忌中は続柄に関係なく仏式で49日、神道で50日です。その他の宗教ではそれぞれで見てください。
配偶者の親・祖父母というのは、嫁に行った場合は嫁の実家の親・祖父母。女性側の世帯に入った場合(婿養子)では婿側の親・祖父母です。
服喪期間の一例
続 柄 期 間
配偶者 10日間
父 母 7日間
子 5日間
祖父母 3日間
兄弟姉妹 3日間
孫 1日間
おじ・おば 1日間
配偶者の父母 3日間
配偶者の兄弟姉妹 1日間
フグタさんの場合、住んでいるのは磯野家ですが、世帯はフグタなので、フグタ家の親が死ねば7日、磯野家の親が死ねば3日となります。
ただし、これは「服喪期間」であって、忌中でも喪中でもありませんので気をつけてください。3日で服喪が終わっても家に帰れば、フネさんやカツオ君たちは服喪中…やっぱり複雑ですね。(祖父母はありません)
【解説】
世の中、忌と喪、服喪期間が混在し、勝手な常識を作って主張している似非マナー講師などが氾濫して、幾つもの尺度が出来上がってしまい、複雑怪奇な常識になって居ますから、他人から何か言われても気にしないほうがいいです。
忌中とは故人がいまだ行く先が定まらずにいる期間ですから、全ての人に49日(神道では50日)です。つまり基本的にそれ以降は普通に戻ってもかまわないということです。
49日を過ぎれば仏の世界に止まるか輪廻によって生まれ変わるかが定まります。遺された人は一生懸命お祈りをして、仏の世界に入れるように願うのです。
服喪期間は仕事や学業に支障が起きないように定められた期間で、このため続柄などによって異なっています。
喪中とは本来は、悲しみに打ちひしがれて、喪服を着て閉じこもっている期間を言います。これには決まった期間等ありません。立ちなおれば、それが喪明けです。一般的には忌中より長くなりますが目安はありません。強いて言うなら百ヶ日とでもしておきましょうか。
百ヶ日は卒哭忌(そっこくき)といいます。
「哭」は「声をあげて泣きさけぶ」、「卒」は「終わる」という意味で、故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃ということです。
この法要を行なわない場合が増えているので「とでもしておきましょう」ということです。
古代天皇が悲しみのあまりいつまでもめそめそと忌み屋に篭ってしまいました。尤も行政の殆どは役人が行なうので天皇が篭っても問題なかったのですが、あまり長く篭ってしまうと新規の事業や節の行事などに支障があったので、一年と定めたのです。
それがいつの間にか天皇家に習って一年としているのです。
喪は悲しみの中にあるのですから、本来通常の生活はしても、新規事や遊興を行なうのはおかしな事です。カラオケや旅行などでさんざん遊んでいながら、年賀お断りなんて意味ありませんね。
ちなみに神道による「穢れ」の概念は本来ありません。というか祓ってしまえばそれで終わりです。イザナギは沐浴をして穢れを祓ったのであって、何日も篭ってはいません。(一説には黄泉から逃げている期間というのがありますが。これもドコまで真実か判りません)
忌中という考えは神仏混淆の時代に出来上がって、明治になり神仏分離令が出されて残ってしまった概念です。つまり神道の50日も仏教の影響が濃いのです。
でも、郷に入っては郷に従えといいます。偽物の常識でも信じている人にとってはそれが常識ですから。ある程度合わせればいいのです。