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人生の勝ち負け、社会の上下
- 会社勤めをした経験がなく、無収入の生活を送っている私は、社会の上下や勝ち負けという共通認識において最も負けていると感じています。
- 現在は連れ合いの支えによって生活していますが、働かないことに罪悪感はあまり感じません。将来的には自分の好きな仕事に就くことを目指して勉強していますが、それでも時折不安を感じています。
- 社会的な成功を勝ち負けの尺度とする限り、誰しも負け組の存在は避けられません。人々が勝ち負けを求める限り、勝利には必ず敗北が伴うものであり、全員が勝ち組になることは不可能です。
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malzo様 少々きついことも申します。 読んでいますと、ボランティアなら掃除もするが職業としてはイヤ、というようなスタンスがうかがえます。 自分という人間の社会的経済的な最終価値が決まってしまうのを、先送りしたいのでしょう。そういうモラトリアムも長い人生必要かも知れません。 要するに、あなたのこれまでの価値観に照らしたら、紛れもなく自分自身が負け組なのでしょう? それを認めたくなくて、勉強したり(勉強するのはいいことだと思いますが)、更にまた、新たな勝ち負けの尺度を探しているのではないですか? 何事も勝ち負けや上下でしか考えられず、現実の自分の姿がその理想に追いつかなくて焦る、それがあなたのウツの原因の一つのように私には思われます。 いちど、その掃除の人に掃かれるちりあくたになってみて、最底辺からこの世を眺めてみたらどうですか?力が抜けて気楽になると同時に、自分に当たり前のように与えられているものに感謝したくなりますよ。 今までの価値観が危機に瀕しているということは、出口が近いようにも思われます。
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人間って何かと勝ち負けや上下をつけたがる誰かよりもうえでありたいと願う生き物なんだと思います。 だけど、私は就職や収入で勝ち負けはないと思っています。 そう思っている人はそう思っていればいいと思っています。(って主婦なんですけど…。) 私は人生楽しく幸せだな~と思いながらすごした人が勝ち組み(価値組み)だと思っています。 どんな仕事についても、どんな状況におかれてもそのなかで、楽しさを見つけたりする人はとてもすばらしい持ち主で、勝ち組み!! プラス思考の人はみんな自分が勝ち組みになれるような競争社会を自分の中で設定していて マイナス思考の人は自分が勝ち組みでない競争社会を頭の中で設定しているんだとおもいます。 私は、人生楽しいし、どんな状況でも何か楽しさを探していける自信があります。 (malzoさんのように、もし掃除の仕事であってもたのしさを見つけることができる、大人なのにちょっと夢見がちな変な人なんです私は。) だから、私は楽しく過ごしていけたら勝ち組みだ!!と頭で設定しているんだとおもいます。 最初に書いた収入がいいから勝ち組みと思っている人は自分が収入がいいから頭の中でそういう設定をしているんだと思います。 自分が勝ち組みになれる人生を設定したら幸せですよ!! 人生プラス思考で生きましょう!! これって質問とずれてますか…?自分的にはあってるつもりなんですけど、ちがってたらスミマセン…。
お礼
どうもありがとうございます。 「価値組み」ですか。いい言葉を教わりました。 わたしはなにも清掃係には決してなりたくないわけではなく、もちろんやったことがないから一方的な見方ですが、あまりやりたいとは思わない。それだけです。たぶん、自分がそれをやるような情況になったら楽しさを見つけようとするだろうと思います。 実は先日までバイトでやっていたのは今までやったことのなかった肉体労働だったのです。精神的にはほとんどと言っていいほどストレスは感じませんでしたし、「自分にはこういうこともできるんだ」という自信さえ付きました。 しかしいかんせん肉体的にきつく、他に何もできないくらいに疲れ果て勉強どころではありませんでした。 