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「引きこもり」は昔からいたのでしょうか
定職に就かず、勤労意欲も希薄で、終日家など一定の場所に閉じ籠もって社会にでない人々、いわゆる「引きこもり」は、NHKによれば平成17年で160万人以上いるそうです。 「引きこもり」は現代になって急に出てきた問題なのか、疑問に思っています(「引きこもり」と呼ばれるようになったのは最近だとは思いますが・・・)。 もしかすると、現代の「引きこもり」にあたる人々が、むかしの日本にもいて、同じように社会問題になっていたのではないか、などと思うこともあるのです。 そこで、近代だけでなく、むかし(ここ数年内の話でなければ、いつの時代でも結構です。)にも「引きこもり」が問題になったことがある、「引きこもり」に関するエピソードを知っている、歴史上のある人物も実は「引きこもり」の経験があった・・・ということがあれば、お教えいただきたいと思います。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/方丈記 鴨長明とか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/高等遊民 こういった人々とか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/井伊直弼 この方も http://ja.wikipedia.org/wiki/埋木舎 こんなネーミングをしてましたね、まぁ部屋住みっていうしょうがない身分でしたが。 そういえば http://ja.wikipedia.org/wiki/釈迦 この方もひきこもりかも http://ja.wikipedia.org/wiki/竹林の七賢 こんなパターンもあり
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むかしから、働かず家にこもるものは居ましたよ。 引きこもり=怠け者・贅沢という簡単な理屈では分からないし、 どこかに預けても根本的な解決はしませんね。
お礼
みなさんがエピソードをご紹介してくださることにより、「引きこもり」と言っても単に本人の問題だけとは言えないケースが多々あることが分かりました。民話の話で恐縮ですが、仮に三年寝太郎を1年で家から追い出したら、後に村を救う英雄になれなかったでしょう(民話ですから、もしかするとなれたかもしれませんが・汗)。 おっしゃるように、「引きこもり」が常に怠けている、贅沢をしている、本人の甘えだけで起きていると断定することは問題があると言えます。実際には、「引きこもる」原因もさまざまなものがありますものね。 もちろん、他の方が仰るように、どこかへ預けることによって解決する場合もあると思います。現に親の過保護によって、本人のやる気を引き出せないケースでは、親の子離れのためにわざと環境を変えることで、本人の自立を促せる場合もあるようです(もちろん必ずしもそうではないと思いますが)。 おっしゃるように、「引きこもり」はみな○○なんだ、というレッテル貼りは危険ですよね。 天照大神だって、一時期は、世俗から離れて独りになったのですから、「引きこもり」のすべてが本人にとって必ずしもマイナスとなるわけではないのかもしれません。 昔の人々は、いったいどのように働かずに家に籠もっている人たちを対処したのか、気になります。むかしは彼らを強引に社会に送り出した、というご指摘もありましたが。 貴重なご指摘ありがとうございました。
- nishikasai
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昔はずーっと少なかった。 その理由。 1.社会が貧しくてなにもせずに家にいるなんて周りが絶対に許さなかった。 2.一人部屋というのが一般家庭にはなく、引きこもりようがなかった。 3.食料がとぼしくなにもせずに家にいたら飢え死にした。 4.ひきこもりなんてのは病気でもなんでもなくただの「怠け者」で喝を入れられた。親父が今よりも断然厳しく権威があった。そしてその指導により治った。 5.ほんの少し、上流家庭にはいただろうが、恥ずかしくてその事実を隠していた。 結論 贅沢病です。全員戸塚ヨットスクールに入れるべし。
お礼
地域社会の変化、生活形態の変化、というご指摘ですね。 ご指摘の点を総合すると、個人主義が蔓延していることが、この問題を引き起こしているのではないか、とも言えそうですね。世間体があまり意識されなくなって、「法律に違反していなければ、個人の自由だ」・・・みたいな風潮が今の日本にはありますものね。これまでは、「引きこもり」をしようものならば、近所の人たちの目があってできなかっただろうし、ご指摘のように「おまえは怠け者なんだ」ということで済まされてきた面はあると思います。 それが良いか悪いかは慎重に検討されなければいけないと思いますが、少なくとも戦後の日本はそういった「世間体」とか、「強い父親」(家父長制・旧家制度)を否定する方向で進んできましたね。 ただ、おっしゃるように、世間は「引きこもり」を見て「あれは贅沢だ」と感じている人が多いと思います。 もちろん生活水準も向上して、引きこもっていても明日の飯には困らなくなった、というのは事実でしょうから、昔の「引きこもり」のケースと事情は大きく変わってきているのかもしれません。 「引きこもり」の問題は、みなさんがそれとなくお示ししてくださったように、「引きこもり」にも様々な背景があり、そのことが問題の解決を難しくしているようなところもあるように感じています。 むろん本人の贅沢病だと言えるケースは社会に放り出せばそれを克服できる場合もあるかもしれませんが、突き詰めていけば、親の問題ですとか、本人の重大なコンプレックスが社会へ出て行くことを阻んでいることもあるようです。 根本的な解決にはいろいろなアプローチを考えておくべき必要がありそうですね。 重要なご指摘ありがとうございました。
