• 締切済み

大勢で災難に遭ったらトク、一人で遭ったらソン

中学2年生に訊かれました。 ・大勢で災難に遭ったら、公的な援助がある(阪神大震災など)。 ・ところが一人で災難に遭ったら公的援助はない(隣家から延焼して自分の家が丸焼けになった)。 ・高校入試のとき、新型インフルエンザにかかっていて入試を受けられなかったら、追試がある。 ・ところが、単独の他の病気や事故で入試を受けられなかったら、追試はない。 このような、大勢で災難に遭ったらトクで、一人でひどい目に遭ったらソンという公的援助は不公平ではないか・・・というのが質問の趣旨です。 一人ひとり(個人)の困り方は、10万人の災害も、単独の災害も同じだ。今のやり方は不公平だ・・・このように言っとります。 わかり易いご回答をよろしくお願いします。

みんなの回答

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.3

 一人が被害を受けても社会的に影響は少ないのです。しかし多くが被災すると社会的影響が大きいので援助をして影響を少なくするのです。  つまり、その災害が被災していない人たちにも影響があるかどうかなのです。  ちなみに延焼とか被災すると税金などで控除があったりしますよ。 病気に関しては法定伝染病とかでも変わりますけどね。高校入試でも状況次第では追試もあり得るでしょうね。法定伝染病以外では自分の健康管理が悪いだけです。インフルエンザは他の人にも迷惑がかかるので強制的に休ませるわけですから。

noname#103167
質問者

お礼

>ちなみに延焼とか被災すると税金などで控除があったりしますよ。 こんなもの当然のことです。どんな損害でも税金はまけてもらえます。 収入のない人には無関係です。 お金をくれるかくれないかの問題です。 ・・・と中2は言っとります。 >法定伝染病以外では自分の健康管理が悪いだけです。 自己が悪いだけ・・・厳しい見方というより、恐ろしい見方ですね。 会社員や公務員はそんな病気でも有給で休めますが、これはそのりくつとは合いませんね。

  • kbfd33
  • ベストアンサー率26% (371/1398)
回答No.2

大前提は「大災難に遭ったら、必ず損です」 「ただねえ、災難が避けられないのなら、大勢で遭遇すれば公的な援助はある」 「一人で災難に遭遇しても公的な援助はありません」 「隣家から延焼して自分の家が丸焼けになったら、火災保険で自衛しなさい」 「高校入試のとき、新型インフルエンザが蔓延していたら、追試があって救済されるのは、そうしなければ、伝染性疾患で、社会的な損失が出るかも知れぬから」 「大勢の災難を公的援助するのは、そうしなければ、社会的な大混乱を招く可能性が大きいからそうするのであって、個々の災難は自衛するしか対処法はないです。個々の災難を其の都度援助すればキリがない」

noname#103167
質問者

お礼

よくわかりますが、「不公平」は当たり前のことでしょうか。 「キリがない」で済まされるものでしょうか。 ・・・と中2は言っとります。

回答No.1

当たり前です。 日本の法律上、公平ではあり得ません。 もともと公平だと説明しようとしていることが間違いです。 社会主義であれば国民はみな同様に公平に幸せにという目標があるでしょうが、残念ながら日本は違います。 資本主義の場合は、親、生まれ持った能力、努力、運、等さまざまなもので左右され、それを良しとしています。 不公平で当たり前なのです。 高校入試で新型インフルで追試があるのは、それは、インフルにかかった生徒の中に多くの優秀な生徒がいた場合、それらを自分の学校に入学させた方が良いからそういう措置をとる方が学校側に有利ですし、災害の場合、復興ができない場合、地域経済が停止し、税収等にも影響するために公的な援助があります。 もちろん、人道面での措置というものを完全に否定するわけではありませんが、結局はそういうものです。 でも、大勢が被害に遭ったのであれば、それは個人の資質では防ぎきれないもので、一人で被害に遭うのであれば、それはその個人の注意で防げる可能性が高いということも言えると思います。

noname#103167
質問者

お礼

>高校入試で新型インフルで追試があるのは、それは、インフルにかかった生徒の中に多くの優秀な生徒がいた場合、それらを自分の学校に入学させた方が良いからそういう措置をとる方が学校側に有利ですし・・・。 世の中汚いものだと言っとります。

関連するQ&A