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なぜ文章は思い出せるのに映像は思い出せないのか

 こんにちは。  質問内容はタイトルの通りです。  文章はたとえば『日本』はもちろんのこと『私は人間です』など、文章はたくさんの種類をほぼ一生思い出せます。  一方映像つまり人の顔や風景など、視覚情報はすぐに忘れてしまい、思い出すことが困難です。  この差は一体なぜ現れるのでしょうか。  皆さんの知恵をお貸しください。よろしくお願いします。  

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  • ruehas
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回答No.5

こんにちは。 文章や出来事とのように言葉で言い表せる記憶を「陳述記憶」といい、風景や音など、言葉では説明できないものを「非陳述記憶」と言います。そして、誰にとっても「陳述記憶(言葉にできる記憶)」の方が覚えやすく、思い出しやすいです。これは心理学では定説です。 「何時、何処で、誰が、何をしたか」 言葉で言い表せる出来事といいますのは単語に置き換えられ、主語・述語や脈絡などによって整理することができます。このため、記憶するにも思い出すにも矛盾は発生しにくいです。まして、文章といいますのはもともとそのルールに従って整理された情報です。因みに、これを言語情報に置き換えずに全て音声情報で記憶しようとしますと膨大なデーター量になります。 これに対しまして、視覚や聴覚などの感覚情報は「丸暗記」しなければなりません。そして、思い出すときもそれを論理的に組み直すというのがたいへん困難です。しかも、言葉や文章にできないため、我々はそれを「大脳の感覚連合野」というところに自力で再現する以外に手段はないのです。このため、色や形を順序良く分類したり、目印や位置関係を記憶したりなど、我々は無意識に論理的な部分を増やすような工夫をしています。 聴覚記憶でも、音楽のメロディといいますのは規則に従って作られています。我々は歌のメロディを丸暗記するのではなく、音程やリズムなどによってある程度論理的に捉えています。歌やメロディとして再現できるという点では音楽も陳述記憶と同じです。 「非陳述記憶」といいますのは言葉で言い表せませんので、誰にとっても扱いづらい記憶です。では、それはいい加減な記憶なのかと言いますと、そうでもありません。 例えば、 「これは以前に見たことがある」 「もう何年も会っていないが、あれば間違いなく山田君だ!」 このとき大脳連合野では山田君の記憶を再生しているのではありません。目から入力された情報との脳内の記憶との比較を行っているのです。瞬時に判断が下せるのはこのためです。 そのまま思い出すのは難しいですが、我々は見たもの聴いたものを忘れてしまっているわけではありません。同じものを見ればかなり正確に判断をすることができます。これは、「記憶としての役割」というものが脳内できちんと果されているということです。 我々は家族や友人の声を聴き間違えるということはありません。いったい何人の知人の声を記憶しているでしょうか。脳内で正確な識別が行われなければ、我々は友達の声を聞き分けることはできないです。

noname#142902
質問者

お礼

 夕食時と思われる回答、ありがとうございます。  <文章や出来事とのように言葉で言い表せる記憶を「陳述記憶」といい、風景や音など、言葉では説明できないものを「非陳述記憶」と言います。そして、誰にとっても「陳述記憶(言葉にできる記憶)」の方が覚えやすく、思い出しやすいです。これは心理学では定説です。>ということは初めて知りました。  ついでに音楽を覚えやすいという理由まで書いてくださり、とても嬉しいです。音楽についてもメロディーを覚えて、いつまでも忘れないのが不思議に思っていました。疑問が更に解決しました。  素晴らしい回答、ありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#116741
noname#116741
回答No.4

 そう言われてみるとそうですね。あの時あの場所であの人に会ったな、という記憶はあっても、その場面をいま思い出そうとすると私の場合その情景は実は言葉からの再生に過ぎません。  ところが山下清は旅先で絵筆を取ることは無く、施設に戻った後で旅先で見たものを精密に書き上げたのだそうです。彼は視覚映像を記憶する事に関して天才でした。彼はサヴァン症であったのではないかといいます。現実の山下清はテレビの裸の大将の様な人ではなく、甥っ子に対して精緻な芸術論を語ったりしています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E5%83%8F%E8%A8%98%E6%86%B6 『ヒトでは幼少期にはこの能力は普通に見られ、通常は思春期以前に消失する。京都大学霊長類研究所の研究によると、チンパンジーの幼獣にも映像記憶の能力があり、そのためチンパンジーの子供の記憶力はヒトの成人を上回るほどである。この点から、知能の発達した類人猿では、野生の世界で生存するための手段としてこの能力が発達した可能性があり、その意味では原始的な記憶能力と考えられる。ヒトでは言語によって自然界の事象を抽象的に把握する能力が向上したために映像記憶の能力が衰えたとも考えられる。』  だそうです。  誰かのモンゴル紀行文の中で、日本人著者の顔憶えの悪さをモンゴル人に笑われる場面がありました。地図も無く大草原を移動して多くの家畜を扱う生活を続けていると原始からの映像記憶能力が保存されるのかもしれませんね。