ホント、#8さんのおっしゃるように時間的に言えば90%以上はプラス思考なのです。でもときどき何%かは極端なマイナス思考になり、とても同じ自分とは思えないほどです。 そういうときに自分のような立場の人間をマイナス評価するような情報や言葉を耳にするとさらにド~ンと落ち込んでしまい、自分以外の赤ん坊から年寄りまでの誰もが自分より人生がうまくいっていると感じてしまうのです。 そうして周囲に自分とまるっきり同じ境遇の人はいないか?と探した挙句、いないと「やっぱり俺だけか・・・」と思ってしまうのです。 でもみんな境遇は違って当たり前ですよね。 いっときマイナス思考に陥っても、いつかプラス思考に戻れると信じて行こうと思います。
- carhakase
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度々こんにちは、お礼文ありがとうございます。 >しかしときどきそういったことが嘘に思えるほど落ち込んでしまうのです。わたしは社会の役に立っていないのではないかと。 自分の中に他人の目があるということでしょうか? そうですね、落ち込んだときにそう言った風に思ってしまうと言う事は、自分の中に他人の目があるのでしょう。自分に自信の無い事がその怯えとなって表れ、対処できない事が自己のマイナス評価になっていると思います。 けど世の中の何人が社会の役に立っているどうかを考えて生きているでしょうか、多分極々少数でしょう。別に今社会の役に立たなくてもいいではないでしょうか、今現在自分で打ち込める物を落ち着いて見つけて下さい。そのうちに何か見えてきますよ、社会の役に立つような事が。
お礼
どうもありがとうございます。 将来他人の手助けやアドバイスのできる職業に就きたく勉強しております。 しかし、「他人のためになることができなくてはいけなんだ!」「今のこんな自分ではそんなおこがましいことはできないんだ!」という思いが強く、本当にそんな仕事が自分にできるのかときどき不安になるのです。 でも、人のためになるとかどうかではなく自分のためにできることを目指して今の勉強をやっていこうと思います。 こんなにもみなさんがわたしを励ましてくださるので、先ほどから涙が止まりません。
人生の勝ち負けは、あなたの人生の満足度だと思います。あなたが、自分の人生に不満を持っている、若しくは負けたと感じているのなら、あなたは人生に負けているのでしょう。少なくとも、今は。人生勝ちっぱなしなんて、なかなかないと思いますので、そのうち大逆転もあるかもしれません。ただ、この勝敗を社会的地位で見るのは間違っていると思います。社会的地位の上下はどうしても存在します。貧富の差や、ピラミッドの土台の大部分を占める大衆層がいればピラミッドの頂点に立つごくわずかな人たち。セレブ?大金持ち?ラッキーなひと?もしくは天才?。でも、これはみんなの見る目で量った勝者と呼ばれる人たちです。 本当にこの人たちは人生の勝者でしょうか?社会的地位はある意味イコール勝利のようなところもあると思いますが、要はあなたの考え方次第です。本当はやりたくない仕事をしている人は世の中には多いと思いますが、実際以上にあなたがそう決め付けているかもしれません。趣味が充実しているのかもしれません。友達はものすごく多いのかもしれません。かけがえのない大切な家族がいるのかもしれません。その人が敗者かどうかなんてわからないのです。 私は幸せになって人生の勝者になりたい。私にとっては楽しんでいる人が勝者です。親友と呼べる友達がいて、家族がいて、毎日が変わりなくやってきて、楽しい会話、笑顔に囲まれている人生って幸せじゃないですか?穏やかな気持ちで毎日を過ごせるなら、その人は人生の勝者です。 お金も職もない、または職が不安定、低収入、、、などで、毎日が不安であれば、その時期あなたは今の人生に満足しておらず勝ち組みとは言えないかもしれません。しかし、あなたは勉強をしてまだ勝ち組みになるのをあきらめているわけではありません。きっと、今の自分に満足できなくて不安になっているのだと思います。あなたには思い描いている将来の自画像があると思うので、頑張ってください!努力するひとはきっと勝ち組みの道へと向かっていることと思います。あと、人生を楽しくする努力をしましょう!
