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仲介言語としての英語
こんにちは。世界には色んな言語がありますが、その中でも英語ほど 広く使われている言語であるということに議論の余地はないでしょう。 ですから、日本人が英語を使うのは英語圏の人だけにではなく、非英語圏の人とも英語を仲介言語としてコミュニケーションをすることも少なくないと思います。例えば、ベトナム人とも英語を使って会話することが多いと思います。しかし、そのことに関して とある方が、 “例えばベトナムにも英語を話せる人は確かに大勢いますが、日本人がベトナムなど中国の流れをくむ文化圏の人に「もち(餅)」と言いたい場合、「ペイ(餅)」と言うのと「sticky rice」とか「rice cake」と言うのとでは、距離感やニュアンスがまったく異なります。” と仰っていました。確かに、日本もベトナムも中国から非常に大きな文化的影響を受け、漢字文化圏にあります。それでも、中国語を仲介言語にすることは少ないと思われます。ですから、日本とベトナムは折角共通の文化を持ちながらも、互いにコミュニケーションをする場合は 遠回りな印象も否めません。また、韓国も漢字文化圏ですが、まあ、韓国との場合は、片方のどちらかが相手の言語を使うことも ベトナムよりは多いでしょうけど、それでも 英語を仲介することも少なくないと思います。 そこで質問です。趣旨がはっきりしないと思いますが、このように 日本人が韓国人やベトナム人と英語を仲介することに関してどう思いますか? グローバルレベルで考えれば 英語はユニバーサルで実用的だとか、言語自体の性質上 英語は他の言語よりも比較的易しいとか、英語はボキャブラリーが非常に豊富なので仲介言語としての対応力も高いとか、その他 何でも構いませんので、ご意見を頂ければ幸いです。
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- ucok
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#7欄にいただいたコメントを拝見しました。言わんとしておられることには賛成です。ちなみに私個人に関しては、まず、どうでもいいことですが、住んでいたのは米国です。そして、訳すことを仕事にするようになったのは、言葉の壁によって世の中で生じている誤解に黙っていられなくなったからというのが主な理由です。その背景として、自分がマイノリティであったため、「自分で誤解をたださないと誰も代わりにただしてくれないだろう」という、やや誤った危機感が常にあるんだと思うんですよね。マイノリティというのは、米国では数少ない日本人として、日本では数少ない帰国子女として、という意味です。その誤解の壁を崩したいという情熱が、「努力」を「苦」ではなくさせてくれてはいます。 それから、英語以外の外国語については、何度も積極的に学習を試みたのですが、やはり「どうせ努力しなくても、必要になれば必要な分だけ覚えちゃうんだよねえ」という思いが、経験上あるので、あまり進歩しないですね。つまり英語に限らず、スペインでもタイでも、多くの人がそうであるのと同様に、1週間なら1週間の滞在で必要な分だけを自然と覚えてしまうので、それ以上の学習については投げ出す傾向があるんです。まあ、そういう意味では一般的な日本人も同じなんでしょうね。英語は通知表や入試のために「必要」なのでやるが、ほかの外国語や、高校レベル以上の英語は必要にかられないので、やらない、あるいは、やりにくいと。ただ、それはあながち悪いことだとは思っていません。人は必要な分だけの知識があればいいのだと思いますよ。もちろん、その最低限の基盤として義務教育は必要だと思いますし、また、何であれ、学習を進展させたい場合には、その学習内容が必要となる状況を作るのがコツでしょう。
- MandM
