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力士が土俵上で悦びを表現する・・・許せる?許せない?
例によって朝青龍、ガッツポーズをしましたが横審から「物言い」が付きました。 即ち“品格に欠ける行為”ということだそうです。 人間であれば誰であっても、うれしいことがあったら無意識に悦びを表現してしまうものだと思います。 ましてや、スランプに陥っていた後の1勝なり優勝は、悦びもひとしおだと思いますが、どんな時でも、勝っても負けても「仏頂面をするのが力士の品位」というものでしょうか? さて、朝青龍に限らず、力士が土俵上で悦びを表現するのは “許せる?”“許せない?”
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「片頬三年」。 三年にいちど頬にちょこっと笑顔をうかべるだけ。 昔の男はそれくらい笑わなかった。それが男の美学だった。 チョンマゲ結ってるんだから、昔の美学は守ってくれよ。 ああそれなのにそれなのに、 ニコニコしてガッツポーズだとお!気が狂ったか。 といわれてもしかたのない振舞いなんだけど、 正直、見た目はわるくなかった。 ドラマチックな優勝に、あの振舞いはマッチしてた。 でも立場上、横綱審議委員会は文句はつけるだろうな。 朝青龍も反省してるので、一件落着。
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- mota_miho
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全然問題ありません。人間の自然な感情の表現です。 文句つけるより、彼を倒せる力士を育てることが相撲協会の課題です。
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回答を頂き、ありがとうございます。 >人間の自然な感情の表現です そうですね、思わずやってしまうことってありますね。 それを許さないというのは、すごく厳しい世界だと思います。 自分の感情を殺して生活しないといけないですね。 ありがとうございました。
- lottefan306
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小生は「許せる」です。 もちろん1つ勝つたびにやるというのはNGですが、優勝が決まる一番に勝って出るのは自然の流れ。問題ないと思います。 そんなこと言ったら、サッカーなんか得点のたびに走り回ってますし、野球だってそれに近いものがあります。相撲だから駄目だという気持ちもわかりますが、同じスポーツなのですから今の時代にそぐわない気がします。
お礼
>同じスポーツなのですから今の時代にそぐわない気がします そうなんですね。 伝統や格式と、一方では時流に乗らないとジリ貧になってしまうというジレンマと・・・ その葛藤の中で一番もがいてるのが協会かも知れませんが、いかんせん体質的に旧態依然としたものが蔓延してますから、どこまで刷新できるかは分かりません。 もしかしたら「ジジババの見る娯楽」ということでいいのかも知れません。 回答を頂き、ありがとうございました。
相撲の精神には、「相手の気持ちを慮る」と言うことがあります。 そこから考えると、ガッツポーズをすることは、負けた相手への 思いやりに欠けていることになり、感心できる行為とは言えません。 …と言うのが教科書的な回答なんでしょうが、今は観衆の感覚も 変わってきていますし、自然に出た物であればかまわないと思い ます。初場所の朝青龍について言えば、復活できた喜びと、この 横綱の強さの源でもある反骨心--『場所前に引退だと言いやがった 連中ども、これが俺の力なんだ、見たか!』と言う気持ち、これが 無ければ強くなれません--、それに朝青龍ならではのサービス精神 が混じったのでしょう。それが良いか悪いかは意見が分かれるところ でしょうが、忘れてはならないのは相撲は勝負であること、勝負は 勝者の論理のみが正論であることです。 また、ガッツポーズは、別に朝青龍が元祖ではなく、逆鉾(今の 井筒親方)も、金星を挙げた時に土俵上でやったことがあります。 尤も、その時は後できついお叱りがあったそうですが。
お礼
正調ですね! ならば・・・ >相手の気持ちを慮る そのへんがすごく武士道っぽいですね。 戦国時代は、負けた武将に追い討ちをかけることはしなかったし、雑兵はともかく主級クラスの首に対しては礼を持って接していましたね。 それはともかく・・・ 「強すぎる横綱の礼節に欠く行為」というのは、もしかしたら協会にとっては黒船だったのかも知れません。 どうしたらいいの? 今までの体制でやっていけるの? でも強いし、朝青龍は言い意味でも悪い意味でも「人(お客)を引っ張ってくる人気」があるし・・・ 北の海とか千代の富士みたいな後継者が、ずっと綱を張っていたら安泰だったんですね、協会にとっては・・・ 回答を頂き、ありがとうございました。
- Claudio
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許せます。 力士といっても人ですから。 それまでの経緯には許せない面があるのも確かですが、 同じ伝統競技である柔道では何も言われないのに、なぜ横綱だけが?という疑問が浮かぶのも確かです。
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思わず感情として出てしまうこともあるでしょうが、それを封印することを美徳としている世界は、一種独特ですね。 剣道の世界でも、喜んではいけないそうです。 回答を頂き、ありがとうございました。
- mixture007
