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貨幣制度の始まりと発展について

経済・通貨などについて疎いので教えてください。 1.世の中で貨幣ができたころ、価値はどうやって決めたのですか?たくさん発行すれば価値は低くなるのでしょうが、はじめの決め方がよくわかりません。 2.江戸時代、鎖国して米主体の経済になりましたよね?この場合、欲しいものは米と交換してもらっていたのですか?また金・銀・銅銭の貨幣もありましたが、これは室町時代以前に作られたものが流通していたのですか? 3.外国とたくさん貿易すると利益がたくさん出る(いわゆる外貨獲得というやつ)ようですがなぜですか?私はドルとウオンとか元とかたくさん持っていてもどうして利益になるのかわかりません。 小学生レベルでしょうか。よろしくお願いします。

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  • Broner
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回答No.10

 そうですか、しかし、しっかりした質問をしますねー。 感心しました、私の経験で良ければ、説明しましょう。 1. 『経済について知りたいことはたくさんあるんですが、どこから質問したらいいのかわからなくて困っている次第です。』 A. 本を読むことです。それで、新しい知識を得ることです、そしてそれを試してみて、良かったらどんどん進めることです。悪かったら、何故失敗したのか考えて、改善してまた、実行することです。 本としては、 「経済のニュースが面白いほどわかる本」細野真宏著、中経出版。 「アメリカの高校生が学ぶ経済学」ゲーリーE・クレイトン著、大和証券G訳、Wave出版  「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキ著 筑摩書房 等 2. 『江戸時代、米主体だと幕府も農民も経済事情が逼迫していましたよね?ところが商人のように銭で生きている人はどんどん富を増やすわけです。なぜでしょう?』 A. 貧乏人は自分で働きますが、金持ちは、お金を働かして金儲けをします。 このことは、「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキ著に詳しく説明してあります。  商人は各藩にお金を貸して儲けたのです。 自分で働いて稼ぐお金は、限界があります。200万円から2000万円ぐらい、しかし、年金利が3%でしたら、1億円貸せば、300万円の金利が稼げます。10億円貸せば、3000万円の金利が稼げます。これぐらいあれば、働かないで暮らせます。100億円貸せば、・・・・・

回答No.9

【問1.最初の貨幣の価値は何。供給すれば価値が減るのに何で流通させたの】 お金は物やサービスと交換できます。一方でお金を持つと信用が高まります。つまり貨幣は物と交換できる価値と財産として蓄えてくれる価値に分けられます。貨幣が使われる前の経済モデルは、国の出来る以前のムラや小さいグループが主体です。 ムラでの交換は物々交換で蓄財は物の保有でした。物々交換のデメリットは欲しい物がある場合、交換してくれる人を探し取引も相対の点です。また財物はその性質によって壊れたり腐ったりします。 ムラが集まり面積と人口が増え国となれば物の集積と拡散の規模は拡大します。政府の役割も重くなります。 貨幣を発行する要因はその国内規模で政治や経済を発展させるには貨幣を利用する必要があるからです。発展とは取引において物やサービスの値段を決めさせて、社会の仕組みを変え経済的な規模を拡大進化させ、その力で政治が国を動かす事を指します。 【問1.最初の貨幣の価値は何。答1.貨幣自身の価値は現代とかわらないが貨幣により社会が変革された】 貨幣を鋳造する国は金を集めます。集まった金は一方は金庫へ、一方は鋳造されます。流通する際に、貨幣での取引を望まれたら断った場合に刑罰にすると法律を出されます。売り手は値段を決めざるを得ません。この断れない法律を強制通貨力といいます。 経済学のモデルでは貨幣を持った人間はパンを購入します。パンの値段が決まると必要な財の値段を中心に物やサービスの値段も決まります。それまで相対的な価値でしか評価できなかった物やサービスの値段が決まると社会の仕組みが変わります。 こうなるとお金を払わないと物やサービスが購入できなくなります。同時にお金がない人とある人の間でお金を単位にした貸し借りの概念も生まれてきます。なぜそこまで貨幣が信用を得たのか。 一つは金が希少であるため価値が変動しにくい。物やサービスの値段を決める基準に向いている点があります。物指しが狂っては困るという事です。【供給すれば価値が減るのに】。確かに。同時にもう金は、ただの金ではありません。 流通する金の量を増やせば、多くの人間が得ようと動きます。逆に金の量を減らせば、今度は政府手持ちの金の価値が高まり安い労働力や資材を購入できる訳です。 【問1.供給すれば価値が減るのに何で流通させたの 答1.貨幣を流通させることで国内の経済を操作できるため】