noname#142902
質問者

お礼

 URLまで入れてくださったていねいな回答、ありがとうございます。  なるほど。人間は言語記憶の力が上がったから映像記憶の力が下がったということですね。考えたことすらない斬新な発想です。  人の場合思春期までは何事も丸暗記できると記憶術の本で読みました。(だから中学の勉強は一夜漬けでどうにかなってしまったのかもしれません)逆にその頃を過ぎると記憶の種類が変わり、理解しないと覚えなくなるそうです。  そういえば私も小学生時代の映像は意外と記憶しています。あなたの回答で気付きました。  とても参考になりました。ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

記号の特質に関係したことだと思います。言葉の起源というか言葉の優れたはたらきというべきか、言葉は記憶しやすいという特徴があります。ただ内容は意外にあいまいなことがあると思います。たとえば一年前に見た薔薇の花が赤かったということを覚えているのは赤いという言葉を覚えているので実際どのような赤かさだったかは覚えていないということがあります。こういう場合でもそのバラの色を覚えていたように思うのではないでしょうか。これが言葉の優れている点でもあると思います。言葉で言えないような色だったらおそらく何色だったか覚えていないと思うはずです。

noname#142902
質問者

お礼

 秋の夜長の回答ありがとうございます。  確かにあなたのおっしゃるとおりです。言葉が無ければ、何も言い表すことが出来ない。と、いう考え方(と私はあなたの回答を解釈しました)はなるほどと思いました。言葉を与えられてただの物体は初めてその存在を言い表せる。逆に言葉が無ければ全てはあいまいになるかもしれない。あなたのおっしゃるとおりバラの色も赤いだけでは足りなくて、その赤がどのような赤なのか、その言葉も覚えれば映像も忘れにくくなりそうです。  ちなみに赤ひとつとってもかなりの種類があるようです。  参考になりました。

  • slmn
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回答No.2

こんにちは。 これは、人によるのではないかと思います。 人間の脳は複雑で、みんな同じようには 動いていません。人種や脳の形、後天的な 要素など、様々な要因があって現在のあなた のように「文章」を覚えたり引き出したり するのに有利な ”クセ” を持った脳もあれば 「音」で覚えると何でも覚えられる脳もあります。 そして、おそらくモノを記憶する時に最も有利 と思われるのが「視覚情報を覚える脳」です。 学生時代、まわりで成績のよい人はこういう人 が多かったように思います。南方熊楠などは 人の家で見た百科事典をそのまま覚えて、自宅 でイラストまで正確に模写したといいます。   一言でまとめますと「人それぞれ」ということに なってしまいますね・・・。

noname#142902
質問者

お礼

 素早い回答ありがとうございます。  確かにその通りです。私の場合は日本語が好きだから文章に対して覚える力が強い、という考え方が成り立ちます。  南方熊楠さんのことは知りませんでした。すごい人です。  ちなみに脳のある部分が死んでしまうと、その分他の部分がその死んだ部分を閉めて、天才的と呼ばれる力を発揮することがあるそうです。  たとえば失礼な話ですが、最近話題の某ピアニストは目が見えないという脳の構造上での視力の部分の脳細胞にピアニストとしての才能を司る脳細胞が発展したと考えられます。  そもそも天才と呼ばれる人たちは大体はそのようになんかしらのハンディキャップを抱えているそうです。ゴッホは統合失調症だという説もありますし。LDの人たちも素晴らしい才能を持っている場合もあると聞きます。  とても参考になりました。ありがとうございました。

  • 4371743
  • ベストアンサー率26% (174/663)
回答No.1

これは私の考え方なのかもしれませんが。 映像情報というのはものすごく大きな情報です。 例えばメールなどで文章のみを送る場合と写真付きで送る場合では情報量の大きさが非常に大差であることはご存知かと思います。 人間の記憶もコンピューターのメモリーも大差ないものと私は思っております。 ただし、人間の記憶は容量をオーバーすると上書きされるが コンピューターのメモリーは人間が情報を消してやらないと一定以上は上書きできない。 この差は大きいと思います。

noname#142902
質問者

お礼

 素早い回答ありがとうございます。 確かにその通りです。テキストデータは容量が少ないです。たとえばパソコンの場合だと、1文字2バイトと聞いたことがあります。しかし映像情報の場合たとえば1024×768の壁紙をjpeg形式にしても最低100KBほどかかると経験しています。  ちなみにコンピューターのメモリーは人間の場合海馬に相当すると私は考えています。  とても参考になりました。

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