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真剣に稽古し対戦してくれた多くの相手が居てくれたことに敬意を示すべきだ。 相手がいなくちゃ横綱も何もかにも無いよ。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 なるほど。 ガッツポーズはそういう人たちから見たらどう映るんでしょうね? 下位の力士も同じように練習してきて今の実力なんでしょうから、“いつかは朝青龍みたいにポーズをしてみたい”と思うんでしょうかね。 勝負の世界ですから、俺たちのおかげで勝てたんだから・・・なんていうヌルイ考えはないと思いますけど、どうでしょう? ありがとうございました。
力士は感情を表に出さず、常にポーカーフェイスでいることが美徳でありあるべき姿でした。朝青龍はそれを見事にぶち壊してくれましたね。正直ガッツポーズや緩々の表情はやめてほしいです。 ただし朝青龍の強さは認めます。
お礼
強いから許される部分と、強くても許されない部分があって、きっと横審の言う「品格」は、強い弱いは関係なく力士である以上は保つべき規範としてみているのだと思います。 そこに風穴を開けてしまったから大変なんですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- bagnacauda
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相撲は結構好きで長く見てきました。 僕は、 朝青龍が土俵上でガッツポーズするのは許せます。 理由は、彼は相撲の「天才」だから。 他の力士は駄目です。 普通の力士だから。 白鵬もいけません。似合わないから。 朝青龍って力士は、戦後の相撲取りの中でも異能の天才力士です。 だから、彼なりに「様になれば」何をやっても、勿論非難はしますが、結局は許すべきです。 問題は、天才でもない普通も力士がそれをまねることだと思う。 そうしないためにも、心の中では朝青龍は例外として許しながら、形式的に非難を激しく繰り返し、彼をヒールにする必要があります。 そんなことは、朝青龍以下、内心では関係者はみ~~んな思っていると感じています。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 天才vs凡才で品格のスケールがぶれるのも問題ですね。 一連の行動が目に映るので、なおさら槍玉に挙げられやすい、ということは言えますね。 ありがとうございました。
- nishikasai
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日本人は時代の変遷がわかっていない。頭が固い。 昔、日本は貧しい国だった。東洋のはずれにある神秘の国だった。まあ言ってみればブータンのような国だった。そういう国のスポーツならやりたいようにすればよい。 しかし、今は違う。日本は経済大国で国際的に影響力の強い国になった。現実として日本のスポーツに世界の人が集まってくる。もう昔と同じようには行かないよ。外国人が横綱になれば喜びの表現も違ってくる。喜びの表現まで制限すべきではない。そんなことまで制限するなら外国人を入れるなよ。野球と相撲を比べてみろ。外国人力士はよく日本語を覚えている。偉い! それだけで十分だ。プロ野球の助っ人なんか一言もしゃべれないじゃないか。横綱と言ってもまだ二十代の体育会系青年だ。品格なんて難しいものを求めるんじゃない。いまの朝青龍くらいあれば十分でおつりが来る。証拠をあげようか。君が代だ。朝青龍は胸に手を当てて君が代を歌った。日本人力士の誰がそんなことをした? 朝青龍は立派だ。応援してるぞ!
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 なるほど、横審なり協会の言う「品格」の意味するところを、メンタルな部分でなく、単に見た目の行動で捉えているから問題なのでしょうかね。 高見盛の気合を入れるポーズに一時期「物言い」が入りましたが、人気が出てきたら黙認でしたね。 朝青龍と高見盛を同列で語るわけにはいきませんが、かたやOK、かたやNOというのは、品格に照らし合わせて「物言い」するにはちょっとぶれているような気がします。 ありがとうございました。
「日の下開山」が勝ったくらいで喜んではダメでしょう。 勝つのは当たり前、負けるのが異常事態。なのが横綱ですから。 横綱は「神に近い存在」として認められ、それゆえの扱いを常日頃から受けています。 「人間であれば」には当てはまらない存在だと私は考えています。
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なるほど、そこまでの域に達したら、全てに於いて超越してるんですね! だったら俗的な振る舞いはいけませんね。 回答を頂き、ありがとうございました。
どちらかと言えば、「許せる」。しかし、三役以上の役士は控えるべき。ましては大関、特に横綱は論外。「勝つ」事を極めた者がそれをあからさまに表現するのは見た目にもみっともない。と私は思います。まして。優勝を何度も経験している横綱なら、なおさらでしょう。ただ、まだ幕内に上がったばかりの関取が上の者に勝ったりしたなら、それが感情の極みから湧き上がったものなら、逆に拍手を送るでしょう。 だから、朝青龍よ、もういい加減にわかってくれ・・。と・・。ここは日本国だという事を。お前さんは強いという事も・・。そして、頂点に立っているという事。それはどういう事なのか。長い歴史がある日本の相撲、とりわけ横綱。その歴代の輩たちはどんな振る舞いをしていたのか。自ら紐をとく必要があるだろう・・。わたしは思います。もう、遅いかもしれないけど。
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回答を頂き、ありがとうございます。 >だから、朝青龍よ、もういい加減にわかってくれ なるほど。 軽卒という言い方も何ですが、もっと重厚に構えて“それらしく”ということですね。 範とならないといけませんね。 ありがとうございました。
お礼
沈黙の美学というか、何も語らず肩で語る、ということですね! 回答を頂き、ありがとうございました。