noname#110778
質問者

お礼

読んでもさっぱり理解できません。

回答No.8

No.4です。なるほど、なんとなくわかってきました^^; 回答を読んでると、問題のポイントは貨幣の概念へのファンダメンタルな疑問のようですね。 おそらく、信用通貨と兌換通貨のイメージが明確でないような気がします。 現在の世界経済は信用通貨制ですが、ニクソン・ショックまでは金本位制でした。歴史的に各国、各地そして各時代において、たとえば藩札とか軍票などのような信用通貨も存在しましたが、基本的には金や銀の本位制でした。 金や銀。貝でも玉でもそれが金歯や金箔、装飾品などとして使用される場合は商品です。米や塩とおなじと考えていいでしょう。しかし、これらが貨幣とされるときには、商品の価値尺度となります。 すなわち、商品の総量=貨幣の総量です。 で、どうやって決めたのか? ここが、きっと一番なんだと思いますが。これは、決めたのではなく貨幣経済の浸透とともにその流通圏において、自然と決まるのです。国やなんかが、決めるのではなく、それを承認するというのが正解です。これを度量衡の統一といい、古代から王(そのときの権力者)が行うため、さも決定したかのような錯覚におちいりますが、そうではありません。 ですから、当然、ひとつの経済圏が村程度であったときの貨幣価値とそういう村が商品交流によって、多くなった場合の貨幣価値は、商品の総量の変化にともない、それに対する貨幣量にあわせ変化します。このときに平均化される前の儲けを前近代的な商業利潤といいます。 なんか、余計にわかりずらくしたような気もしますが、あしからず^^;

noname#110778
質問者

お礼

>回答を読んでると、問題のポイントは貨幣の概念へのファンダメンタルな疑問のようですね。 ファンダメンタルってなんですか? >おそらく、信用通貨と兌換通貨のイメージが明確でないような気がします。 兌換通貨ってのがわかりません。 >なんか、余計にわかりずらくしたような気もしますが、あしからず^^; こちらも回答のしようがありません。

  • Broner
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回答No.7

 大分、あなたのことが解ってきました。 あなたは、必要なものを簡単に親から貰える。苦労が少ない。 そこに問題があります。 もし親が死んで、自分ひとりで生活をしなければならなくなったと考える必要があります。親から自立することです。 まず、一月生活するのに必要な、程ほどのお小遣いをもらいそれで賄う生活をするようにすることです。 そうするとお金のありがたみがわかります。 そうして、自立しなければ、貨幣のことは理解力が養われません。 貧乏人はお金が仇だなと言うところまで理解しないと、本当のお金のことは判りません。 さて、ご質問ですが。 1. たとえば貝殻を通貨にした場合、海で大量に貝漁りした人が金持ちになるんでしょうか? A. 貨幣になる貝は、美しくて、軽くて小さくて長持ちするもの、交換手段、価値尺度が明確なもの、価値貯蔵手段が優秀なものに限られます。海で大量に貝漁りしたできる貝は、価値尺度が明確でなく変動が大きいので貨幣にはならないのです、金みたいに生産量が限られる必要があるのです。貨幣として優秀なのは金みたいに何百年経っても錆びない壊れないそういうものが優秀なのです。 2. 江戸幕府は諸国が対外貿易で利益を得て富国強兵をするのを恐れて鎖国したそうですが、そのシステムが理解できないんです。 A. 江戸幕府は、鎖国して、幕府直轄の長崎に出島を築いて、その一ヶ所だけで、明、清、オランダと貿易をしていました。 対馬は密かに李朝鮮と貿易をしていたようです。薩摩は、密かに、沖縄琉球で、明、清と貿易をしていたようです。 幕府は、貿易を独り占めすることによって、外国の学問知識を独占しました。ですから、国民は日常の仕事ばかりで、奴隷のようになってしまいました。 3. たとえばある藩が対明貿易で明銭を大量に稼いだ、その大量の明銭はどうやって日本円に換えるのでしょう?今でこそ銀行がありますが当時は?となってしまうんです。 A. 幕府でなく、藩が明と貿易をすれば、密貿易で、死罪です。 だから、誰も明銭を日本の小判に換えてくれる人はいません。 藩は明銭を貰っても何の役にも立ちません、次回の貿易のために蓄えるか、明銭でなく物物交換をしたかどちらかです。  確か、その前の室町幕府の頃、日明貿易を行いました。 その頃は、日本では貨幣の鋳造技術が未熟で、明銭が日本国内で使われたと学びました。多分、その頃は、江戸時代の両替商のさきがけがあり、そう言う所が、お金の振込みもやっていたのではないかと思います。その時代は明銭が日本の通貨でしたから、両替は必要ありません。 まあ、そう言う事です。自分1人で海外旅行などすれば、日本との違いが見えてきて、法律、貨幣制度などの社会習慣が違うところが解り、かえって日本が理解できるようになります。 外から、日本を見直して見ることです。