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MandMです。お礼をありがとうございました。 もしかするとご質問の趣旨がよくわかっていなかったかもしれません。他の方へのお礼の中で以下のように述べられていることから推察いたしますと、もしかして「日本語圏や英語圏以外の人とのコミュニケーションに仲介言語として英語を用いることが適当かないしは英語がそういう言語として優れているか」という旨のご質問だったのでしょうか? (英語は万能ではないと認識されても 英語以外の外国語は大人になってからだと、始めるにもすごいガッツが必要だし、始めたとしても途中で投げ出すか、投げ出さないまでも、いつまでも中途半端なレベルで終わる人が多いです。それで、結局は英語オンリーに甘んじるというか、今まで身に付けた英語を維持するだけに留まり、積極的に新しい外国語にチャレンジしようとしている人は少ないですね。多分、英語だけでおなかいっぱいになるんだと思いますが。) そうであれば、外国語として話す人口が比較的多いので、仲介言語として英語は使いやすい面があるという点を除けば、その他の点では特別優れた言語であるとも思えません。 現在の世界で英語が仲介言語としてよく使われているのは単にイギリスとそれに続くアメリカの影響力が大変大きいという歴史的な背景からくるのではないでしょうか。以前は、ヨーロッパではフランス語、東アジアでは中国語という時代もありましたし、商業ではスペイン語の時代もあったようです。 周りにフランス語、イタリア語、中国語に堪能な方もいますが、みなさん英語はそこそこお使いになります。日本の中学でほぼ強制的に英語を学ばされるということも関係は深いでしょう。 この回答がご質問の真意と少しでも噛みあっていれば幸甚です。
お礼
再度回答ありがとうございます。 >もしかするとご質問の趣旨がよくわかっていなかったかもしれません。 私の説明不足もありますが、何か半分クイズやなぞなぞの要素を入ってしまいました。そう言えば、年賀状を書く時期になりましたが、そんなもの メールで済ませたら、よっぽど楽なんですけどね。それと、MandMさんはカレーは好きですか? まあ、カレーは料理の基本の一つと言えるんでしょうけど、自分1人だけ食べるんだったら わざわざ材料を用意して料理するんだったら、レトルトパックのカレーを食べた方が手間もかからないし、あれだけの味付けは逆に自分で作るとなると難しいんですよね。 >仲介言語として英語は使いやすい面があるという点を除けば、 そこなんですよね。言語そのものの性質で考えても、英語はフランス語に比べると 性とか厄介なものもないし、動詞の活用もシンプルですよね。また、フレキシビリティーに富んでいて、ボキャブラリーも豊かです。でも、発音がやや難しく、スペルと読み方の不一致が大きいのが最大の欠点ですが。 >日本の中学でほぼ強制的に英語を学ばされるということも関係は深いでしょう。 結局、英語以外の外国語を学習する人にとっても英語は避けて通れないからでしょう。それと、先に英語以外の外国語をマスターすれば、英語をやり直すにしても普通の人の半分以下の努力で2倍以上の上達が見込めますからね。
- ucok
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>>ベトナム語の会話集の該当箇所を指さして見せた >ベトナム語に限らず こういう会話集って、仮に自分の言っていることが相手に通じたとしても、相手の返答が全く理解できなくて困ったことってありません? #4にいただいた上記コメントを拝見しました。この方法で何カ国も一人旅をしてきましたが、困った記憶は一度もありません。そもそも会話集に載っている表現は「何々はどこですか?」のような単純なものばかりなので、方向を指さしてもらったり、紙に数字を書いてもらえば意思疎通は容易にできます。 ただ、私はもともと、予約間違いに対する苦情から盗難届まで何でも、言葉が通じなくてもできてしまうのですよね。ジェスチャーを交えたり、単語を並べたり、表情などで気合いを見せることで、今のところ通じています。たまに通じないこともありますが、それもご愛嬌と思って楽しんでいます。 ところで、本題に少しだけ戻しますと、ある人に「そうやって言葉の通じないところでも堂々としていられるのは、英語ができるという自信があるからじゃない?」と言われたことがあります。あながち否定できないなと思いました。もちろん、英語や語学に限らず、何らかの自信があればいいのかもしれませんが。
お礼
