• 締切済み

頭の悪い人間に選挙権は不要である

「頭が悪いのは自己責任である。 従って、頭の悪い人間の権利を、ある程度制限しても何ら問題は無い。制限されたくない者は勉強努力すれば良いのだから。 例えば選挙権などは頭の悪い人間には不要である。 選挙権を国家資格とし、政治、経済、国際関係、近現代史などのテストを受験し合格したものだけに選挙権を与えるよう法改正することを提案する。 制限される原因は自分の不努力にあるため、憲法で定める制限選挙にはあたらない。 これにより日本の政治は、愚民向けパフォーマンス重視の愚衆政治から解放されると同時に政治家の質も格段に向上し、現在日本が抱える数々の諸問題は直ちに解決することであろう。」 という論について、みなさんはどう思われますか?

みんなの回答

  • chubou3
  • ベストアンサー率23% (264/1130)
回答No.19

それ以前に「成人認定」に試験で認定すればよいのではないかと。 車の免許も成人認定。 タバコも酒も成人認定。 契約の自由(借金)も成人認定。 その代わり、15歳で成人認定試験を受けれる様にすれば良いかと思います。 そうすれば、成人式で暴れる馬鹿共を排除できると思います。 何せ、車の免許も酒もタバコも出来ないのですから必死に成って成人認定試験を撮りますよ。 中卒程度の試験にすれば、国民レベルが上がって良いのでは無いかと思います。

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質問者

お礼

これは正直良い考えだと思いました。 ありがとうございます。

  • tsuruharu
  • ベストアンサー率25% (7/28)
回答No.18

確かに、そうすれば政治の質は高くなる可能性はあると思います。 しかし・・・、 今の民主主義は、質の高い政治が行われることが一番大事、とは考えていないのです。 政治の質が良かろうが悪かろうが、『大多数の国民は納得するしかない』 状態が一番大事、としているのだと思います。 だから、良識者にもそうでない人にも平等な一票が与えられているのだと思います。 (1) 政治の質は悪いが多数の国民が納得する(するしかない)政治が行われる (2) 政治の質は良いが一部の国民の思い通りになり、多数の国民は納得できない政治が行われる どちらのほうが良い状態と言えるか? まずその問題に答えを出す必要があると思います。

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質問者

お礼

(2)でしょうか。 ですが、政治に参加できないのは自己責任ですので多くの国民は納得(あきらめ)してくれるのではないかとも思います。責めるなら自分を責めろということです。 ありがとうございました。

回答No.17

単純な話として、昔の所得(税の負担額)による選挙権の制限っていうのは、建前上、質問文の論と同じことを言っていたはずですけどね。 「自由主義経済の中で、努力すれば金が稼げるのだから、稼げないのは自己責任。だから、そんな奴に選挙権など与えなくて良い」 っていう風に言っていたわけですから。 ところが、実際には、生まれによって、努力どころで埋められない格差が出来てしまっていたから、それを廃止するに至ったわけです。 で、この試験云々にしてもそうで、貧乏で、中学卒業と同時に働かなければダメ、みたいな人と、何もせずずっと遊んで暮らせるような人であれば、後者の方がそれだけ勉強する時間が取れるので有利。そうなると、結局、昔の制限選挙と同じになってしまうと思いますが。 さらに、その資格についての判断を誰がするのか、も問題になります。 強権政治が横行している国でも(北朝鮮とかも)、一応は選挙はやっています。ところが、こういう国では、そもそも、国の定めた「危険分子」からは選挙権が剥奪され、さらに、立候補者が最初から限られた選挙に行かない人は「危険分子」扱いになってしまいます。 また、こういった国では、障害がある、とか、そういう人も選挙権を持っていません。 選挙権を与える、与えない、っていう国家権力そのものを決める方法についての資格を、国家権力が行う、っていうのは、結局、不正などに傾くものです。 仮に当初は崇高な意思があったとしても、それが未来永劫続く、とは言えないわけですから。 無論、費用などについても問題になります。 以上を考えれば、全くの愚作。

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質問者

お礼

試験での選抜は平等なのです。 例えば、東大に学力不足で入れない人たちが、「学力で合不合判定するのは不平等だ。東大を無試験にしろ」なんてアホな要求しませんよね。選挙資格試験も同じです。 資格試験は政府外有識者の意見を聞きながら第三者機関で行うのが望ましいですね ありがとうございます。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.16

