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習慣について 「ている」とル形

習慣をあらわすのに、日本語では「ている」とル形、両方がありますが、違いがよく分かりません。 「工場で働いている」などは「ている」を使わないと変です。 「毎日工場で働きます」は、ちょっと不自然ですよね。 「工場で働いている。仕事は8時半に始まっている。」などと続けるとおかしくなりますが、どうしてなのでしょうか? なぜ、「働いている」は普通、「ている」で使われて、「始まる」などはル形のほうが自然にきこえるのでしょうか。 また、「ている」が連続すると変に聞こえるのはなぜでしょうか。 よろしくお願いします。

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回答No.4

No.2です。 補足での質問に回答したいのですが、 非常に微妙な問題でどう整理していいか困っています。 外国人の日本語としてならどの言い方でもいいではないか…… と開き直りそうになります。 A「た」がない場合 1「始まる」……「これから始まる」(未来・1回的)か「いつも始まる」(現在・習慣的) 2「始まっている」……「すでに始まっている」(現在/未来・一回的) 2’「昨日すでに始まっている」としても過去ではなく現在すでに「はじまっている」状態にあることを意味します。 2”ただし、「いつも始まっている」と、習慣であることを明示すれば通じないことはない。やや不自然という程度。 そもそも「始まる」で十分に習慣性が表現できるのに、さらに「ている」とするのは冗長な感じがあるのだと思います。 B「た」がある場合 1「始まった」……「今/さっき始まった」(現在/過去・1回的)「今」なら「た」は確認の意味です。 1’ただし、「いつも始まった」とすれば過去の習慣として理解可能。やや違和感があり、文学的な感じがする。 「そのころ仕事はいつも8時半に始まった。」 「そのころ仕事はいつも8時半に始まりました。」 常体でも敬体でも、小説的・物語的です。 2「始まっていた」……「ある時点ですでに始まっていた」(過去・1回的)または、「ある時期にはいつも始まっていた」(過去・習慣的) 「そのころ仕事はいつも8時半に始まっていた。」 「そのころ仕事はいつも8時半に始まっていました。」 常体でも敬体でも1’に比べて自然・日常的です。 「た」は、時を1点でとらえるのでものごとを1回的に表現してしまうのでしょう。 だから、過去の習慣を表現するには「ていた」と時に幅を持たせてやる必要があるのだと思います。 自分でもまだもやもやしたものを感じるのですが、いちおう以上のように考えてみました。

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その他の回答 (3)

noname#135125
noname#135125
回答No.3

>なぜ、「働いている」は普通、「ている」で使われて、「始まる」などはル形のほうが自然にきこえるのでしょうか 「始まる」はすでに起点の概念をふくんだ動詞だからじゃないでしょうか。 しかし…「働いている」を二つに分けたら「働いて」と「いる」なんですよね。 変なとこで切って一語のように扱ったり、ただの終了形を「ル形」と名づけて扱ってみたり、なんだか日本語教育のための文法は変なことになってますよね。 もちろん、外国の方に説明するための方便として仕切りを考えたのでしょうけど、それは日本語の本質がそのまま現れた仕切りと違うわけです。 なのに、「ている」ありき、「ル形」ありきで、「二つはどう違うのか?」という疑問を持つのは間違っていると思います。 「間違っている」っていうのはおかしい、疑問をもつのは自由――ではあるのですが、疑問を生じさせた大前提が「方便で仮に引いた線」である場合、すっごーくヘンナコトになると思います。 日本人が 「習慣を表したいな」→「こういう場合は『ている』で表そう」・「こういう場合はル形で表そう」 と思ってそれらの言葉できたわけではないんです。 あることの本質を表すために「~て・いる」という言葉が出現し、あることの本質を表すためにル形、というか終了形が出現した。 たまたま両者の意味は近似したけど、基本的に関係ない言葉である。 というより、あることを表す「~て」と、あることを表す「~いる」という言葉をいっしょにして考えると現在進行のように聞こえる、 かたや、「時制について考えている人が終了形のある場合を『ル形』として考えることにしてみた」、 というだけのことなんです。 「時制について考えている人が終了形のある場合を『ル形』として考えることにしてみた」ことは 「日本で習慣をあらわすのに『ル形』がある」ということを表しません。 「習慣を表すためにル形がある」ということでは、ないんです。 私は国文法が絶対正しいと思ってるわけではないんですが、 質問者様の疑問は「日本語の本質が知りたくて出た疑問」なのに、その質問が出るに至った前提が本質ではないのでとっても変なことになっているのです。