回答ありがとうございます。 ucokさんはいつもセンシブルな回答をされていますが、疑問と言うか憶測と言うか、言語の習得というのは環境によって基礎が作られれるというのを感じますね。ucokさんはイギリスからの帰国子女だと思われますが、それだけでは、通訳とか翻訳とかビジネスで英語を使いこなせないので、ご自分なりに努力されたとは伺っております。しかし、これは長いイギリスでの生活で英語を習得した基礎があったこそ可能だったわけですよね。 それと、英語は万能ではないと認識されても 英語以外の外国語は大人になってからだと、始めるにもすごいガッツが必要だし、始めたとしても途中で投げ出すか、投げ出さないまでも、いつまでも中途半端なレベルで終わる人が多いです。それで、結局は英語オンリーに甘んじるというか、今まで身に付けた英語を維持するだけに留まり、積極的に新しい外国語にチャレンジしようとしている人は少ないですね。多分、英語だけでおなかいっぱいになるんだと思いますが。
ドイツへ旅行に行ったとき、フランフルトのゲーテハウスへ行こうとしたのですが、時間が遅くて閉まっていました。その時如何見ても東アジア人、私と同じくウロウロしていました。どちらとも無く話し出しましたが、私が日本人だと分かると自分はコレアだと言い、お互いに英語で話しました。彼はドイツ語は出来なかったようです。 別の時ですが、やはりドイツでの経験ですが、昼食を取りたくて中華料理屋へ行きました。店をやっていた人は、何処の人かなと思ったら(どうも漢字があまり分からないようでした。)ヴェナムからの避難民だとのこと、彼らのドイツ語(特に大人の)は私のドイツ語よりブロークンも好いところでした。英語は出来ないようでした。 英語は確かにブロークンも入れれば、理解出るであろう人の数は世界で一番多いでしょう。しかし、それだけに余程注意しないと、誤解の基にない兼ねないので注意しないといけないと思います。私の英語やドイツ語でも大いに注意しないと、、。 学生時代、当時大学に存在した夜間の国際学部のドイツ語の授業にもぐりで出席した時、下校時、アジア系の人々とイショに駅まで行く時、英語で話ていたら”君は日本人だね。英語が下手だからね。”と言われたこともありました。当時は、ドイツ語一本槍で英語は結構忘れていましたね。
お礼
回答ありがとうございます。
- MandM
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「日本人が韓国人やベトナム人と英語を仲介することに関してどう思いますか?」そうですね。たがいの母語が異なる場合は、その人たちの間で使えるものは何でも使ってコミュニケーションをするのがよいでしょうし、実際問題そうするしかないでしょう。それがたまたま英語であれば、それはそれでよいですし、他の言語であってもよいと思います。 例えば、日本語を母語とする日本人と、韓国語を母語とする韓国人が話すときに、英語が比較的楽な言語であれば基本的には英語で話すでしょう。しかし、日本語ないし韓国語の語彙に共通に理解できるものがあれば、それを混ぜるのはとてもよいことだと思います。 日本でフランス人の友人と話すときなどに、日本語とフランス語、それに英語の楽な言語で話しています。どの言語で話していても「パン」はフランスパンですし、「ブレッド」は食パンです。なんだか訳せないニュアンスのあるものはたくさん存在します。当事者の間で一番ぴったりくることばを適宜利用するのがよいのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >がいの母語が異なる場合は、その人たちの間で使えるものは何でも使ってコミュニケーションをするのがよいでしょうし、実際問題そうするしかないでしょう。 これを言ったらおしまいですね。何か現実的な合理性でしか物事を考えられない人が多いです。
- ucok
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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5455617.html からお誘いを受けて、一応、まいりました。ちなみに、ご質問で引用していらっしゃる文面は私が上記スレッドで書いたものです。 ただ、私も前回は、たまたま別のご質問からお誘いを受けて、回答を簡潔に書いてしまったがために、うまく趣旨が伝わらなかったように感じます。そして今回もあまり長く書くつもりはないので、きっとうまく伝わらないでしょう。したがって、またお誘いを受けることがあるかもしれませんが、次回は行かないと思います。悪気はありませんので、どうぞご理解ください。 さて、前置きが長くなりました。