- ベストアンサー
横綱朝青龍について
先日、秋場所で優勝した横綱朝青龍がガッツポーズした問題で騒がれてますが、なぜ否定があるんでしょうか?喜びの表現方法のひとつなので、何の問題もないと思うのですが・・・。相撲界に詳しい方教えてください。朝青龍は、ほかでも色々騒がれていますが、なぜなんでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ガッツポーズは本来日本の文化ではないし、勝利を寡黙に受け止めなければならないという武士道精神の伝統がある相撲界にとっては受け入れられないのでしょうね。つまりガッツポーズは敗者への敬意を大切にする武士道精神に反するという事です。 でも相撲が伝統を守るというのならば高見山以後に本格的に外国人に門戸を広げ国際化した事が矛盾ですし、その外国人に対して過剰に日本の文化を押し付けても、結局は体格に勝る外国人力士が活躍してる状況に苛立ちがあるのでしょう。個人的には負傷やバッシングの苦境を乗り越え優勝してナチュラルに喜びを表現した朝青龍のガッツポーズは、相撲をスポーツと見た場合には何ら問題ないと思いますが、日本文化の伝統にこだわる相撲協会のお偉方には理解する事は出来ないのでしょうね。国際化して久しいのに外国人力士に日本人の伝統的な美徳を完璧に求めるのは無理があります。 朝青龍の行動は他の”スポーツ”ならば何ら問題があるとは思えませんが、超保守的で閉塞感がある相撲界では異端児扱いですね。特に横審の女性は個人的に嫌いという感情が先走って、横審に参加する資格がある著名な文化人としての資質に問題があるように思います。彼女にしてみれば朝青龍の存在自体が気に入らないので優勝しても重箱の隅をつつくのでしょうね。同じ日本人としてその姿勢に武士道精神が感じられず疑問があります。
その他の回答 (2)
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>横綱朝青龍について ↓ 大相撲に対しての見方・価値感と力士への期待・イメージが、多様化していると思います。 単純に批判・否定オンリーではないと思います。 <順不同> スポーツ・国際化と伝統競技(国技とか神事)の両面を持つ大相撲・力士の問題なので、髷が必要かどうか、外出時の服装規定、仕切りや禁じ手の問題と似て、合理性・必然性だけでの評価・判断は難しい。 私は、それが「大相撲」だと理解し、土俵上でのガッツポーズは誰が何時行っても注意すべき行為だと思う。 (しかし、それは入門時からの全員への徹底指導と、日頃からの躾であり、純粋に土俵上の美意識や心構えとして,ガッツポーズを注意・指導するのは賛成だが、今回のように他の問題・横審委員の好悪感情と関連しての攻撃の口実のような批判姿勢には賛同しません) ◇心技体を求められている〔特に、横綱・大関の地位にある者に〕が、心の部分で謙虚さ・惻隠の情・敗者への労わりや敢闘を称える美徳に欠ける行為。 ◇相撲の起源が神事であり、神への奉納や報恩の行いに相応しくない、私情や感情を抑えてこその神前での相撲。 ◇それが、大相撲だと言う→美的感覚・様式美・伝統である。 これは歌舞伎とか古典落語や女人禁制の山岳信仰等に決りがあるように、スポーツにもルール・競技マナーがあるように明文化してるか口頭&暗黙の伝承かは別として、一つの約束事や伝統として心構えとして存在している。 ◇求道の精神境地としての身だしなみと心構え、美徳としての、戦いの後の処し方、勝者となっての敗者へのねぎらい・いたわり・相互の尊敬の念を古来、武士の心やたしなみ、死生観等の源流に遡る、我々日本人の感性・価値感・アイデンティティ・DNAにも関わる。 ◇行き過ぎた感情表現や敵愾心(にらみ・恫喝・危険な張り手の連発・勝負後の駄目押し)を闘志だとかスリリングだと喜び、楽しむ競技・興行もあるだろうが、相撲は相撲である。 そこには、時代と共に変わるものと変えてはならないものがある・・・ 当事者(力士・相撲協会)関係者(審議会メンバー・マスコミ・ファン)の中でも、意見や価値感、評価は異なるかもしれないが、私は考え方や心構えを変えるなら変えるで、全員に指導徹底・周知徹底を行うべきであります。 現在、ガッツポーズを、あえて奨励したり、助長承認するような意義・意味・必然性や利点はどこにも無いと思います。 問題を大騒ぎする事も、慌てて、必要以上の押し付けは心底からの納得や反省が無い限り→土俵上の所作へ萎縮やパニック、外人力士への差別&偏見に繋がっては、本末転倒、大相撲人気の回復には逆効果にしかならないと思います。
- sotom
- ベストアンサー率15% (698/4465)
相撲協会が外国人嫌いだから。
お礼
詳しく記して頂き大変にありがとうございました。