noname#110778
質問者

お礼

残念でした。 幼い頃親を亡くし、高校卒業と同時に自立しています。もちろん遺産もありません。 確かにお金のことは知らないでしょう。自分の力で稼いで自分の力で家族を養っているだけですから。 質問の仕方が下手ですみませんでした。 経済について知りたいことはたくさんあるんですが、どこから質問したらいいのかわからなくて困っている次第です。 江戸時代、米主体だと幕府も農民も経済事情が逼迫していましたよね?ところが商人のように銭で生きている人はどんどん富を増やすわけです。なぜでしょう? 海外旅行、何度もしています。外国で100ドルのセーターを見たとき、「ああ、一万円かあ」と感じただけです(当時1ドル100円だったので) もう少し私が勉強して回答しやすい質問にした方がいいですね。

  • Broner
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回答No.6

成る程、その時の時代背景を説明しなければならなかったですね。 長くなり過ぎるから、省略しました。 1 >美しい貝や金属の通貨が使用されるようになりました。 そういうものにまったく興味のない人間は交換するようになるでしょうか? A. 物々交換の時は、とても不便でした。欲しいものを持っている相手の欲しがるものを、持っていないと交換が成立しません。 それで、皆は、何とかみんなの欲しがるもので、軽くて小さくて長持ちするもの、交換手段、価値尺度が明確なもの、価値貯蔵手段の3つを備えているものを通貨とすることが、みんなの利益に叶っていたので、貨幣が次第に認められました。貨幣が通用するようになりました。 あなたの仰るように、まったく興味のない人間は交換するようになるでしょうか、については、最初の頃はそういう人もいたでしょう。 しかし、考えてみてください、お金の無い生活を、物々交換の生活を、 自分の欲しいものを持っている相手、その相手の欲しがるものを自分が持っている、そういう相手を探すのにどれだけ苦労するか。 貨幣がないととても大変です。 みんなそういう苦労はしたくないという気持ちで、貨幣の需要があり、貨幣が生まれてのです。  貨幣が受け入れられたのは、そうすることがみんなの利益にかなっているからです。この意味では、貨幣は、法律や政府が一般に受け入れられているのと同様に、当時でも現在でも社会的習慣です。 2. >国を治める者が、貨幣の発行権を持ち、 その権限を持った者がたくさん発行して自分だけ保有したらどうなるのでしょうか? A. 貨幣の3つの機能で考えましょう。  1. 交換手段、 庶民が貨幣を持ちませんから、庶民レベルでは物々交換が続くでしょう。 2. 価値尺度が明確なもの、    庶民は貨幣を見たことも無いでしょうから、価値も認めないでしょう。 3. 価値貯蔵手段    貯蔵は出来るでしょう。  以上、総合的に考えると、そういうものは、貨幣として機能しません。皆が、交換のための通貨として使用されてこそ流通して始めて貨幣になります。 3. >不純物の多い金貨のみが出回ることになりました。 不純物が多かろうが少なかろうが、貨幣一枚の値段は一緒なのでは? A. それは、貨幣の信用量が一定でなく変化する事が問題なのです。  例えば、滅亡寸前の政府の貨幣は、信用量は殆んど無く、金の地金の値打ちだけの価値しかありません。 このように、発行機関が消滅しても、価値が変わらないものが、みんなに尊重されるのです。  貨幣の信用量は、次の要素により変化します、今思いついただけでも。   (1). 発行機関の信用度     政権の安定度、人口、国土に有する資源、国民の教養等。   (2). 政府の財政の赤字、黒字の量   (3). 政府の経済政策、市場に出回る貨幣の量の増減の状況。 4. >江戸時代の話ですね、金・銀・銅・鉄銭の貨幣を幕府は発行して流通させていたようです。 米流通(大名の石高や家臣の扶持など)っていうのはお米でやっていたんじゃないですか? A. 石高は、米を与えるのでなく、それだけの量の米が取れる領地を渡したものです。そのため、1万石の領地といっても7000石しか取れなくて苦労したと言う話は、良く聞きます。 ですから、武士は取れた米を、米商人に売って、小判に換えました。 5. >強い通貨は、元ですね、米ドルとか韓国ウオンは、弱いと言われています。 元だろうがドルだろうが外国人に商売して、外国の通貨で払われても困るんじゃないですか?昔の人は10000ドルもらってからどうやって円に替えるのでしょうか? A. 国際業務を行っている銀行で、換えます。  その他、大きいホテル、通貨交換所、今では金権ショップでも交換できます。心配ないです。

noname#110778
質問者

お礼

たびたびありがとうございます。 4.についてだけはすこーしわかってきました。あとはやっぱりわからないです。 たとえば貝殻を通貨にした場合、海で大量に貝漁りした人が金持ちになるんでしょうか? 江戸幕府は諸国が対外貿易で利益を得て富国強兵をするのを恐れて鎖国したそうですが、そのシステムが理解できないんです。 たとえばある藩が対明貿易で明銭を大量に稼いだ、その大量の明銭はどうやって日本円に換えるのでしょう?今でこそ銀行がありますが当時は?となってしまうんです。 もう自分の場合はどっから質問したらいいんだか・・・ 経済の基本をどこから勉強したらいいんだか・・・(笑)

  • 0909taka
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回答No.5

1・領主や君主がそのつど貨幣は鋳造していました。 多くは金か銀を鋳造していたのでそれが希少価値としての信用を生みます。発行体の信用度もこの場合は重要で、金貨・銀貨の純度が発行体の信用度に直接影響を及ぼします。また大航海時代に中南米で多くの銀山が発見されると、銀貨の価値が暴落するようなこともおきました。 それぞれの領主が発行する銀貨は商人同士で交換レートが存在し、ここでうまく情報を集めた商人が巨大な財を築くことになりました。キリスト教は商業を軽視していたので、彼らの間に入ったユダヤ商人がこの時代に巨大な資本と通貨交換のノウハウを蓄えたといわれています。 2・日本は米本位制度ともいうべき制度で経済を動かしていました。 つまり、大名の石高も家来の給料もすべて米を基準にしていましたので、自分の給料が米何俵かは知っていても、それが金貨で何両になるかはその時の相場しだいということです。もちろん家臣は米で禄をもらう訳ではないので、いくら貰えるかその時にならないと分からないとうい事になります。 3・外国に製品を売れば外貨を得ます。が日本人に給料をドルで払う訳にはいかないので、ドルを円に変えます(企業はドルを売って円を買う)。しかし、これでは円の価値が上がり、円の価値が上がると日本製品の値段が対ドルに対して上がります。 政府としては日本製品が割高になって売れないと困るので、ドルを買って円を売る(企業の逆をする)ことで、円高にならないように調節します。結果として政府にはドル建ての外貨(外貨準備)が積み上がることになります。

