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パラドキシカルな臆病者である私
傷ついた事を言い訳にしては、イケないとは判っていても最後の勇気が出ません。心に不安が残り、もし万が一にも同じような傷を受けたら、僕は生きてはゆけないとどこかで、自分を抑えるのです。どれ程確証を得ても、最後の勇気が無いのです。最近は僕がバタバタし、結果的には 悪い事をしたなと反省しました。 僕も悪気は無いのですが、受けた傷を再び他人から傷つけられたり、傷を見られたりすると、僕は 本当に辛いのです。また、自分の心と対話する事も避け、挑戦的態度をとり、また好きな女性にも挑戦的に振舞ってしまったと思います。 何処にでもある恋愛の負の事象かも知れませんが、悪い事をしたなと思います。 だらだらと意味不明な事をお書きいたしましたが、臆病で挑戦的なパラドックス男に、何かしらアドバイスご意見頂けましたらと存じます
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noname#125734
回答No.1
自分を好きになる事が最初だよ。 自分が嫌いで、自信がないから、人の評価で自分の価値を認めることしかできないの。 そんな他力本願な自己価値に酔いしれていても、根本の不安は一生涯付きまとうし、人に否定されたらペッチャンコ。 自分を好きになるには、自分の最悪で嫌な部分をとことん卑下すること。 ものすごい辛いし、ムカつくし、悲しいけど、それを超えると、自分が見えてきて、自分がどうあるべきかに気がつく。 自分がどうあるべきかを知ると、そんな自分が好きになる。 自分が好きになると、人からどう評価されてもキズつかなくなる。 何か失っても、最後に自分が残るからね。 でも、貴方はここで自分の割るところいえてるんだから、もう抜け道の分岐点に立ってるんじゃないかな。 あとは逃げずに嫌~な自分を見ることだけかと思うな。
お礼
ご回答頂きましてありがとうございました。 自分を直視し、認める事確かに事実は事実で避けられないし、避けたつもりでも、忘却しても、または忘却したつもりでも、肝心な時にふとよぎる。僕は自分の弱い所もしっていますが、岐路に立っているのは事実ですね。 頑張って幸せを手に入れられるか、それとも逃げてしますか、浴びせられた言葉は、侮蔑と冷笑に満ちて、最後は慈悲の様な諭しで締めくくられ、僕には自分を捨て去る程の辛さでした。 それでも好きと言う気持ちは、膨らみ、夢想し、愛を語り、浴びせられた言葉を忘れさせるほどの癒しとなりました。 ただ現実を無視した夢想では無くて、現実的であったと思います。 有難うございました。 自分を好きであるかと訊かれれば、特に好きでも嫌いでも無く、あるがままを受け入れているつもりです。 有難うございました。