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武士道は日本以外でも成立するか

武士道とは日本古来からあるものですが、 死の心構えをもって戦いに望むという気概であれば、 別に日本以外でも武士道精神は成立しうると思うのですが、 日本以外の国で武士道精神が成立していた かどうかに関して詳しい方がいたら教えてください。

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  • kawakawa
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回答No.3

西洋の騎士道は契約によって成り立っているものであり、死をもって戦いに挑むというより、契約を履行することを至上の目的としているようですが、いざとなると降伏あるいは逃亡することも珍しくなかったみたいです。ヨーロッパではスイス人傭兵やグルカ兵が自国の騎士よりも信頼されている国が多かったようですから、本当の騎士道も実践者は少なかったのでしょうか。逆にいえばスイス人傭兵やグルカ兵は武士道精神を身につけていたのかも知れませんネ。 自分の死をもって戦いに挑むというのは古代中国では比較的多かったようですね。項羽と劉邦の時代から自分の信念や主君のために喜んで命を捨てた話しはきりがないですね。これなんかは一種の武士道精神かもしれませんが。 もっとも、武士道というのは世界一平和だった日本ならではの精神文化かも知れません。戦乱が絶えなかった他の国々では同一のものは育ちにくかったようにも考えられます。死を覚悟して戦う人ばかりだったら、すぐに持ち駒がなくなってしまって滅びてしまいますからネ。

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  • fujinoki
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回答No.7

新渡戸稲造(五千円の人)の「武士道」を読むと真の武士道は、日本でしか成立しないように思う。

  • ARC
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回答No.6

主君のために命を張るって考えは、イタリアのマフィアのおきてに通ずるものがあるような気がします。 厳格な縦型社会で、上の命令には絶対に服従ってとこも同様ですし… う~ん、ゴッドファーザー!(謎)

  • TCM
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回答No.5

 「死の覚悟をもって事にあたる」のは、洋の東西を問わず、また時代を下っても成立していることだと思います。この件について、映画で外国人の意識を垣間見たことがあります。それは「アビス」の主人公(エド・ハリス)が核弾頭の爆発を止めるために深海に臨むという場面です。主人公は深海から妻に「片道切符とわかっていた」と答え、死を覚悟していたことを明かすのですが、私は案外アメリカ人もそういう感覚を持っているんだなと強い印象を持ちました。もちろん、これは他者をまもるための自己犠牲の精神ではありますが、同じ人類の精神性にそんなに大きな違いはないというのが私の主張です。  ところで日本の武士だって荘園をまもる武装集団にはじまって、禄を食むということで主人と契約関係にあったわけですから、ビジネスライクといえなくもないですよ。山本常朝の『葉隠』はあまりにも有名ですが、これは戦闘からはるかに遠ざかった平和な江戸時代での著作であり、戦国時代の武士の意識を反映しているかどうかはわからないと思います。

  • hrs
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回答No.4

さて、通じるか通じないかと言えば通じるし。 通じないかもしれません。 ので、通じなかった例をひとつ。 日本の戦国時代に中国に攻めに行きました。 当時の武将達は自分が何者かを名乗ってから いざ、戦開始と言う流れでしたが。 そんなの、中国の人たちは知ったこっちゃありません。 容赦なく名乗ってる最中に攻撃を仕掛けてきます。 (まるで戦隊モノのお約束をぶち壊すかのような) とまぁ、こんな感じで。 ―――ってずれてますかな・・・?

noname#1986
noname#1986
回答No.2

そもそも武士道とは何ぞや?と思って広辞苑を引いてみたのですが…感覚的に日本以外では成立しないような気がします。kokotaroさん説もありかな、と思うんですが外国のそれはもっとドライなような気がします。

  • kokotaro
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回答No.1

あります。 言葉は違いますが、騎士道精神、ジェントルマンシップなど、西欧などであったと認識しています。 言葉を変えると、日本と西欧以外でこのような言葉は無いのではないでしょうか? 詳しくないですが、失礼します。