お礼
どうもありがとうございます。 この世の中に勝ち負けはないはずだ!とわたしも思っていたんですが、そのことで悩むのはきっと世の中ではなくて自分の中にそれがあるんでしょうね。 ホント会社辞めてからこのかた、ずっとみなさんの励ましの回答と同じような気持ちでいれたのに、嘘のようにこのところ自信喪失状態なのです。 きっと軽い鬱がぶり返してしるんだ、と頭ではわかっていて主治医やカウンセラーも休養が必要だと言っているのに、無理して頑張ろうとしてるのかもしれません。 しばらく迷わずに自分の好きな勉強をマイペースで続けたいと思います。
- toshi3
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結局、なにが幸せかと言うことでしょう。高収入で高い地位にいても、不幸せの人がいますし。地位は低く少ない収入でも幸せな人もいます。 経済的、社会的成功がよいという価値観(物差し)で自分を計るか、生活に困らない程度の収入があれば、あとは趣味や家族との時間が大事と思うかで違うと思います。 誤解を恐れずにいえば、アメリカ的な競争社会の価値観とヨーロッパ的な人間本意の価値観があると思いますがどうでしょう。金持ちを尊敬(羨み)、貧乏人を軽蔑するという心の貧しい人間が多すぎませんか? 結局は自分のこころの持ち方次第では、ボランティアなんかして心を豊かにするのが、ホントの豊かさと思うけど。でも心を豊かにするのが一番難しいかもしれませんね。あと、人の評価に束縛されないのも難しいです。 わたしはスローライフで清貧な生き方もいいなと思います。大事なのは経済ではなく人ですよね。 ケセラセラ。
お礼
どうもありがとうございます。 #5さんのおっしゃるとおりボランティアの道も考えており、その気になればわたしにもできることはあるのでしょうね。でも自分も養えないのにボランティアなんておこがましいという気持ちがそれを遠ざけています。 「お金を稼がな奴はダメだ。」「定職を持たない人間はろくな奴じゃない。」というフレーズは誰が言ってるわけでもなく、自分の頭の中で繰り返されます。そんなのは嘘っぱちですよね。 ケセラセラ! で行きます。
- carhakase
- ベストアンサー率32% (51/155)
こんにちは、世の中を勝ち負けや上下に分類するほど自分がどの位置に居るのか、考えてしまいます。その考え自体が区別を付けているのではないでしょうか。優劣を付ける事が自分に対する評価であったり戒めであったり、それを他人に助言するなど、自分に対して自信の無い証拠です。 自分に自信があれば人との優劣など関係有りません。生活の為に好きでもない仕事をする大勢の人は負け組みかとの疑問、すべてその優劣を付けているのは、その人個人であって直接評価を付けられた人には関係有りません。 人間は自分の位置を確認して安心したいだけだと思います。例えば今の生活や仕事は隣の家の人より上だなと勝手に自分の価値観で優劣を定めて、その余韻に浸っているだけだと思います。 結果上に行かなければ負けか否かと言う考え自体が成り立ちません。それはただ単に他人の目であり、自己で良しとすれば、上に行けなくても、それまでの過程が自分で納得の行くものであれば自分自身の中では勝ち組になると思います。 自分の人生に他人の評価など関係有りません。悔いのない人生を送ることが、いいのではないでしょうか。
お礼
どうもありがとうございます。 以前、このサイトで世の中の不平等についての質問に、世の中にはいろいろな見方がある、というような回答をしたところ、「そんなことでは上の人になれませんよ」というような意外な「お礼文」をいただいたことがあります。 わかってないな、とは思ったものの何故か自分が突き落とされたような気分になりました。それ以来普段他の回答者の方を励ましているはずのわたしがかなり落ち込んでしまったのです。「上の人」って? 事実、治ったはずの病気なのに1年ぶりで抗鬱剤を処方してもらっています。 本当におっしゃっておられることはわかります。 しかしときどきそういったことが嘘に思えるほど落ち込んでしまうのです。わたしは社会の役に立っていないのではないかと。 自分の中に他人の目があるということでしょうか?
- kijineko3
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自分次第ではないでしょうか? 即ち、自分で負けと思ったら、その時点で負け。 他人から見たら負けているように思えても 自分が勝っていると思ったら勝ちでしょう。 >わたしはビルの清掃係にはなりたくありません。 >単にそういう仕事に興味が持てないからです。 >でもその仕事が仮に大好きだったら喜んでやると 思います。 >わたしはそういう職業は底辺の人のやることだと 見下していたのも事実です。 >でもその仕事が仮に大好きだったら喜んでやると 思います。 結局、何をおっしゃりたいのでしょうか? 好きだったら、清掃の仕事でもしていいだろうが 自分はそうではない。だから抵抗がある。 我慢してやったら、負け犬だろうかという 事ですか? もし、そうであれば清掃のお仕事をしている方 に対する侮辱かと思います。 職業に貴賎はありません。 立派な大学を出て、清掃の仕事をしている 年配の方を私は知っております。 何らかの事情があっての事と思っております。 しかし、その方は堂々としておられます。 一生懸命、仕事に徹しておられます。 その態度には、ただただ頭が下がります。 また、人間的にも立派です。感服しております。 その方は勝っているとは思わないかもしれませんが 恐らく負けとも思っていないでしょう。 冒頭に申し上げた、勝ち負けは自分次第という 所以です。 >こんなわたしにいろいろ言ってください。 お言葉に甘え、色々と申し上げました。 このような事で良かったのでしょうか? では。
