>気象衛星などの情報がなかった時代、どのように「こりゃ台風が来るぞ」といってその危険に備えたのでしょうか?
「こりゃ台風が来るぞ」と思う以前の問題です。
気象学が発達する以前は「人間が台風を台風だと認識していなかった」ので「台風が来るぞ」と思う事さえ出来なかった筈です。
台風を台風だと思って無かったのですから、経験と勘で「この嵐はでっかいぞ」と思うのが関の山です。
台風とは「人間が、ある気象現象に対して定義した物」であるので、まず、前提として「ある気象現象を人間が観測する事が出来なければならない」のです。
この「定義」は「観測」に基づきますから、まず「観測できなければならない」のです。
「観測」とは「観て測る」ですから「見えただけ」「観ただけ」では観測と言えません。例えば「中心付近の最大風速が秒速○○メートルある」と「測って数値化」できなければ観測とは言いません。
台風の定義は「熱帯や亜熱帯の海上で発生した低気圧(熱帯低気圧)のうち、中心付近の最大風速が秒速17.2メートル以上になったもの」ですから「どこで発生したか?」が明確じゃないと台風と定義できません。
「どこで発生したか?」を明確にするには「気象衛星での定時観測」が必須です(とは言え、気象衛星でなくとも、熱帯の海上の定点で観測する気象観測船を浮かべておいて、そこで観測した結果でもOKだと思いますが。気象衛星が無かった時代は、観測船を使っていたと思います)
台風と定義する為には「発生したのは熱帯らしい」では駄目なのです。明確に「熱帯です」とか「亜熱帯でした」とハッキリしてないと駄目なのです。
気象衛星が無かったり、低気圧を低気圧だと観測する機器も技術も無かった時代、更に言えば、低気圧というものが定義されてなかった時代には「台風と言う定義が無かった」ので、ただの嵐も低気圧も台風も、全部ひっくるめて「嵐」だったのです。
そういう訳で、経験と勘で「この嵐はかなりデッカクなりそうだから気を付けよう」と言う備えはしていたと思いますが、台風を台風だと思ってなかったので「こりゃ台風が来るぞ」と思う事そのものが不可能でした。
台風の無い時代に台風に備える事は出来ませんし、車の無い時代には「信号の無い交差点では車に気を付けよう」と思う事は不可能です(町角の辻で暴れ馬に気を付けるくらいはしてたでしょうけど)
お礼
ここまでのご回答がいただけるとは思いませんでした。 ありがとうございました。 >ただの嵐も低気圧も台風も、全部ひっくるめて「嵐」だったのです。 これほど気象予報の技術が向上した現代でも、自然災害で命を落とす人が毎年あとを絶たないのですから、当時はどれほどの被害だったのか想像もつきません。 信号待ちしている車が、何の前触れもなく、突然後ろから追突されるようなものですもんね。