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ロシアとバチカンて国交はなかったの??
どういう経緯で断交していたのか。 どういう経緯で国交樹立にいたったのか。 教えてください。
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>どういう経緯で断交していたのか。 1917年のロシア革命から国交断絶していました。 つまりロシアが社会主義者のクズ共の手に落ち始めた時からです。 実を言うとバチカンは「反共の総本山」とも言われ、特に前教皇のヨハネ・パウロ2世は反共活動にとても熱心だった方です。 一方、共産主義下では「宗教はアヘンである」と言われ多くの共産主義国家で宗教は弾圧されました(もっとも、地球上で最低に愚劣で有害な宗教は共産主義に他ならないのですが…)。 よって双方は断絶に至った訳です。 >どういう経緯で国交樹立にいたったのか。 ソ連崩壊後エリツィン、プーチン大統領がバチカンを訪問し関係修復を進めていました。 更に教皇がヨハネ・パウロ2世から現在のベネディクト16世に変わったことを契機に関係修復が進展したと見られています。 そういった流れの延長で今回の外交関係樹立に至ったのです。
お礼
なるほど!勉強になります。 正教会が原因なのかなと思っていましたが、宗教VS反宗教の対立だったのですね。 個人的にはどっちもどっちだと思いますが。。