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2010年を迎えるにあたって、時代の流れについていけない

 あと少しで2009年が終わり、2010年を迎えようとしていますが、自分の中で時代感覚の混乱がおきています。  人生経験が浅く、ミレニアムのときがガキだっただけに、現在、新しい時代(というか節目)を迎えようとしているのに、自分の中ではそれについていくことが困難なのです。こういう経験はございませんか? ミレニアムを迎えたとき、「平成」を迎えたときなどです。  未だに、2010年ってすごく未来的な感じがします。実を言うと、2009年も過去である2008年も未だに未来的な感覚がするのです。私自身、2005年の愛知万博(未来を感じさせた)が非常に印象や思い出が強く、時代感覚「だけ」がそこでとまってしまっている気がします(社会生活は円滑です)。  ご自身の経験や私に言いたいことなどをお待ちしております。もし私と同じように、青春期に未来を感じさせる大阪万博を経験して、1980年代とか平成とかを迎えるにあたって、時代の流れの速さを感じられた方がいらっしゃれば、大大大歓迎です。

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  • asebi-0806
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回答No.2

おや、お若いのに、そんな感覚があるんですか? 私は大阪万博のときに両親に連れられて月の石やら太陽の塔を見て、お祭り気分に浮かれた子供でした。 小渕さんが「平成」の文字の書かれた紙を持ってる映像をリアルタイムで見た時はすでに社会人となり数年経っていました。 国鉄が民営化した時も、時代の変わったのを感じました。 ノストラダムスの大予言や、2001年宇宙の旅がまったくの想像の産物だった事を見届けました。 でも時代についてゆけない、という感覚ははっきりと意識した事はないですね。 ふと10年前を振り返っては、ああ、なんと時代の移るのは早いのだろうと感じる事はあります。 携帯電話やPCの普及にはそれを感じます。 あ、気がつけば、大阪万博の頃に「将来テレビ電話が家庭に普及する」なんて言ってのが本当になったじゃない、と思います。 海外にいる家族や恋人の顔を見ながら会話することが可能になったのですから。 一方で一般人の宇宙旅行はまだまだ遠い未来?の話。 その時その時を夢中で過ごしてきたから、時代について行けてるかどうかなんて考える余裕はありませんでした。 なにかの折りにふと、時代は変わったなあ、と思いふける。 そして、なにか大切なものを忘れてしまった自分がいるような気がして、ふと不安になる。 それは何だったろうと子供の頃や青春時代の記憶を掘り起こす。 思いだせるようで思いだせない。記憶が定かではないのでなく、その時感じた感情が戻らないのだ。 時代について行けないのではなく、知らず知らずのうちに時代に翻弄されてる自分を情けなく思います。 あなたの「時代について行けない」という感覚は、忘れてはならないものを忘れまいとする正しい抵抗なのではないでしょうか。

nobitaman
質問者

お礼

 アドバイスありがとうございます。  はい、若いのにそんな感覚があります…。  大阪万博でのasebi-0806さんの高揚した気分は、私も愛知万博で(当時中学生)感じました。トヨタグループ館では一人乗りの未来型自動車に魅せられ、近未来を感じましたが、既に中部空港では警備員が似たようなものを使用しています。たった4年ですが、実現したうれしさと同時に、時間がゴウゴウと流れるある種の「恐ろしさ」を感じました。  ふと思えば、園児のときベッドで味わった阪神・淡路大震災、母親と小学校の担任が「おいしい野菜がいっぱいとれるところなのに」と嘆き合っているのをきいて、自分も子供ながらに青ざめた茨城県東海村の事故…。それらは、決して忘れることはありませんし、忘れたくありません。  私は、歴史学習に親しんできました。ですから、どうしても「今」を歴史の上で眺めようとしている節があります。  小学生のとき、出口の見えない平成不況に鬱屈した気持ちになりました、高1,2の時、いざなぎ越え景気で「名古屋が元気!」という高らかな声とか「ミニバブル?」の疑問の声とか「売り手市場に惑わされるなよ」という担任の忠告とかをききました。リーマンショックの時、小5当時、塾の先生に「トヨタが赤字になったら日本経済は破綻する」と言われたことを思い出しました。  asebi-0806さんのおっしゃることを意識してみると、その時々の出来事が、夜にみた夢のような感覚になってしまうことを私は最も恐れていると分かりました。自分が経験した歴史の中で、きちんと事実として起きたと気持ちの整理をしていると、時代の流れの方がずっと先を行っているようです。  asebi-0806さんのアドバイスで前向きな気持ちになれました。私は、これからも自らの歩んできた歴史が事実であると確認しながら、3年遅れくらいで(笑)着実に歴史を歩んでゆこうと思います。本当にありがとうございました。