回答No.4

物物交換の場合、消費財(必需品)どうしの交換(例えば米と塩)のような場合ばかりではなく、装飾品(玉とか貝、金など)と必需品の交換も行われます。これは、縄文期の遺跡などの発掘品などでもわかります。ここから、消費されない希少価値のあるものが、貨幣という地位を獲得するようになります。 これは、紙幣のように信用通貨ではありませんので、質問のように好きなだけつくることはできません。これが、1への回答。 江戸時代、田舎などでは稀に米と物を交換するというようなことも当然ありました。いまだって、ないわけではありません。しかし、基本的には貨幣経済が浸透しており、年貢として徴収された米は、各藩の大阪蔵屋敷に運ばれ、堂島の米市場で換金され、各藩の収入となり、藩士にはカネで支給されました。また、江戸では、その武家の米収入(何石どリなどといいます)をカタに換金する業者がいました。札差といいます。また、流通していた貨幣は金貨、銀貨、銭ですが、室町末期は中国から流入していた(輸出の対価および銭そのものの輸入)明銭が主流でした。織田信長の旗印の永楽通宝です。江戸になり、金座、銀座、銭座が整えられ、幕府の管理下で、発行が行われました。寛永通宝などの銭が有名です。余談ですが、当時は貨幣経済の知識がとぼしかったので、金と銀と銭の交換比率は幕府がきめていましたが、多くの貨幣を発行し幕府財政を豊かにしようと、金貨の金含有率を落として多くの金貨を発行したこともありました。当然「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則のとおり、経済がグチャグチャになりました。以上が2に対する回答。 外国と貿易すると利益が出るわけではありません。輸出が輸入を上回ると利益がでるのです。これを貿易黒字といいます。逆なら、損失がふえます。アメリカは貿易赤字大国です。これが3への回答。 以上。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.3

最初は物々交換でした。 要するに、自分が余ったものをほかの人の余ったものと交換する、というやり方です。この方法では、自分が欲しいものを持っている人が、自分が余っているものを欲しがるかどうかがわからない、という点で、結構面倒くさいシステムでした。 そこで、何かと一度交換することにしました。貝でもコメでも宝石でも何でもよいのです。これが「通貨」です。 この通貨は、別に誰も欲しがらないようなものでも構いません(実際、巨石、という例もある)。ただ、多くの人が自分の余っているものをその「通貨」と交換する、というだけで、別にその通貨が欲しくない人にも、自分の欲しいものとの交換が楽になるので、欲しくなるわけです。 だんだんこれが普及してくると、細かい単位のために分けることが容易だったり、腐ったりしなかったりといういくつかの条件が求められてきます。結局、金と銀が最後に残りました。 この時点でも、金と銀の重さが価値を示す、ということなので、まだ別に誰かが通貨の流通量をコントロールしているわけではありません。金貨や銀貨も、最初のころは重さが一定量であるということの証明に刻印を押していただけです。 なので、質が悪くなると価値が下がることはわかると思います。日本でも質が悪い貨幣のことから鐚銭(びたせん)という言葉があります。びた一文、の鐚(びた)です。 ところが、金貨や銀貨は、とにかく重たい上、防犯上も良くないので、金庫に預けることにしました。これが銀行の始まりです。欧米では金銀細工師が、日本では両替商がこの役割を担うことになります。 そして、銀行から金を相手のところに持っていく代りに、その銀行にある金を持って行ってもよい、という証文を書くようになります。これが紙幣のはじまりです。 実際、お札は日本「銀行券」といいますし、英語で紙幣はバンクノートといいます。因みに、これを政府が管理しはじめ、一定量の金との交換可能なものとして規格化したものを兌換紙幣といいます。この体制(金本位制)が崩れたのは、第二次世界大戦以後です。一番遅くまでもったアメリカは40年くらい前まで金本位制でした。 ということなので、簡単にいえばはじめの決め方は「自然発生的に決まった」というのが正しいところでしょう。ちなみにこのあと、不換紙幣へと変化していきます。 ついでに言えば > 昔の人は10000ドルもらってからどうやって円に替えるのでしょうか? ドルを金に代えて、日本に持ってきて、円に換えていました。 もっとも、仲介業者がいて、相殺することで金を実際に送ることはまれだったようですが。 > 2.江戸時代、鎖国して米主体の経済になりましたよね?この場合、欲しいものは米と交換してもらっていたのですか?また金・銀・銅銭の貨幣もありましたが、これは室町時代以前に作られたものが流通していたのですか? いいえ。 金貨(大判・小判)はあまり主流ではありませんが、銀や銅銭などが交換の主流でした。 江戸幕府当時、税は米で徴収するのが普通でしたが、集めた直後に大阪に送って売却し、現金化していました。したがって、武士の給料も江戸後期には米ではなくて貨幣でした。 当然、庶民の生活も貨幣経済ですよ。 > 3.外国とたくさん貿易すると利益がたくさん出る(いわゆる外貨獲得というやつ)ようですがなぜですか?私はドルとウオンとか元とかたくさん持っていてもどうして利益になるのかわかりません。 逆です。 海外での売上を、日本円でもらうか、米ドルなどでもらうか、何か物を買って持ってくるか、この三つくらいになります。大体は三番目、輸入になります。 また、バーターでなければ、アメリカで物を買えばドルが必要になるので、日本円をドルに交換するために一度銀行などを通す必要があります。したがって、交換するためのお金が十分になければ、輸入が滞ることになります。そのために、日本では日本銀行が「外貨準備金」を準備しています。

