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東京ドームでタイソンに勝ったダグラスについて

先日たまたま友人宅でマイクタイソンとジェームスダグラスの 試合のビデオを見ました。90年2月、東京ドームでの試合です。 私は今のトラブル屋のタイソンしか知らないのですが、 当時最強だったというタイソンが、初ダウンそしてKO負け、 しかも日本で。当時はすごい騒ぎだったでしょうね。 で、このダグラス選手はこの後どうなったんでしょうか? この試合以降の戦績がわかれば教えてください。 またタイソンに勝ったことで米メディアの反応はどうだったかも 知りたいです。

みんなの回答

回答No.4

 すみませんちょっと表現が適切ではないですね。  後段の個人的な意見はタイソンに関するものです。

回答No.3

 参考URLをごらん下さい。  下に行くほど古い記録となります。  ご覧のとおり、初防衛戦でイベンダー・ホリフィールドにKO負けでした。タイソン戦時よりかなり体重を増やしてこの初防衛戦に臨んでおり、陣営は「パワーアップだ」と述べていましたが肥満したのは誰の目からも明らか、ほとんど為す術なくクルーザー上がりの小柄なホリフィールドにKOされました。  その後は、パッとしないボクサーを相手に平凡な試合を繰り返し、8勝49敗4ドローというカマセをKOしたのを最後に引退しています。  この試合では、ダグラスもダウンしていますが、この時のロングカウントが焦点になりました。というのも、ダウンした時から、リングサイドのコミッショナーがカウントを開始し、レフェリーはダウンを取った選手をコーナーに下がらせたあと、リングサイドのカウントを引き継いでカウントを始めるというのが普通です。しかしこの時、何を思ったかレフェリーはタイソンを下がらせたあと、1からカウントを再開したのです。数秒間ですが、ダグラスは儲けたことになります。  このカウントが通例どおり行われておれば、タイソンのKO勝ちだったのではないか…ということです。裁判沙汰になり、JBCからも証人を何人かアメリカに送り込んでいます。この裁判はかなりの注目を集めました。結局、「リングの上ではレフェリーの判断がすべて」という理由で、勝負がひっくり返ることはありませんでした。  個人的なことを言わせてもらえば、恩師カス・ダマトが「ドン・キングとは関わるな」と言い残したのを無視してキングと組んでゼニゲバになり、ボクシングも緻密さをなくし荒っぽいだけになっていたタイソンが、取りこぼしをするのは遅かれ早かれ当たり前だと評価していました。まさか、それが日本で現実になるとは思っていませんでしたが。  その後はリング外でのゴタゴタばかりがニュースになり、K-1のボブ・サップにターゲットにされるなどすっかりイロモノ扱いされてパッとしない最期を迎えたのはご存知のとおりです。  また、昨日ぐらいでしたか、試合前にコカインを常用していたのも本人が明らかにしました。「勝負師には当たり前」くらいの感覚で、悪いことではないと思っているようです。

参考URL:
http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=584&cat=boxer
回答No.2

当時の新聞記事が読めますよ。 参考URLを見てみてください。 近況はちょっとわからないですね~

参考URL:
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/90/90s5f1.htm
noname#136764
noname#136764
回答No.1

初防衛戦でホリフィールドと対戦し、いとも簡単にダウンして起きようとしなかったのをおぼえています。 ダグラスには、ダウンカウントが1ミリオン$、2ミリオン$、・・・とファイトマネーを数えるように聞こえただろうね、というような戦評でした。

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