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宗教に走る人
現実の世界で、 もっと金持ちになりたい、もっと高い地位につきたい と思って、懸命に頑張る人と、 宗教に走って、 幸せになれるようにと懸命に祈願する人は、 両者とも、願いを叶えるために行動しているだけなので、 似たり寄ったりということでしょうか?
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私の場合でお答えしますと・・・ 自分の気持ちが前向きで、ポジティブに物事を考える事が出来る精神的に安定している時には、努力を惜しまず“頑張る”事ができます。 しかし、気分が鬱状態でネガティブになり、“頑張れない”状態の時には風水だの星占いなどという占い程度の物に走り、更にその後宗教にすがろうとするのではないかと思います。 精神状態の差だと、私は思います。
前者・・・上昇志向。 後者・・・他力本願。 なので、両者は別物だと考えます。
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回答ありがとうございました。 >後者・・・他力本願。 ある意味、「甘えの意識」が垣間見えるということかも 知れないですね(笑)
- jun95
- ベストアンサー率26% (519/1946)
宗教の中には、自分で修行するタイプのものと、そうでないものがあります。そうでないものは、病気を治す目的が一番多いと思います。 主として病気を治す宗教は、お金をたくさんとられるので、基本的には、お金を貢いでいるのにすぎません。 それに対して、金持ちになろうと努力する人は、お金を稼ぐ人です。そして、有り余ったお金を浄財として宗教に寄附したりするのはよい行いだと言えます。 よって、全く違うといってよいです。
お礼
回答ありがとうございました。 貢ぐのであれ稼ぐのであれ寄付するのであれ、その目的が 「己の幸せ」にあるとしたら、いずれも欲しているものは同じ と言えるのではないでしょうか?
- babuo
- ベストアンサー率17% (177/993)
ちょっと違います。 宗教に走る人は大きく2通りあります。 ・実の世界で、金持ちになり、もっと高い地位についた人間が今度は自分の不安を解消するために宗教にすがる人 ・地位も名誉もなく(もしくは失った)人が幸せになれるようにと懸命に祈願する人 といった両極端です。 ですから、意識の高い人が多いでしょう。 人は皆、何かにすがりたいのですから・・・。
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回答ありがとうございました。 >・実の世界で、金持ちになり、もっと高い地位についた人間が今度は自分の不安を解消するために宗教にすがる人 現実の世界で金持ちで高い地位にあっても、宗教に 無縁の人は沢山いると思います。 そういう人達は、宗教の力を借りなくても精神の安定 を保てるのでしょうから、宗教に走る人より精神性が 高いと言えるかも知れませんね。 >・地位も名誉もなく(もしくは失った)人が幸せになれるようにと懸命に祈願する人 金持ちになりたい・高い地位につきたいと思って現実 の世界で努力している人達も、金や地位を得ることが 幸せにつながると思ってのことだと思いますので、幸 せを求めての行動ということでは、宗教に走る人も走 らない人も、動機は同じではないでしょうか? ですので、どちらの方が意識が高いとは言えないよう な気がしますが。 ただ一般的には、現実的な行動を取る人の方が評価 されることが圧倒的に多いと思います。
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お礼
回答ありがとうございました。 >精神状態の差だと、私は思います。 精神状態の差によって手法は違ってくるとしても、 目指すところ(=自己利益)は同じであると受け止 めましたが。