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回答No.3

子供の頃はとてつもなく時間の流れが遅かったです。 何で1日ってこんなに長いの?早く過ぎ去って!と思ってました。 でも30代半ばの今は1年なんてあっという間ですよ。 時間よ、そんなに急いでどこへいく?みたいな感じです。(笑) 幼少のときでも大人のときでも時間は一定に流れます。 ではなぜ時間の流れの感じ方が違うのか、それは体の新陳代謝が関係しているそうです。 新陳代謝が活発 → 時間の流れは遅く感じる。  〃 が悪くなる →  〃  は早く感じる。 つまり成長期の折り返し地点を過ぎれば過ぎるほど時間の流れはどんどん早く感じます。 光陰矢の如し、という諺があります。 中高生の頃は随分おおげさな表現だな、なんて思ってましたが今はなんか納得できます。 この先、四十路、五十路と歳を重ねるにつれますます時間の流れは早くなり還暦の頃にはまさに弓矢のように365日があっという間に終わるんだろうな、と思うと、、、年はとりたくないものですね。

nobitaman
質問者

お礼

 アドバイスありがとうございます。  新陳代謝が時間の流れの感じ方に関係しているとは初耳です。錯覚ではないのですね。   私には還暦を過ぎた父がいます。2010年を迎えてしばらくすると61歳になりますが、「61」という数字を見るとぞっとします。まだ成人していない私ですら、気分は野比のび太(小4,5)で(nobitamanですから)、年をとりたくないと思っています。今年は、恩師や近所の人、よく知っている著名人が鬼籍に入り、つらく感じ、死ってなんだろう、といろいろ考えました。それでも、理性はもちながらもいつまでも純粋・純真で、子供みたいにいろいろなものに好奇心をもって、新たな発見や驚きを経験し、目を輝かせていたいと思っています。  これから先、rakutenyoiさんはこれまで以上に時間の流れが早くなるのですね。そして私も。主観的には「本当に早くなる」時間を大切にして、充実した日々を過ごしたいと思います。rakutenyoiさんも、私の両親からすれば「まだまだこれから」というお年ですので、充実した日々を過ごして下さい!  本当にありがとうございました。

noname#100018
noname#100018
回答No.1

終末思想に、ご注意あれ。 善からぬ輩が出没中なり。 見極める目・耳をお持ち下され。 過去を見れば、 ・1999年のバカ騒ぎ 「ノストラダムス大予言」の論争 ・ミレニアム問題 コンピューター関連トラブルの懸念 が、有ったのである。 そして、善からぬ輩が騒いでいたも有りである。 2010年を迎えるに当たっては、周りでは、格別何も無き感じであるが、見解が甘きからか、分からぬ。 なれど、「2012年への終末カウント始まった」と、ほざいている輩がいるから、ご注意あれ。

nobitaman
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  2012年終末説については、「2012」の映画の影響もあり、話題になっておりますね。「教えてgoo」内でも、この件に関してのQ&Aが多いです。2000年問題は、はっきりと覚えています。子供ながら、万能な文明の利器であるコンピュータが新しい西暦ごときに屈してしまうのか、とドキドキして見守った覚えがあります。子供なので、大人たちのあたふたを傍観しているしかありませんでした。ノストラダムスは記憶にございませんが、中学のときの理科の先生は、「当時、ウソだと思いながらも非常にドキドキしていた」と言っていました。  「世界の終わりだー!!」は他にも結構ありますよね。1910年のハレー彗星の時だって、タイヤチューブ吸っていましたし、1052年には、くだけて言えば「釈迦パワー」が消える末法思想で貴族もあたふたしました。そう思うと、終末思想はいつの時代にもあることだと思います。私は、2012年のことについても、バカ騒ぎを傍観して、2012年以降の良い思い出(終末思想はその時期が過ぎると逆に懐かしい)にしようと思います。  どうもありがとうございました。