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教育と、宗教と、マインドコントロール
北朝鮮では共産主義教育で金正日が神様のように崇められ、日本では平和教育が弛緩した国民性を生んでいるように見えます。 以前、オウム真理教の松本容疑者は「宗教は大なり小なりマインドコントロールだ」と語っていました。 マインドコントロールという語は人格を損なう怪しい術といった意味で、おおむね否定的に用いられることが多いようです。 ところで、これら三者の違いとは何だと思いますか? (カテゴリーは教育で質問させていただきましたが、特に他意はありません。いろいろな観点からご意見をください。尚、回答に対するお礼は、多少遅れるかもしれませんが、必ずいたします。)
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>>これら三者の違いとは何だと思いますか? 私の結論としてですが・・・ ・教育とは、該当地域の文化思想で教化すること ・宗教とは、心の拠り所という文化思想を提供する存在 ・マインドコントロールとは文化思想で教化し個人を制御すること amenoさんの疑問の解決の糸口は、ご自身がそれぞれの言葉の意味を 正確に把握することだと思います。 そこで問題なのは、amenoさんが、日本と北朝鮮という文化的背景の 全く異なる部分に触れていることです。 まずamenoさんがその点について認識されることがココからの私の意見理解の 味噌だとおもいます。 日本文化的常識では、マインドコントロールされたように見える北朝鮮 金政権の国民でも、本人達はソレが当然であり、そう思ってない、 というかそんな事、考えてもいなかったりします。 (実際は脱北者多いですが・・・まぁそれは置いておきましょう) そして宗教で問題になる、一般社会からドロップアウトした信者の狂信ぶり。 「つい先日までマトモだった人が、狂信的信者になってしまった・・・。」 これも、クリスマス、初詣、葬式、結婚式などなど、一体いくつの 宗派の洗礼受けたのかわからない一般人から見れば、その狂信ぶりは マインドコントロールされたものに見えますが、信じてる彼らから見れば 葬式と結婚式で宗派の違う日和見信者的日本国民こそ不気味な存在です。 ここで考えたいのはマインドコントロールというのは、個人の持つ 既成の社会的、文化的な価値感を強烈なインパクトで粉々に破壊し、 サラ地になったところに新しい文化・価値観を投入することで、 常識基盤や、思考回路の書換をすることで個人の思想を他人が操ることを 可能にする技術だということです。 また、価値観などが未構成段階の者に対して、文化・価値観を投入することで、 個人の思想を他人が操ることを可能にするのもマインドコントロールです。 大事なのは「他人が操ること」が目的であることです。 教育は、その教育の行われる文化圏を基準に教育するので、A文化ではAという 教育が、B文化ではBという教育が行われるのが普通です。 しかし、Aの立場でBを見たとき、AはBを理解できないので、それを 「マインドコントロールされた」とか「マインドコントロール的教育」と 言ってしまいがちです。でもそれは間違いです。 該当地域の文化を教えることはマインドコントロールではありません。 教育で個人を奪うことがmind - control(思考制御)なのです。 ですから、私達日本人は、義務教育されても自分で考え、言論・行動することが 自由ですのでマインドコントロールではありません。 先進国では、政治と文化と教育は大抵直結します。 私が思うに、マインドコントロールという言葉自体、自由の許される文化特有の 概念なのだと思います。自由の許されない文化ではマインドコントロールという 概念すらないのではないのでしょうか。。
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- otafukutiger
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○義務教育=国家のため ○宗教=ある至高の価値観のため ○マインドコントロール=それをすることにより利益を得るある個人又は団体のため 義務教育は何処の国でも、国家の利益と密接に関連します。もともとの成り立ちからして個人のためのものではありません。 これには自信があります。 マインドコントロールとは違います。 勝手に言葉を作ればマインドコンストラクションだと思います。 宗教はある価値観の実践だと思います。それは地域によっては文化や国民性と混同します。 例えば、チベットやモンゴルは国境がチベット仏教であるし (チベットは国家ではなくなってしまいましたが…)、 イスラムの場合も宗教は実生活と密着に絡んでいてこれが宗教 これが文化。と明確に分けることはできません。 日本だって、仏像や仏閣、神社などを日本文化といいますが、これは宗教と区別がつきません。 又勝手に言葉を作ってしまえば、マインドオリジン(なんか変かも)。 マインドコントロールはそれ(マインドコントロール)をする 事によって利益を得る人(団体)がいるのです。北朝鮮の 場合では金正日。 最近の信仰宗教の場合では教祖などです。 だから、宗教とは又別物です。ただ、教祖が勘違いしている 可能性はあります。 こんなのでいかがでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 どうも三つに明確に分けるとはみ出たり曖昧になる部分があるのかもしれませんね。 ただ、否定的な意味でのマインドコントロールは、個人の利潤と深く関わってくることは分かりました。 御礼が遅くなってしまいました。ごめんなさい。
お礼
ご回答ありがとうございました。 miDumoさんの答えを何度も読んでみると、 教育は、自由な言論・行動ができることが条件であり、 一方、マインドコントロールの定義の中には「個人を他人が操る」というのがあるようですね。 宗教は思考の自由とかよりもう少し心の問題に関わってくるみたいですね。 よく納得できました。お礼がたいへん遅くなってしまいました。ごめんなさい。