 日本は法治主義で、法体系の基本として、成人に意思能力と法的行為能力を認めています。  意思能力や行為能力を制限するには、裁判所の判断によってその人間の能力不足を判断するシステムとなっています。  また、犯罪に対して公民権停止という、権利の悪用をした者に対してそのような権利の乱用を制限する場合もあります。  しかし、そのような制限を適用された人間以外の選択は、「法の下での平等」に従って、同等に扱われます。 「近現代史」の知識があるなら、国家が「選挙を行う人間を限定する」システムに対して、国民が長期間に渡って反対運動を行った結果、今に様な普通選挙制度に至っていることをご存じのはずです。  ですから、『政治、経済、国際関係、近現代史などのしっかりした知識』のある人間が、現在の政治形態を選択したのです。 「民主主義は、非常に不完全で良くない政治システムである。しかし、その他のシステムは、更に悪い。」という一般論が、普通選挙と制限選挙の間にも言えます。   簡単に言うと、「政治、経済、国際関係、近現代史などについて、真に理解している頭のいい人間」は、『頭の悪い人間に選挙権は不要である』とは言いません。  『頭の悪い人間に選挙権は不要である』と考えるのは、政治、経済、国際関係、近現代史などについて、知ったつもりであるだけの、「頭の悪い人間」です。  「頭の悪い人間」が求める、「頭の悪い人間」の選挙権をなくすための国家試験実施など、費用の無駄でしかありません。  『頭の悪い人間に選挙権は不要である』と考える本人が投票を棄権すればいいだけの話です。

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質問者

お礼

「頭の良い人」の定義次第ですね ありがとうございます。

noname#152554
noname#152554
回答No.15

おっと、まともな回答、書いておかないと削除されてしまう・・・。 >という論について、みなさんはどう思われますか? ↑ 全くの『愚論』。 それ以外の何モノでも、化け物でも御座いません。 今の選挙制度で、エッチらおっチラ、改良しつつ行くのが一番です。 現行制度でも、解決しない諸問題が残ることは有り得ません。 解決までの期限を設けなければいいのですから。 (^m^):

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質問者

お礼

現状のままでも構わないという政治に無関心な人には、選挙権は不要だと思います。

  • qto10083
  • ベストアンサー率22% (35/153)
回答No.14

基本的には正しい。 そもそも間接民主制度は、全員で議論するわけにも行かないから、代表を立てるわけであって、 その代表を選ぶのに資格がいるという論法だから矛盾がない。 まさに内閣総理大臣はその通りで、選挙によってえらばれた代議士によって選ばれるのだ。選挙権を行使して選ばれるのではない。 また、基礎的な知識と、それを取得しようとする意識が大切なのもその通り。 民主党の危険性、惰弱性、不誠実さは、何年も前から指摘されてきた。比較論でいっても自民党よりも民主党の方が酷いことも。 でも衆愚政治とかした今の政権を阻止することができなかった。 だから結論の部分は正しい。 が、政策を周知せしめ、批判し、大衆の意見を集約するのはメディアの仕事であって、選挙権獲得の試験ではない。 第一、国家資格と言うことは政府(行政機関)が問題を作る。それが選挙権、つまり自身に権力をもたらすモノを認めるって、 自分に都合のいい人間にしか選挙権を与えないって事。。つまりそれは民主国家ではない。独裁国家だ。

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質問者

お礼

資格試験は政府外有識者の意見を聞きながら第三者機関で行うのが望ましいですね ありがとうございます。

回答No.13

頭が悪いというのは、記憶力が悪いことですかね、IQが低いことですかね、両方悪いことですかね。 頭はいいけど心が悪い人間と頭は悪いけど心はいい人間と、有権者はどちらを選びますかね。 心も頭もいい人間であろうと、政治を極端に良くできるとは思えませんがね。

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質問者

お礼

極端に良くは出来ないとしても 改善はできるでしょう。 ありがとうございます。

  • pupurr
  • ベストアンサー率18% (129/704)
回答No.12

エリート官僚を見ると、頭がいい人が悪知恵を働かせて法の網を潜り抜けるような天下りをしてわかるように、頭がいいというよりも人格が誠実なほうが上だということにそろそろきずいてもいいと思います 国家資格にしても解決はしないでしょう。 大事なことは、国民主権に実質的にしていくしかありません。  ですから、啓蒙、意識を上げるように情報が大事だと思います。  政治主権か国民主権か、どちらが強いかということが大事で、  次は民主惨敗ならば、自民でも民主でもない、、、国民の選択が一番強いということを見せ付けるしかありません。  ですから、民主が今、、言い訳、ごまかし、開き直りの発言をしてますが、今年の7月の選挙で、民主にNOといえばいいと思います。  こういう認識がないというのは、国民が選ぶ力があると思ってないんでしょう。  自民もNOでしたが、今度は民主にNOを出して、  結局、国民の意思が一番強いということを政治権力に思い知らせることが大事だと思います。  この認識がない以上、国家資格を作っても、政治権力のほうが強くなってるなら何も変わらないと思います。  いい加減に政党に対する愛着から脱皮して、国民主権こそが1番という状態にしたいものです。  民主はいろいろいってますが、選挙で黙ってNOにすればいいと思います。

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質問者

お礼

エリート官僚全員が人格悪いという認識は誤りだと思いますよ。 ありがとうございます。

回答No.11

案外、いいかもしれません。 自分も頭が悪いので、もっと努力しなければ・・・・・

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質問者

お礼

ありがとうございます

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.10

選挙権は国家からの恩寵物ではなくて、ほっておくと悪さをする国家を監視するための道具だから、そもそも、資格制度に似つかわない。

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質問者

お礼

その通りだと思います。 国家を監視できない人には不要かと。 ありがとうございます。

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