。 「疑い」と言われれば,逮捕状の上で正式にそういう容疑が掛かっているのだなと分かりますが,「として」ではそのへんが曖昧です。実は逮捕状に書かれた容疑は別件で,捜査幹部が窃盗を疑っているだけのようにもとれます。 (逆に本当にそうならば,まず正式の容疑のほうを伝えるべきでしょう。) というわけで,結論としては 「表現するニュアンスが異なってくるものの,日本語として不自然だとは思わない。ただし,報道記事において安直に用いられすぎる傾向がある点は同意見。より適切・具体的・明確な表現があれば,そちらのほうが好ましいと思う。」 と考えています。 大変長くなってしまい失礼致しました。

zipsy
質問者

お礼

ご丁寧なご説明有難うございました。 あなたのような柔軟な思考を見習いたいと 思います。 又、機会があればご指摘ご指導下さい。

その他の回答 (3)

  • UKY
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回答No.3

> 「。。。のどちらにしますか(選ぶ)」 > は私の問題にしている表現の種類とは > 少し違うような気がします。 そうでしたか……。 では、zipsyさんが問題の表現に対してどのような違和感を感じているのか、もう少し具体的にご説明いただけないでしょうか? テレビやラジオで使われることに対してなのか、「~ている」や「~れる」の表現に対してなのか、それとも……? 申し訳ないのですが、違和感を覚えない私としては、違和感を覚える方の気持ちがやはり理解しづらいのです。どうか補足書き込みをお願いいたします。

zipsy
質問者

補足

少しくどいのですが、30-40年前にはこのような言い方は あまり無かったように記憶しています。 試合等で 「しかし、6回裏で2対2の同点とした」ぐらいの用法ぐらい しか使われていなかったようにおもいます。 「される」は具体的な動作の受身にのみ表現したのでは ないでしょうか。 しかし、よく人から指摘されるのですが、 「言葉は生き物で常に変化、発展するもの」、「お前は古くて硬い」と。 テレビ、ラヂオ、新聞等の報道機関は日本語の手本。それに 携わる人々が不自然(私個人がそう考えている)言葉を使う こととその言葉そのものに違和感を感じています。 結論として、誤った使い方が、正しく当たり前のことと して使われるようになった。 私はそう考えます。 以上でUKYさんは私の考えを理解していただいたでしょうか。

  • UKY
  • ベストアンサー率50% (604/1207)
回答No.2

ごく普通の表現だと思いますよ。 「する」には、「決める、判断する」という意味もありますから。 「紅茶とコーヒーのどちらにしますか(選ぶ)」「もし今でも生きているとするならば(想定する)」「……するのをいさぎよしとしない(考える)」など、かなり広い意味で使われていますよ。

zipsy
質問者

補足

大変失礼なことを申しますが、 UKYさんのあげられた例の 「。。。のどちらにしますか(選ぶ)」 は私の問題にしている表現の種類とは 少し違うような気がします。 けっして、あげあしとりではありません ので誤解なさらないで下さい。 素人ですが言葉を生涯の研究課題と 思っている故の指摘です。 御反論大歓迎です。 有難うございました。

  • parapluie
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.1

いやいや不自然ではないですよ。すべて主語の問題ですから。1は役所の見解です。人間の個人が言う言わないではありません。2は伝えられているのは伝言やうわさなどでしょうが、ここのされるは文献によるもの(自分がじかに見聞きしてない)3は疑問なのではなく、確定ではないが仮の結論でと言ったニュアンスでしょう。4も2と類似で現在はそうであってもひょっとしたら変わるかも知れない。そんな感じでしょう。文末の表現で性別や細かいニュアンスが推察できるのは日本語の特徴ですよね。

zipsy
質問者

お礼

有難うございます。 あなたの回答を拝見させて 戴き、私の知識が増えました。