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自分の存在
自分の存在を考えたりしますか? 私は、ふと自分の存在が嘘のように思えてしまいます。 夢なのか、現実なのか… 私がいること自体がおかしいとさえ思ってしまいます。 小さい頃から、直々思っていました。 こうゆう事を考えた事がある方いますか? 私は、おかしいのでしょうか? どうすれば、考えなくなるのでしょうか?
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哲学的に考えると「自分の存在」自体、とてつもなく不思議で壮大な悩みにつながるようです。 私は、現実が夢の中なのかこの世に存在する自分自身も誰がそうだと認めるのか、幼稚園の頃から不思議でした。 同級生にはそんなことは、一つも問題の無いように楽しく遊んでいる人物ばかりで「なんで、皆気が付かないの?」という思いでした。 ですから、あなたのそんな思いは共感できます。 今、おいくつでしょうね。 わたしは主婦で子供の2人がいる50歳の者です。 そのような考えがますます膨らみ「14歳のころ」頂点に達したのですが書物にも答えは無く、ますます自身の内面ばかりに興味が向いて行きました。 きっと暗い感じだったのかな。。。 本人は明るい、暗いより「疑問」の方が遥かに頭いっぱいの感じでした。 47歳の頃、書店で「14歳からの哲学」池田 晶子著の本と出会い、その答えが簡単に見つかりました。 早く出会えれば良かったのに。。。 相当、時間は掛かりましたが「心がスッキリ」しましたよ。 という事で、お暇なら読んで見られることをお勧めいたします。
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- michael-m
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多くの思想家や宗教家などが考えていますね。 私もカトリックの洗礼を受ける頃から考え続けています。 活きる事に忙しくなれば考える時間がなくなるでしょうが、根本的に「考えなくなる」事はできません。 私もさすがに受験や仕事が忙しいときには考える閑がありませんでした。 基本的に追究することはいいことだと考えています。 ただし、考え込むのは単なるマイナス志向。 考えあぐむのではなく、真実を見出す為に考える事が大切で、考えて悲観的になるなら、路線変更すべきでしょう。 でも、それでも気に病むことはありません。 まだ人々にマトモな部分が多かった時代。太宰を初めとする「悩む」志向は青春の大切な一課程だったのですから。 むしろ今の世の中で、人間としての成長過程にある事に誇りを持ってもいいでしょう。
お礼
ありがとうございます。 マイナス志向に考えてしまいがちなので、心がけて違う方向に考えられるようにしてみます。
誰でも多かれ少なかれ考えているのではないでしょうか? 唯、それを突き詰めるタイプの人か、流してしまう違いはあるかも知れません。 突き詰めれば、哲学者になるのか、宗教家になるのかは分かりませんが・・・その様な道もあることでしょう。
お礼
自分だけなのかと不安でしたが…安心しました。 お返事、ありがとうございました。
- ?橋 昌也(@fudousin)
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別におかしくありません。 みんな、そう考えています。 考えなくなるのは死ぬときです。人間が人間たるのは、そういうことを考えるからです。
お礼
ありがとうございます。 皆さんが考えると聞いて、少し安心しました。
お礼
お返事ありがとうございます。 現在、28歳です。 物心ついた時から、楽しい時間でもふと考えたりして…なかなか周りの人にも聞けませんでした。 本屋さんに行った時に探して読んでみようと思います。 ありがとうございます。