  • Broner
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回答No.2

 正確には答えることが出来ませんが、大まかな答えだとして、読んで頂ければ幸いです。 1. 初めの頃は物物交換でした。  しかし、お互いに持っているものが欲しいものでない場合は、交換が不調に終わります。そう言う訳で、皆が欲しがるものが、交換の通貨的なものになりました、例えば米などです。しかし、交換の通貨的なものとして、腐ったり賞味期限のあるものは、蓄えることに苦労します、そう言う訳で、美しい貝や金属の通貨が使用されるようになりました。勿論、交換率は、需要と供給で決まります。  それと同時に、社会の構造も発展してきて、国を治める者が、貨幣の発行権を持ち、税金を発行した通貨で納めるようにしました。 こうする事によって、発行した通貨が流通する事が出来ます。  勿論初めは金貨など、その交換率は需要と供給によって決まっていました。しかし、財政が悪化するが、使用する支払いが多くなってくると、財政が赤字になって来ると、金貨に不純物を入れて、誤魔化すようになります。そうすると、古い不純物の少ない金貨は、金庫の奥にしまわれ、不純物の多い金貨のみが出回ることになりました。 悪貨は良貨を駆逐すると言う諺のようになります。  現在で言うと、兌換紙幣であったものが、兌換紙幣を止めてしまう、そして、通貨を大量に発行して、インフレに陥り、経済恐慌と結ばれます。こう言う事です。  現在は、勿論、たくさん発行していますから、通貨の価値は低くなります、しかし、米ドルで見ると、不動産ローンの破綻や会社の倒産により、その破たん処理に米ドルが使われ、その需要によってドルの下落が抑えられていると経済評論家は言っています。 2. 江戸時代の話ですね、金・銀・銅・鉄銭の貨幣を幕府は発行して流通させていたようです。勿論農家あたりでは、米で支払っていたところもあるでしょう。室町時代以前に作られたものは、使われないことが多かったと思います、再生されて、鋳直され、流通しました。 3. 要するに、為替(通貨同士の交換価格)の変動ですね。  現在、持っていて利益が出そうなのは、強い通貨は、元ですね、米ドルとか韓国ウオンは、弱いと言われています。 この問題は、複雑でいろんな要素があって、それらを総合した形で、為替変動が生じます。  思いつくだけでも、あなたの仰る貿易収支。国の内部では、先に言ったとおり、需要と供給で貨幣の価値が変動して、一つの平衡状態になっています。  それに対して、日本の貿易収支が黒字になると、日本の商品を、車とか電気製品とか、外国が輸入したいとしている訳です。 当然、輸入すると、日本円で支払うことになります、外国で円の需要が増えるわけです、外国が円を欲しがると、需要増による円高となります。こうして、国際貿易の競争優位が、通貨高を生じさせます。  一部に、円高になると、輸出量が減って、経済が不景気になると言った議論も聞きますが、これ間違い、通貨が高くなれば、エネルギーとか資源を安く買い入れることが出来、大きく見れば、利益です。 ただ、政策が悪いからそうなるだけです。 例えば国際基軸通貨である米ドルの貯蓄量が増えます、それによってその国の国際信用度増加します。  あそこの国は、米ドルの貯蓄量多いから、国際基軸通貨である米ドルの支払い能力が十分あると認められます。 また、国内で、不景気のため経済政策をして、不必要な公共事業などをして、国債を発行したりすると、国内の通貨の供給が増えますので、物価が上ります、現在上っていないのは、最悪な負の連鎖政策です。 不景気だから、消費者は贅沢をしなくなり、緊縮会計で生活します。 そうするとますます物は売れなくなり、在庫が増えます。 在庫が増えると、それでも売らなければならないから、安売りをします、それでも売れなければ、もっと安い価格に下げられます。 そうすると、消費者は、もつと買わないで待てばもっと安くなると、また買い控えをします。どんどんデフレになります。