お礼
どうもありがとうございます。 >もし、そうであれば清掃のお仕事をしている方に対する侮辱かと思います。職業に貴賎はありません。 かつてわたしはそういう風に侮辱していた時期がありました。 職業に貴賎はないのはわかっております。ただ、現にかつてのわたしと同じようにそういう職業を見下している場面に多く出くわすことがありますので、そういうひとつの例として出しただけです。すみません。 それに自分が目指している職業に就けなかったら、その人は負け犬だという発言もよく耳にします。 ですからこういう質問を出したのです。 街に出て歩いていると懸命に働いている人たちを見て、ときどき弱気になります。自分はなにやってるんだろうって。 「勝ち負けは自分次第」という言葉を忘れないようにしたいと思います。
こんにちは。勝ち負けは無いと私は思います。 上下があると思う人は、ずっとそのことや、自分の位置がどのへんか、かった負けた、 でも、おれは誰よりはまし、それにとらわれてしまうのでは? 結局、自分で自分を苦しめてしまうのでは? 勝ち負けは幻想だと私は思います。 もし本当に勝ち負けがあるのは、しあわせなのは世界でただ一人になってしまいませんか? 人の足を引っ張る人、優れた資質がある人を嫌う人、 自慢する人、勝ったという人ほど コンプレクスがありそうに、私には思えるんです。 自分を、中の上と思ってる人が 最も多い,ってヘンじゃありません?最も多いならそれは中のチュウではないかしら。そういう根拠で、上下、かち組、幻想だとわたしは思います。勝っていると思いたい、ただそれだけ、、、。 能力の差、生きるちからの強い人、そういう人は、いるし、個人の資質には差がある、でも、それがしあわせをは かる目安にはならない、と。思います。 私も試験勉強中、無職です。お互い頑張りましょう。
お礼
どうもありがとうございます。 >上下、かち組、幻想だとわたしは思います。 本当にそのとおりですね。 でもときどきその幻想に苦しめられます。 家内は「なにも焦ることはないよ。マイペースマイペース」と言ってくれてわたしを支えてくれます。 そんな家内にわたしは甘えているだけじゃないか、と思い、落ち込み、却って家内を心配させてしまう悪循環です。 励ましありがとうございます。
- PAPA0427
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はじめまして。45歳の男性です。子供2人です。 わたしも、3~4年前にリストラされました。それから2年間位はプーでした。いくら職をさがしても無かったんですね。家族のため、タクシー運転手、外回りの営業…etcなんでもやりました。 ご縁があって、今は外注ですが比較的安定した仕事をさせてもらってます。 あなたと同じ事を、当時は考えていました。ただ違うのは、負け犬と勝ち組みとかは考えませんでした。だって家族の為です。自分がしっかりしないと家族に迷惑を掛けることになる。その一心でした。 人生、上下ばかりじゃあないでしょう。前後左右もあるんですから。 できれば、仰ってるようにご自分で誇りを持てるお仕事につければ良いですね。エールを送らせていただきます。
お礼
どうもありがとうございます。 リストラですか。大変でしたね。 わたしは精神的な病気で会社を辞めました。 辞めてから1年半ほど経った頃には前にも増して元気になったのですが、最近になってちょっとしたアルバイトをリハビリのつもりで始め、その仕事が体力的にきつかったので辞めたとたんに、次に何もするエネルギーがなくなってしまいました。自分は怠け者だと感じる一方で「いや仕方がないんだ。しばらく休んだ方がいいんだ。」と自分に言い聞かせましたが、ときどきフッと不安がよぎることがあるのです。 「お前は社会に何も貢献できていない怠け者。」 そういう声が自分の中から聞こえることがあります。 別に安定した仕事にすぐに就けなくてもいいです。でもちょっとしたパートタイムもする元気がないのです。 おっしゃるとおり前後左右も見て行こうと思います。
お礼
どうありがとうございます。 すみません。どうも清掃係のことが引っかかっているようなことばかり言ってしまって。別に清掃係のことはわたしの仕事の好みから言ったら好きではない部類に属すると言ったまでです。どうかどうか職業の好みを持つことをお許しください。 >何事も勝ち負けや上下でしか考えられず、現実の自分の姿がその理想に追いつかなくて焦る、それがあなたのウツの原因の一つのように私には思われます。 そうなんですね、やっぱり。 わたしはまだまだ甘いということなんですね。 肉体労働やってるときも、電気工事の人にいわれもなく怒鳴られ、こっちが「おはようございます」と言っても挨拶ひとつ返してもらえず、自分の息子のような年齢の人からバカ呼ばわりされて、職業差別の最たる現場にいて、それでも平気でいられたことが自分の自信になったと思っていたのですが、まだまだでしたね。 勉強もごまかしのひとつだったってわけですね。 やっとわかりました。 今までこのサイトでいろいろな人に偉そうなアドバイスをしていたのはわたしの単なる驕りでした。 すみません。皆さん。今までの失礼をお許しください。 ホントにホントに自分を曝すのが恥ずかしくなりました。 やっぱり思ってたとおりでした。