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武将にまつわる茶の逸話を教えて下さい
茶道の茶室の空間は身分等関係無く、敵同士の武士達がともに茶を飲んだそうですね。 茶の席で戦を中止することが決まった話があると聞いたのですが詳しい話を教えて下さい。 あと茶にまつわる武将の逸話等教えて頂ければ嬉しいです。
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- Pinhole-09
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茶室の縁で戦が治まった話は、寡聞にして知りません。 武将と茶の逸話なら、御存じと思いますがいくらかあります。 石田三成が佐吉といって、寺の童子をしていた。 秀吉がのどが渇き立ち寄って、茶を所望した際、佐吉は先ず大茶碗にぬるい茶を持ってきた。 秀吉は飲み干し、さらに所望。 次は少し熱く半分の量の茶を差しだした。 秀吉は考えさらに所望。 佐吉は最後は小茶碗に少量の熱い茶を差しだした。 この気配りに感じた秀吉は、佐吉を近従に貰い受けたという。 同じ三成と大谷吉継の話。 秀吉の茶会で、茶の回し飲みをしていて、ハンセン氏病を患っていた吉継は茶碗に膿をポトリと垂らしてしまった。 吉継もそれを見ていた次の武将も青くなった。 その時近くにいた三成がその茶碗を横取りして、ぐっと飲み干し「のどが乾いて失礼したお代わりを頼む」とその場をつくろった。 この恩に感じた吉継は三成とともに戦い関ヶ原で死んだ。 つぎは趣旨と少し違うかも知れない武将と茶器の話。 天下の名品の茶器を集めていた松永久秀は、織田信長に攻められ信貴山城で自害する際、他の名品は城外に出したが、信長が是非にと所望していた、名品中の名品「平蜘蛛の釜」を打ち砕いてしまった。 また三成の話だが彼も名品を集めていた。 参百金で買った「肩衝の茶入れ」を関ヶ原の役の前に、買った宗庵に返し、「もし自分が死んだら天下の名器も散逸する 遺品として保存してくれ」といった。 心がけが違います。 これは回りまわってのちに家康の手に渡った。 細川家は代々茶の嗜みが深い。 忠興も先の三成の茶入れを手に入れたことがある。 その子の忠利は「利休の茶杓」の偽物をつかまされたという。