こんにちは。
被食動物に本能行動として備わった静止行動は「無条件反射」として発生するものであり、この場合は捕食者など「特定の刺激」に対応するものと考えて良いと思います。
猛禽類などの餌となる小動物は、その声や姿に対して一斉に動かなくなります。但し、これは動くと見付かってしまうからです。ヤマネコは500m先を見通すことができますが、相手が動かない限りそれを獲物と判別することができません。食物連鎖の頂点である肉食動物にもこのような弱点があり、ならばそれは「小動物の防衛手段」として必要に応じて獲得された脳機能ということになります。そして、これは「本能行動としての無条件反射」ですから、我々が体験する「竦み」とは種類がちょっと違います。
人間にもまだこのような反応が残されているかどうかは分りませんが、通常我々が恐怖などによって体験する「竦み」といいますのは、こちらは純粋な本能行動ではなく、そのほとんどが「情動性の身体反応」と考えられます。
小動物の静止行動といいますのは本能行動を実行するための生命中枢の指令によるものです。これに対しまして、我々の脳内で恐怖や不安といった情動反応を司るのは「大脳辺縁系」という、学習機能を持つもう少し上位の中枢です。
このような情動性身体反応といいますのは「ストレス対処反応」として発生するものであり、我々の脳は遺伝的に定められた反応基準ではなく、「過去の学習結果」や「生理的な苦痛」などをストレスと判定しています。ですから、ここでは特に捕食者など特定の刺激との対応関係はなく、生後環境から獲得された様々な学習結果に基づいてそれを危険と判定することができます。
大脳辺縁系の情動反応はそのまま運動神経や自律神経など、身体の末梢系に直接出力されます。これによって引き起こされる様々な身体反応を「情動性身体反応」というのですが、これがストレス刺激であった場合は直ちに交感神経系の方に活性の指令が下され、心拍・呼吸の増加などと共に「筋肉の収縮」が起こります。
筋肉といいますのは縮めるのと反対の側は伸ばさなければなりません。通常、運動筋といいますのは運動神経の命令によって交互に動いているわけですが、それが交感神経の活性化によって一斉に収縮してしまいます。当然、思うように動けませんよね。我々が「竦み」と感じているのは恐らくこれではないかと思います。
交感神経によって筋肉が収縮するのは立毛筋・汗腺を締めたり血管の血圧を上げるためです。そして、このような交感神経の活性化による一連の生理的な変化は、これはいざストレスに対処するための準備と考えられます。
では、我々は一瞬、次に何をしたら良いのか分らなくなってしまった状態も「立ち竦む」などと表現します。ですが、この辺りはもう精神的な要素がだいぶ大きくなると思います。また、高い吊橋を渡ろうとして腰が引けてしまいますと中々足を前に出すことができなくなります。果たして、次に何をすれば良いのかは分っているのに怖くてできないのです。
このように、捕食者に対する動物の本能行動と我々が普段に体験する「竦み」といいますのは構造が違います。ですから、「蛇に睨まれた蛙」などと良くいいますが、これは小動物の生物学的習性ではなく、我々人間の価値観に基づく単なる憶測だと思います。ヘビを怖がるためにはカエルは自分の死を意識することができなければなりません。ですが、常識的に考えてこのようなことはカエルには無理です。
>・すくみ上がる元々の発端はアドレナリンの過剰供与という認識で合っているでしょうか?
どうなんでしょうか、このような話はちょっと聞いたことがないです。
自律神経系において交感神経の伝達に使われているのは「AD(アドレナリン)」です。「過剰供与」というのがどのような状況なのか良く分りませんが、これが「過剰分泌」ということになりますと、それは竦みの原因といいますよりは「自律神経の失調」ということになるのではないでしょうか。
では、ストレス対処物質としてのADは副腎髄質から分泌されます。身体末梢の交感神経伝達はこの副腎ADによって亢進されるのですが、これは体液循環を介して行われる投射ですので効果が現れるのに数分を要します。従いまして、咄嗟の竦みとはまず関係がないと思います。そして、最初に述べました小動物の行動抑制は、こちらはそもそも「統率の執れた本能行動」でありますから、ここで何らかの伝達物質の過剰分泌が起こっているというのはちょっと考えられないです。
補足
回答ありがとうございます&御礼遅れて申し訳ありません。 私がruehasさんに回答頂くのは三度目か四度目になるのですが、 度々の良質の回答を頂き感謝致します。 御礼内容とその補足が乱文となってしまい、大変申し訳ございませんが、何卒ご了承頂きたく宜しくお願いいたします。 「すくみ」が我々人間のDNAにプログラミングされている行動でない事については理解致しました。後天的な学習により獲得されたものだという理解をしました。生物学への質問として一番良い回答を頂いたかと思います。 ただ、頂いた質問から更に疑問が出てしまいます。「ではどうして、どうやって人間が『すくみ』を学習するのか」という点に頭の中で繋がっていってしまうのです。 1.どうして人間が「すくみ」を学習するのか。 社会的には不要な筈の「すくみ」を学習しない人間は見ないと言って良いくらい、必然的に人間の成長と共に備わる「すくみ」ですが、なぜ「すくみ」が人間に備わるのでしょうか。素人目には生物としての、あるいは社会に生活する人間としての学習の必然性が無いように思われますが、それでも獲得してしまう負の要素の性質は、どのような社会メカニズムにより形成されてしまうのかに興味が沸いて来ます。 2.どうやって人間が「すくみ」を学習するのか。 上記と重複する部分もありますが、すくみを学習するプロセスがどうなるかという事に興味が出てきています。これは児童心理学などが当該するでしょうか。 ほぼほとんどの人がすくむ事が可能だと思うのですが、ある社会的プロセスを経てこの性質が形成されるのであれば、逆に言えば、その機会を排除・あるいはワクチンのように克服と勝利を与える事によって、すくまず、困難を乗り越える力を獲得させる事も可能な筈です。 これはDNAにプログラムされていなくても、人間社会がひとたび構成されると、その結果として「すくみを学習してしまう機会」を必然的に生産してしまうからでしょうか? (そして、今の学校教育はそうした危機と克服を社会システム的に与えているように思いました)。 できれば、のお願いなのですが、ここにご意見などを頂ければ幸いです。 ※ご負担になるのであれば結構です。 とまで書いたのですが、これらは社会学的、哲学的な方面への質問になりますので、カテゴリー違いだから質問を切りなおすべき、というご指摘があるかもしれないのでいったんCloseさせて頂こうかと悩んでおります。 ※質問を切りなおした時に、ここのQAを引用させて頂いても宜しいですか?