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「イマジン」することしかできないのか
ふと、考えてみました。 ずっと遠い将来、「幸せ」「思いやり」「優しさ」「喜び」「楽しさ」「共感」「信頼」「衣食住の充足」「生き甲斐」「平和」などなど、そんなものだけでこの世を満たすことができるんだろうかと。 地球全土にわたって、社会システム、教育、医療、科学技術、生活環境などが想定しうる最高のものがある。様々な民族・宗教的な遺恨も残されていない。全ての人が、生き甲斐や人生について積極的に考えている。コミュニケーションや豊かな趣味を味わう生活習慣がある。 まるでジョン・レノンの「イマジン」のように、未来について想像してみたわけです。 しかしそれには、否定的な考えが浮かびます。 人は不幸や苦しみによって、幸せを感じるのだと。人生に不幸や苦しみがないと、幸せも感じなくなる。大切なものが大切ということがわからず、なくなってから気づく、と。平和しかり。愛する人しかり。 また、苦しみによって鍛えられ、力を合わせる。世の中の苦しみが少なくなればなるほど、人はひ弱になり、まとまらなくなる、と。 だとすれば、そんな満たされた世界は持続できないのではないか?「イマジン」することしかできない、空虚な、実現不可能な幻想にすぎないのではないか? この世界は所詮形が少し変わるだけで、不幸と幸福の混沌とした世界にしかならないのでしょうか。 どのようにお考えになりますか?
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こんにちは 投稿文がとても、面白いので 頷きつつ、色々考えました 参加させてください 例えば しあわせが 甘い味だったとします〈焼肉の味でも良いですが〉 不幸はにがい味 つらい出来事は すっぱい味? 毎日毎日 甘い物ばかり食べると〈毎日焼肉だと〉 飽きると思います うまさや、甘さが 苦痛にすら感じる 甘い、すっぱい、にがい、味なし、等のハーモニーが複雑なほど、あきない。それぞれが引き立つ、、、 たとえは また替わりますが、 母親にとって 赤ちゃんを失うことが 一番つらいといいます 昔は沢山の赤ちゃんが〈今の医学では治せる〉簡単な病気でなくなっていた 今は、予防できる ワクチンがあるのに、「注射打つの面倒よね」という話になる 「赤ちゃんが死なずに済む!」という すごいしあわせに 馴れるほど、「それが当然」となり しあわせが感じられなくなるジレンマと言うか 堪え難い争いがあるからこそ「イマジン」がどれほどすごい歌かをかんじるのであって、 平和になったら、「当たり前のこといってる歌」でしかなく、誰の記憶にも残らないかも、、。 ところで、いつも悩みが多くて、悩みが細分化されてる人の境遇ほど、 恵まれていて なに不自由なかったりしませんか。 その、「なに不自由ない」という状況こそ、いきる力を失わせる物かな、なんて思います 何かが不足してるから それを求める、、、求めるから よくなる、、、。 でもでも、便利な物がなーんにもなさそうな原始生活をしてる人が、私たちよりも不幸かというと、なんだか楽しそうだったりも、するんですよね しあわせって、追い求めても 努力しても 100%は得られない、 ものなのか、 しあわせは すでに誰もが持ってるもの、なのか、 そこらへんの違いかなとも思います。
- mmky
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[ずっと遠い将来、「幸せ」「思いやり」「優しさ」「喜び」「楽しさ」「共感」「信頼」「衣食住の充足」「生き甲斐」「平和」などなど、そんなものだけでこの世を満たすことができるんだろうかと。] 理想は全世界のひとびとが思いにおいてそのように考えることができることなんですね。思いが大切ですね。みんながそのように思って切磋琢磨してより精神性を向上させる、文明の高みを作っていくというのが方向で課題ですね。学校だって小学校、中学校、高等学校、大学、大学院と続いていますね。社会主義だって考えは悪くは無いんです。でもそれを階級闘争にしたのが間違いなんですね。小学校と大学院を同じにしてはまずいのですね。思いは同じでも努力において差がつくのですね。この平等と差別の問題を理解しないと理想が何を意味するかがわからなくなるのですね。資本主義思想であろうと社会主義思想であろうと人類が質問者さんのように良き理想を持ち、互いに他を認めて努力精進するその結果として差が現れることも良いことなのですね。 例えば、小学校、中学校は実現し、高校、大学と実現していくという努力過程ですね。卒業資格に意味があるのではないのです。その努力の過程に意味があると考えるのですね。だから人類は永遠の営みを続けているのですね。 まずは「思いですね。」理想を持つことですね。その理想を多くの方が共有できることですね。それがまだ出来てませんね。暗い逆向きの考えに陥りがちですね。これは足をひっぱているんですね。このような考えはふっ飛ばしましょうね。太陽に向かってひたすらの努力ですね。みんながそのようにして御覧なさい、100年200年後にはすばらしい国家が出来ています。それを他の国が見て手本と出来るのです。誰かが手本を作らないといけませんね。そんなかんじでしょうか。
お礼
理想を多くの人が共有できることができれば、理想は現実のものとなってくる、ということですね。同感です。確かにそんな感じがします。 ただ、私の申し上げた、理想に対する不安は無視して良いのでしょうか。その不安ゆえに、私は「理想の方向性は完全に正しい」とすら言えるのかも不安にもなります。その辺も私にはわかりません。 どうもありがとうございました。
- horibeyasubei
- ベストアンサー率27% (25/91)
資本主義のさらに上級の世界は、社会主義という世界で、人々が助け合いお互いの幸せの為に世界を作る、重きを置くのは自分でなく全体主義の思想でありました。 しかし、人類によってその理想的世界は、『人類にとっては』間違っている事が証明されました。人間は、人のため、全体のためだけにという理想的考えでは、生きていけないのです。 これは、私が生み出した答えではありません。以前の人類と現在の人類が生み出した答えです。 人は、資本主義的考えの方が、つまり言い換えるのなら、『他の人より良い生活をするために努力や、投資(ギャンブル)をするという権利を与えられた方』が、生き甲斐を持ってうまく生きられる生物なのだそうです。だから、人類の理想的社会は実践的に、今の、戦争や平和や不幸や幸福が入り組んだ、一見中途半端な世界であるのだと思います。
お礼
「他の人と比べてみて、それ以上の状態を望む」という形でしか、人間は社会を維持し得ないのでしょうか。何が「オンリーワン(SMAP)」だ、って感じですね。悲しくも、それが真実なのでしょうか。 ありがとうございました。
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お礼
人生の味わい。よくわかります。味の度合いではなく、味の種類。Aさんが好きな物と、Bさんが好きな物の違いは、一般的なうまいまずいの尺度では計れないですものね。ただ、世界の中でなにかを否定すれば(例えば戦争)、味の種類は減るわけで、いろんな味があって良いとは言え、味の種類を減らすことが良いこと、というのもあったりしないのでしょうか。 >「なに不自由ない」という状況こそ、いきる力を失わせる物かな、なんて思います そう思います。生きる力を失っては人は幸せになりにくい気がします。とすれば、人は生きる力を維持するために不自由と共に生きることが宿命なのでしょうか。 >しあわせって、追い求めても 努力しても 100%は得られない、ものなのか、幸せはすでに誰もが持っているもの、なのか、そこらへんの違いかなとも思います。 ここらへんがちょっと分からなかったです。完全な幸せって得にくいと思いますし、幸せってすでに持っている気もします。かといって…って考えます。 ありがとうございました。