- kawasemi60
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八百比丘(はっぴゃくびく)が代表かなぁ~~~ 人里はなれて800年の断食。長寿伝説日本一かも。 http://furusato.sanin.jp/p/mysterious/daisen/7/
お礼
「籠もる」という行為にもいろいろなケースがあるんですね。八百比丘のケースは、<世をはかなんで尼さんになって>洞穴に籠もったわけですから、社会が嫌になったわけではなくて、どこか達観したところがありますよね! 貴重なご教示ありがとうございました。
- kanora
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いましたよ。 あまりに大事に育てすぎたお嬢様は、社会生活が出来ず、 かといって、お嫁にもいけない人がいました。 あまりに内気すぎて、外部の人と話も出来ず、 「箱入り娘」という言葉を聞いたことはありませんか? 昔は学校が義務ではなかったので、小さい時から 内気だと、そのまま学校にも行かず、 お嫁にもいかず、親とその後は兄夫婦の 世話になりながら、一生をおくります。 ほとんど、家から出ず、自分の部屋で、お付きの女性と 毎日過ごしていたそうです。
お礼
「箱入り娘」。今でもいらっしゃいますよね。よく昼ドラで、社長令嬢=箱入り娘みたいな捉え方で描かれることがありますね。 ただ、考えてみますと、そういう「お嬢様」が外に出ずに、「箱入り娘」になってしまうのは、親の育て方にも大きな責任があるかもしれませんね。親が子を溺愛するあまり、子どもが内気になってしまうような、そんな面もあるのかもしれません。考えてみれば、娘を箱に入れているのは親ですし。 調べてみると、昔から自分の溺愛する子どもを外にも出さずに家の中で親と一緒に生活させるケースは多かったようです。ただし、今と違って、ややお金持ちの家しかできなかったみたいです。 現代になって、「引きこもり」が取り上げられる機会が増えている、というのは、ある程度、各家庭が裕福になってきている証左なのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- MVX250F001
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三年寝太郎も三年間は引きこもりですね
お礼
三年寝太郎は、仕事もせずに寝てたわけですものね。現代で言うところの「引きこもり」と言えるのかも知れません、うんうん。 たしか・・・ただ寝ていたのではなく、実は三年間、村を救うことを考えていた、というオチでしたね。 民話になっていることからして、意外と「引きこもり」という問題(?)は、意外と昔からあったのかもしれません。でも、三年寝太郎は、最後には厄介者扱いしていた村人にとっての「英雄」になったのですから、すごいですよね(あ、でも家に帰ってまた寝ちゃうんでしたね・汗)。 民話は、意外に見落としていた部分でした。貴重なご指摘ありがとうございました!
- kametaru
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>、歴史上のある人物も実は「引きこもり」の経験があった・・・ 日本神話 天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)にお隠れになった。
お礼
先の皆既日食の際に、そんなお話を聞いたことがあります。名前は失念してしまいましたが、天照大神は○○に約束を裏切られてしまって、天岩戸に身を隠した、という話だったと記憶しています。 考えてみれば、天照大神でさえ身を隠した時期があるんですよね。 これが現代でいう「引きこもり」と同視することができるかどうかは別としても、天照大神がその後どのような形で天岩戸から出たのか、ということに興味がわきました。まずは、ネットで詳しく調べておきたいと思います。 日本神話のご紹介ありがとうございました!
お礼
なるほど「高等遊民」ですか。当時で言うところの「有閑階級」の人たちで、小説ではインテリとして登場してくることが多いですよね。現代の「引きこもり」の印象とは違って、うらやましがられる存在であったようですが、家の中で多くの時間を過ごしていた人々であることは変わりない、と言えますね。 お釈迦様の例を挙げてくださったのは、不覚にも笑ってしまいました。そっか、確かに、お釈迦様も一時期世俗を断ち切っていた時期がありましたね。 いろいろなバリエーションを提示してくださってありがとうございました。