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恐怖症の数について
高所恐怖症や対人恐怖症など、 「~恐怖症」ってのはどのくらいあるのですか? できればどういう恐怖症があるのかも教えてほしいです。
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- tumaritou1
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恐怖症とは観たものや聞いたもの、意識したものや事が心から離れなくなってしまう現象の事です。或いは考えたことでも、反省した事でも 何が意識に上がってくるかで症状名が変わってきます。 人間は意識をする事で自分自身を感じていますが、その時の感じが異常と思うだけで「恐怖症」になる可能性があります。その背景には人間の心の性質を見る事が出来ます。 その性質とは二元論と言われているもので説明できます。二元論の根拠は人間の脳の機能に由来しています。人間は意識をする事で存在が良く分かっている自我意識と、自覚できない、或いは言い方を替えたなら意識出来ない意識とで成り立っています。 普通の人間の生活は自我意識は起きている間の10から15パーセント位しか自分を働かせていないというデータが在ります。残りの時間は意識が無い状態と云う事になります。意識がないと云うのは言い方が違っていますが、自我意識が働いていない状態と云う事です。 残りの時間は「無意識」が自分を働かせているという事になります。自我意識は無意識を意識出来ませんが、お互いに相談し合って切り替わって出番を調節し合っているという事になります。 此処に恐怖症が発症する機会が生じます。自我意識は分別で出来ています。つまり割り切れる事だけが出来ると云う機能があります。割り切れない問題には対処できないと云う制約があります。此処に人間の悲劇が生まれる原因があります。 無意識の意思と云う言い方をしましたが、分かりやすく言うならば「仏性」と云う事になります。事実を事実として「自我意識」に伝える役目があります。自我意識が見ていない処を見ていておかしいと知らせて呉れる働きの事です。気配で知らせて呉れる場合も、自我意識を飛び越して直接体を働かせる場合もあります。思わずに飛び上ってしまう場合等の事です。 人間の心も体も二つのものの支配を受けているという事になります。刃物を見たら怖いと自我意識は感じます。是は怖いと思わせるものが存在しているという事の顕れです。高い処に上がった場合や、スピードを出し過ぎた場合等にも同じ事が言えます。 普通の人間の心は目の前に怖いものを見た時に、鏡が映し出すように恐いと感じます。その怖いと云うものが目の前からいなくなった時点で「恐い」と云う気持ちも消滅します。是が健常者と云う人です。 処が恐怖症になった人の心の内は、恐怖の対象が無くなっても恐怖感が消えなくなるという事になります。何時までも心の鏡には恐怖の対象が無くならないという事になります。是は心が妄想で恐怖を作り出しているという現象の事です。 そのからくりは、仏性が自我意識に教えようとしている事を自我意識が拒んでいるという事になります。或いは教えようとしている仏性そのものを拒んでいるという言い方も出来ます。 自我意識は左脳に在る意識の事です。仏性は右脳に在る「無意識を司っている意識の事です。恐怖症の正体は二つの心の対立と矛盾から起きているという事になります。二つの心とは左脳の意識と右脳の意識と云う事になります。言い方を替えたなら自我意識と自分自身を働かせている意思とが矛盾と対立をしているという意味になります。 貴方の聞きたい事はどういう恐怖症が在るのか?と云う事ですので云います。それは数え上げたなら数限りなくあると云う事になります。意識する事全てが恐怖症の対象となりうるからです。 耳鳴りが気になるなら耳鳴り。上がるのを意識した場合には上がり症。人を意識した場合には対人恐怖、広い処を意識したら広場恐怖、狭い処は閉所恐怖、手が震えるのを意識した場合には手の震え恐怖、字を書く事を意識したなら書痙、話をする事を意識した場合が吃音と云う事です。 それらは全てが意識をした事から発症しています。此処で発症する場合と発症しない場合に触れてみたいと思います。発症する場合はその意識した事をうけいれられない場合です。発症しない場合はその意識をした事を受け入れた場合の事です。 受け入れられないという事は、自我意識に教えられようとした事と、教えようとする者を拒んでいるという事です。この事は教えようとした者が無視をされた事になります。自我意識は仏性を無視をしたために更なる苦しみを受ける事になります。 自我意識だけでは人間の生活はスムーズに行かないようになっています。自我意識だけでは字一つでも書け無く出来ています。是が書痙の原因です。話一つでも出来ません。人前を歩く事も、人前に出てゆく事も出来なくなってしまいます。 この事が分からないために自我意識は尚更自我意識だけで問題の解決を図ろうとします。是が精心疾患の心の悪循環になってしまう原因を作っています。意識した事を肯定できるようになるまで、恐怖症は続くと云う事になります。
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
無数にあると言って良いと思います。 森田神経質の専門書など読めば、大変な数の恐怖症が出ています。 しかしその根本にある心の状態は皆同じですから、恐れることはありませんが。 尚特に「対人恐怖症」は、日本特有のものとされています。 よってアメリカ精神医学会の定めるDSM-IV等では、全てが包括されるものではないです。 "対人恐怖症" で検索すればwikiなどにもその記載があります。 現在は文化依存症候群の一種であるとされているようです。 尚、昭和59年に発行された 鈴木知準 著 "ノイローゼ全治の道を語る" の書中などにも、 これについての記載があります。
- nebuntu
- ベストアンサー率66% (4/6)
DSM-IVでは、恐怖症は(1)特定恐怖症、(2)社交恐怖(対人恐怖)、(3)広場恐怖症に大別できるそうです。 (1)は特定の対象や状況があるときに不当なまでの不安を感じるもので、(2)は社交的な場で、他人に観察されていて批判されるかもしれないと感じるような不当なまでの不安、(3)は外出時や人ごみ、あるいは立ち去るのが難しいような(拘束された)状況で起こる不安 らしいです。 (1)は、刺激となる対象によってさらに以下の4つに分類されます。 1)動物 2)自然環境の様相(雷などでしょう) 3)血、注射、怪我 4)状況およびその他の誘発事象。歯科治療/医療的状況の恐怖や窒息恐怖を含む。 さらに細かいもので特筆に価するのに、飛行機恐怖、病気に関する恐怖(自分が癌や性感染症、その他重病に罹っているのではないかと恐れる)があるそうです。窒息恐怖とは、ものを飲み込むときに窒息するのではないかという不安が起こるそうです。 (2)は、レストラン、パーティー、講習会、会議などの状況や、公衆の面前で話したり楽器を演奏すること、人の目の前でものを書くことが不安を起こします。他に特記すべきものに、排泄恐怖(公衆便所で小便ができない、あるいは失禁を恐れて頻繁にトイレへ駆け込む)や、嘔吐恐怖(バスや電車で吐いてしまわないかと恐れる)があるそうです。 以上は精神医学の教科書からの抜粋ですが、他に手元にあるフロイトの文献から引きますと、恐怖症の対象となりうるのは、 暗闇、戸外の空気、広場、猫、蜘蛛、毛虫、蛇、鼠、雷雨、鋭い尖ったもの、血、しめきった部屋、雑踏、孤独、橋を渡ること、船旅、汽車旅などなど まぁ上と重複してますが…。蛇足ながら、有名なハンスの症例では馬恐怖ですね。