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回答No.2

この問題はちょっとやっかいですよ。 普通の日本人にはちょっと歯が立ちそうにありません。 まず、「ている」がつく動詞の性質を分類してみましょう。 わたしは全部網羅することはできませんので、「働く」と「始まる」についてだけ考えます。他の種類の動詞についても同じような観点で考えてみてください。 1 「働く」は、ある瞬間(または短い時間)で完結することがらではなく、長期間継続可能です。つまり、「働き続ける」ことができます。 こういう動詞は、継続や習慣を表す場合「ている」をつける。 ○朝からずっと働いている。……継続 ○毎日働いている。……習慣 2 「始まる」は、ある瞬間に完結することがらで、長い時間継続することはできません。つまり、「始まり続ける」ことはできません。 こういう動詞は、習慣・予定を表す場合「ている」をつけない。 ○仕事は毎日8時半に始まる。……習慣 ○明日の仕事は8時半に始まる。……予定 では、「始まる」にているをつける場合は、「仕事の開始時点がすでに過ぎて、仕事の継続時間に入っている」という意味になります。 ○仕事は8時半に始まっている。=「始まる」時がすでに過ぎた時点から見た言い方 たぶんこれは「死ぬ」という動詞で考えた方がわかりやすいでしょう。 ○彼は去年死んでいる。=死の時点(去年)がすでに過ぎている。 「工場で働いている。仕事は8時半に始まっている。」は、じつは文法的にはおかしくありません。文法的でなく、意味的におかしいのです。 つまり、工場で働いている人が、まるで毎日遅刻して、8時半を過ぎて他の人がすでに仕事を始めた後で職場に来ているような感じがする表現になってしまっているのです。 「ている」の連続の件は、日本語のいろいろな文型が、文章の中でどういう順番で並ぶのかという、おおまかなルール(文章論)や、詩的な美意識にかかわってくる問題だと思いますが、 これについては、本題からはずれると思うので、気になったらまた別に質問するのがよいと思います。

allll
質問者

補足

お礼が遅くなってすみません。分かりやすく説明してくださってありがとうございます。ずいぶん納得してきたのですが、ちょっと難しい問題なので、少しまだ悩んでいます。 習慣としての、「始まっている」はやはりおかしい、ということなのですね? 1番目のかたの補足質問で、「あのころは毎日仕事が8時半に始まっていた。~」という例を出させていただいたのですが、これに関してどう思われますか? よろしくお願いします。

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noname#115911
noname#115911
回答No.1

問題は「ている」の連続にあるのではありません。実際「ている」が続いても全く不自然でない文もあります。 例)雨が降っている、でも傘を持っているから平気だ。 「工場で働いている」の場合は「習慣」と言うよりは、その行為を継続的に行うということを表わしますね。つまり「存続」の意味なのです。しかし「仕事は8時半に始まっている」というのは、文脈によっては可能ですが、仕事の開始時間が8時半に決まっていることを言い表す場合は、単なる「事実」を表わす文なので「始まります」を用います。

allll
質問者

補足

ありがとうございます。 難しいですが、なんとか理解しようと頑張って考えてみました。 たとえば、「あのころは毎日仕事が8時半に始まっていた。~」というのは十分日本語として通じるとおもいます。過去の習慣?繰り返し起こった出来事です。 繰り返して行われることとしての「始まっている」も、あるのではないでしょうか。 そこで思ったのですが、継続的な行為と、繰り返し起こること、をつなげるからおかしくなるのでしょうか。 ご意見、よろしくお願いします。

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