No.2です。
補足での質問に回答したいのですが、
非常に微妙な問題でどう整理していいか困っています。
外国人の日本語としてならどの言い方でもいいではないか……
と開き直りそうになります。
A「た」がない場合
1「始まる」……「これから始まる」(未来・1回的)か「いつも始まる」(現在・習慣的)
2「始まっている」……「すでに始まっている」(現在/未来・一回的)
2’「昨日すでに始まっている」としても過去ではなく現在すでに「はじまっている」状態にあることを意味します。
2”ただし、「いつも始まっている」と、習慣であることを明示すれば通じないことはない。やや不自然という程度。
そもそも「始まる」で十分に習慣性が表現できるのに、さらに「ている」とするのは冗長な感じがあるのだと思います。
B「た」がある場合
1「始まった」……「今/さっき始まった」(現在/過去・1回的)「今」なら「た」は確認の意味です。
1’ただし、「いつも始まった」とすれば過去の習慣として理解可能。やや違和感があり、文学的な感じがする。
「そのころ仕事はいつも8時半に始まった。」
「そのころ仕事はいつも8時半に始まりました。」
常体でも敬体でも、小説的・物語的です。
2「始まっていた」……「ある時点ですでに始まっていた」(過去・1回的)または、「ある時期にはいつも始まっていた」(過去・習慣的)
「そのころ仕事はいつも8時半に始まっていた。」
「そのころ仕事はいつも8時半に始まっていました。」
常体でも敬体でも1’に比べて自然・日常的です。
「た」は、時を1点でとらえるのでものごとを1回的に表現してしまうのでしょう。
だから、過去の習慣を表現するには「ていた」と時に幅を持たせてやる必要があるのだと思います。
自分でもまだもやもやしたものを感じるのですが、いちおう以上のように考えてみました。
補足
お礼が遅くなってすみません。分かりやすく説明してくださってありがとうございます。ずいぶん納得してきたのですが、ちょっと難しい問題なので、少しまだ悩んでいます。 習慣としての、「始まっている」はやはりおかしい、ということなのですね? 1番目のかたの補足質問で、「あのころは毎日仕事が8時半に始まっていた。~」という例を出させていただいたのですが、これに関してどう思われますか? よろしくお願いします。