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警官
江戸幕府の頃、「警官」を何と呼んでいたのでしょうか。
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- izumokun
- ベストアンサー率30% (1129/3679)
与力と同心と中間です。これらは、幕府・諸藩の職制に組み込まれていましたが、小者は中間の下位にあって、走り使いされており、職制に組み込まれていません。 与力は現在で言えば、都道府県警の本部長にあたり、同心が部長~係長クラス、中間が巡査クラスにあたります。 岡引・目明しについては、No.3の方が言われる通りです。
- simox
- ベストアンサー率50% (195/383)
江戸幕府の頃の「江戸」に絞って、知る限り。 江戸の警察権は、幕府が持っていました。 公安警察の責任者にあたるのが「目付」、 治安警察の責任者が「町奉行」になります。 一般的なイメージの「警官」はこちらですね。 (大岡越前とか遠山の金さんですね) #警察権の他に裁判権も持っていたのはドラマのとおりです 現代で言えば「警視総監」兼「裁判官」ってところでしょうか。 で、町奉行の下で警察事務を担当していたのは、「与力」「同心」になります。 幕府から知行されている武士で、いってみれば公務員。 必殺仕事人の中村主水なんかはこれですね。 で、同心の下には「中間」「小者」という部下がついてます。 ここら辺までがいわゆる正規の「警官」でしょうか。 岡引、目明し、といった類の人々は、同心が個人的に雇っている、いわばインフォーマルな捜査機関です。 密告者、情報提供者としての性格が強く、正規の逮捕捕縛権限はなかったということらしいです。 もちろん、同心の監督下で捜査も行いますから、これも警官の中に含めてもよいかもしれませんね。 これとは別に、自治警察とでもいうべき「自身番」というのが町奉行の監督下に組織されており、 素性のはっきりしないものの通報や、逮捕捕縛の手伝い等を行っていたということです。 自身番が詰めていたのを木戸番屋といい、町内会兼交番兼区役所出張所、って感じでしょうか。 そんな感じです。ひとまず。
- jakyy
- ベストアンサー率50% (1998/3967)
江戸時代は奉行所があり,同心、岡引が番所につめて 治安を守っていました。 これが今の警察官ですね。 交番というのは,江戸時代の番所のことですね。 下記のサイトをお読みください。 http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-mei/koban1908.htm
お礼
ありがとうございます。
- taknt
- ベストアンサー率19% (1556/7783)
おかっぴき でしょう。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。