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外国で沢山の肩書きのある人

名誉勲章・名誉顧問・名誉所長・名誉博士等を、外国から非常に沢山授与されている人がいるとします。 外国はほとんどが発展途上国で、日本からは全く授与されていないとします。 また、その人がその発展途上国に長く住んで何かをしたということは全くないとします。 この人の沢山の肩書きに対して、やはり、深く敬意を示すべきでしょうか? それとも、違った受け止め方もあるでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • ithinosa
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.3

発展途上国だと、比較的お金の力でそういったものを得やすい状況にはありますね。 それをいいことに、そういったものを集めまくる人もいるようですね。 団体のシンボル的存在の人が、そういった諸々の肩書きを団体の宣伝効果にしているケースがあるようです。 冷静に考えてみれば、現地で活動している形跡がないのに、称号だけが燦然と積みあがっていくのは不自然極まりないです。 そんな不自然な称号のコレクションは、ある意味、独裁者が自らの銅像を建てまくることと似たようなものでしょう。

その他の回答 (2)

  • noruri
  • ベストアンサー率32% (48/149)
回答No.2

たくさんであろうと一つであろうと、肩書きに敬意を示すものではなく、その人の行ったことに敬意を示すのが通常というかあるべき姿勢ではないでしょうか。 その際に、肩書きは指標となりえるとは思います。肩書きがあれば、「この人はどんなことをしたのだろうか」と考えるきっかけにはなると思いますし、本人に質問することもできますし。 また、一つの立派なことをなしえたことで、いくつもの肩書きを授与される場合もあるので、いくつ持っているからえらいということではないと思いますが。 また、発展途上国に長くすんで何かをしていなくても、経済的援助や団体のオーガナイズなどで貢献することは可能です。肩書きを振りかざす人にいい人が少ないという悲しい現実はありますが、基金をより多く集めるために肩書きであれなんであれ持てるものを使って頑張っている人もいます。 いずれにせよ、肩書きだけでは、人間の判断はできないと思いますが、いかがでしょうか。

  • cellorist
  • ベストアンサー率22% (21/92)
回答No.1

沢山の肩書きは日本の国会議員も持っていますが顔を出すだけ、名前を貸すだけ、肩書きを借りるだけのことが多いのです。 ひとつの体しかないのですから肩書きに即した活動が伴わないのは誰が見てもわかります。 ですから多けりゃよいって物では在りません。行動が伴う事 また継続性も重要です。 それがあっての賞ならばひとつでも敬意に値します。 どこぞの宗教団体のオえらさんで金にまかせてやたらと賞を買いあさっている人を知っていますが 賞を沢山もらえば深く敬意を得られると思っているようです。 ちゃんとした普通の感覚がある人から見れば 敬意どころか軽蔑の対象でしかないのです。

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