結論から言うと、前回の繰り返しになりますが、英語は便利であるものの時として歯がゆいですよね。まず、ベトナムには何度か行きましたが、使った言語は、(1)ベトナム語の会話集の該当箇所を指さして見せた、(2)若年層は英語を学校で習っているので、私の第二母国語である英語を、通じる人(すなわち、ちゃんとお勉強している若者)には使った、(3)老年層は英語を話せない代わりにフランス語が流暢なので、友人が得意とするフランス語で通訳してもらった、(4)第一母国語である日本語を、たとえ通じなくても使った、の4種です。中国語や漢字は通じないので使いませんでした。 で、「餅」の話は実話です。地方都市には珍しく、英語が難なく通じる旅行会社を、歩いていて見つけたので、日帰りツアーを申し込んだのです。独自の旅程を組んでもらったので、込み入った話になりましたし、相手は若年層だったので、英語を使いました。そして、お弁当の中身を選べると言われたので、私たちが大好きな餅米のちまきを注文したのです。「バイン・テト」という料理名を言ってもよかったのですが、相手が「sticky rice」を連発するので、なかなかわかりやすい表現だなと思いながら、こちらも手配に間違いがないよう「sticky rice」という言葉を使い続けました。 しかし、何度かその言葉を繰り返すうちに、すごく“心の遠回り”をしているように感じたんですよね。前回、ベトナムで通じない「ペイ」という言葉を書いたのには語弊がありましたが、餅米が当たり前の文化圏では、「ペイ」とか「もち」とか「ちまき」とか「バイン」といった簡単な言葉ひとつで自動的に「餅米」を連想させる仕組みになんとなくなっています。一方で、餅米が当たり前でない文化圏の言葉で「sticky rice」というと“美味しそうな食べ物”というよりは“食べ物の解説”に、私などは感じてしまうんです。ある意味、#2さんのご回答と重なる意見です。 そういう意味では、英語の通じない上海で、漢字の筆談をしていた時のほうが“通じるもの”を感じましたし、同じベトナムにおいても、(1)や(4)のほうが、正確さには欠けるものの、ダイレクトに通じる心地よさを感じました。英語は便利だけど歯がゆかった場面の、ほんの一例です。 「何でも構いません」というお言葉に甘えて、(案外と長くなりましたが)以上です。ちなみにベトナムの件にはオチがありまして。いざ、行ってみたら、弁当はパン食になっていました。
お礼
回答ありがとうございます。 >ベトナム語の会話集の該当箇所を指さして見せた ベトナム語に限らず こういう会話集って、仮に自分の言っていることが相手に通じたとしても、相手の返答が全く理解できなくて困ったことってありません? そう言えば、「餅」は韓国語では「トク」ですが、韓国では餅を英語では rice cakeと表現しています。何か、感覚的にはしっくりきませんね。「ちまき」のようなものなら分かりますが、韓国では餅は雑煮のようなものに入れて食べるのが普通なので。
- Oh_snap
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アメリカのミュージック系サイトで世界に140人を超えるフレンドが居ます。 アメリカ人だけでなく、ヨーロピアンやアジアンとのやりとりも多いです。 多くの英語圏以外の国の人たち(アメリカに住んだ経験が無い人たち)は英語が苦手な人が多いです。 話が合いそうでも、相手の人が英語でのやりとりに疲れて会話が無くなることもとても多いです。 英語だと世界中に通じるなんて幻想です。 英語に限らず、そんな言語は存在しません。 それは互いの英語力が日常会話に支障ないレベルにある場合に限ります。 そして、その組み合わせは意外に少ないのです。 相手のレベルが低ければあなたは意味不明の英文にどう解釈するべきか悩むでしょう。 相手のレベルが高ければ相手があなたの英語に悩むか、「何なの?」と顔をしかめるかも知れません。 相手が一カ国か、二カ国ならなるべく相手の国の言葉を使ってあげましょう。 英語も併用すると間違いが少なくなると思います。 こういった利用での英語は便利だと思います。 微妙なニュアンスは努力して事細かに説明するしかないと思います。 相手が知らない物を説明することは日本人同士でも難しいです。
お礼
回答ありがとうございます。
- tknaka