noname#110778
質問者

お礼

すみませんが読んでも全然理解できませんでした。 >美しい貝や金属の通貨が使用されるようになりました。 そういうものにまったく興味のない人間は交換するようになるでしょうか? >国を治める者が、貨幣の発行権を持ち、 その権限を持った者がたくさん発行して自分だけ保有したらどうなるのでしょうか? >不純物の多い金貨のみが出回ることになりました。 不純物が多かろうが少なかろうが、貨幣一枚の値段は一緒なのでは? >江戸時代の話ですね、金・銀・銅・鉄銭の貨幣を幕府は発行して流通させていたようです。 米流通(大名の石高や家臣の扶持など)っていうのはお米でやっていたんじゃないですか? >強い通貨は、元ですね、米ドルとか韓国ウオンは、弱いと言われています。 元だろうがドルだろうが外国人に商売して、外国の通貨で払われても困るんじゃないですか?昔の人は10000ドルもらってからどうやって円に替えるのでしょうか?

  • tadagenji
  • ベストアンサー率23% (508/2193)
回答No.1

貨幣の最初は、貨幣自体の価値と同等の値打ちで通用していました。 たとえば小判などは、金の含有量で価値が決まる。  これを金属本位制という。  江戸の田沼時代辺りまでつづき、江戸は金本位、大阪は銀本位制であったので両替屋(現在の銀行業務の一部)が発達した。 貨幣の絶対量が少ない時代は、全国に行き渡らないので、物々交換で米などが貨幣の代行をしていた。 貿易でも、国内でも儲けるには、安くかって高く売ることが基本です。 国内の安くて外国に無いものを高く貿易し、国内にないモノを買って高く売れば儲かることになる。  平安時代末期の平清盛が大がかりにやり初めた以後、室町幕府の足利氏や豊臣時代の堺の商人たちが有名です。 貨幣は、ニクソンショックまでは金と交換できる兌換紙幣だったが、それ以後は、裏づけのないペーパーマネーとなっている。

noname#110778
質問者

お礼

よくわかりませんでした。 >貨幣自体の価値と同等の値打ちで通用していました。 一番最初は貨幣自体の価値さえ無いのでは? >金の含有量で価値が決まる。 金に魅力を感じない人間はどうやって価値判断をするのでしょうか? >江戸は金本位、大阪は銀本位制であったので両替屋(現在の銀行業務の一部)が発達した。 江戸の金を大坂に持っていってもそのままでは使えないということでしょうか。「金はあきまへん」って。それとも悪徳両替屋から「銀一枚は金十枚と交換しまっせ」みたいなこともあるんでしょうか? >兌換紙幣 ってなんですか?

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