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ドイツ在住です。英語ではありませんが、文化の違う仲介言語ということで。 こちらに住んでいる友人に中国人や韓国人が居ます。双方ドイツ語でほとんど不自由しないので、基本的にドイツ語で会話をしています。互いの意思疎通という意味では、ドイツ語でもあまり困りません。ただ、日本語で話す場合のようなニュアンスの細かい部分までを表現できているか、というと少し違う部分はあるでしょう。逆に日本語のような曖昧さを許さず、論理構造がすっきりと明確な分、ドイツ語で会話した方が変なすれ違いは起こりにくいという気もします。中国人や韓国人知識人層との会話では、場合によっては漢字による筆談という手段も残されていると考えた方が良いかもしれませんね。 英語でも同じことだと思います。互いの英語力が十分であれば、それほど困ることはないでしょう。ただ、双方に共通概念が欠落した場合、それを説明しなければならない手間はどのような場合であっても必要だと思います。同じ「箸」でも日本人は木製のものを、韓国人は金属製を思い浮かべるということは、互いにその文化を知っている必要があります。
お礼
回答ありがとうございます。 すみません、ドイツに住む日本人中国人と韓国人がドイツ語で会話するとうシチュエーションはあまり興味を引くものがありません。
- mabomk
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ご質問の趣旨からは少なからず逸脱するのを恐れずに言えば、「英語」は既に世界共通語としてその盤石たる地位を確保し、他の言語を持って代替されないとの認識を持っております。 そこで、現代社会で初対面の一般のアジア人同士(2カ国以上でも)が、商売上の取引は別にして(プロの商人同士では相互の異文化を十二分に承知済み)お互いの伝統文化、歴史や社会問題を世間話上のレベルで議論する場面では、参加者の自国の歴史及び世界史の一般常識レベルが問われます。 普通の高校生レベルのボキャブラリーを用いて英語で難なく会話が進むにはこのバックグラウンドが相当しっかりしていないと、全ての会話が上滑りになることは論を待たないと思います。 簡単に言えば、自国の歴史を母国語で充分説明できないのでは、いくら英語が喋れると言っても、相手の理解はとても得られるモノではありません。 基本的には、相手国の歴史なぞはよほどその国のことに興味がない限りは、聞かされる方にとっては退屈・苦痛以外の何者でもないでしょう。 議論を盛り上げ、双方にとって面白い会話を成立せしめるには、自国と相手国の歴史の相関関係(教科書レベルでも良いでしょう)に迄話題を発展出来るだけの知識が必要とされます。 その上で英語のニュアンスと自国語のギャップに悩むのなら、そこでやっと仲介言語としての英語云々議論の対象になるかと思います。 趣旨がずれているのは承知の上で書いてみました。 乱文お許し下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 >「英語」は既に世界共通語としてその盤石たる地位を確保し、他の言語を持って代替されないとの認識を持っております。 「共通語」をどう解釈するかですね。確かに英語は世界で最も広く使われる言語ではありますが、世界にはまだ英語の通じるところと通じないところのムラも大きいし、英語を理解できるのは世界の人口の半分には満たないしね。
お礼
>やはり「どうせ努力しなくても、必要になれば必要な分だけ覚えちゃうんだよねえ」という思いが、経験上あるので、あまり進歩しないですね。 ここら辺が私たちと大きく違うところですね。私は必要な分だけ覚えるのだって、苦労します。でも、苦労して覚える中にも喜びがあります。それから、私が英語以外の外国語を覚えるのは、必要性のためだけではありません。必要だからやるというのは、義務的なもので、楽しいものはありません。ですから、私のやっていることはucokさんから見れば、無駄なことかもしれません。でも、そんな無駄も楽しめればいいのではないかというのが私の考えです。 >また、何であれ、学習を進展させたい場合には、その学習内容が必要となる状況を作るのがコツでしょう。 「必要となる状況」というのは、学習の動機付けにはなっても、長く続けるのは難しいです。そんなのは苦痛でしかないでしょうから。 英語一つをとっても、多くの人が挫折する最も大きな要因は 目標だけを高く掲げて、学習のプロセス自体を楽しむ余裕がないからです。