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平和教育 今後も必要?
今年も夏がやってきましたね。 夏といえば、私が小学校のころは「登校日」があり、必ず平和学習が行われていました。正直、この暑い最中に・・・。とは思いましたが、おかげさまで戦争反対の意思を形成することが出来ました。 最近は登校日自体が減っているようですが、そもそも平和学習は今後も必要でしょうか?不必要でしょうか? 私は必要だと思います。自虐史観を植え付けたとか、いろいろ意見もありますが、やはり二度と戦前の日本へ戻らないためにも、戦前=悪、という意識は持っておくべきだと思うからです。
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基本的に平和学習は、今のままでよいと思います。 世の中を分かっていない戦争反対者が、武力で早期解決できたものを、だらだら長引かせて罪の無い人を犠牲にし続けてきた事例が、回答者の中に紹介されていましたが、こういうのを参照して学ぶのはある程度大人になってからで遅くはありません。 平和学習は、小学生が学ぶような内容です。 小学生には、戦争は外交手段。時として良い場合もある。と教えた場合、その分別がつくように教育することは困難です。 それよりも戦争=悪と、まず教えるのです。 そしてその子が中学、高校に進学するころにもっと世の中を学び、「本当に戦争はただの悪なのか?」と疑問に思う日が来るでしょう。 そしてその子なりに考えるのです。 その考えがどう変わるかは彼次第ですし、どのように変化しても、考え抜いた結果なのだから良いのです。 しかし、入り口は戦争=悪と教えることは誤りではありません。 「駄目な物は、駄目」という教育と同じです。 人殺しはどんな理屈を並べようと駄目。と教えるのと同じです。 しかし、人殺しが必ずしも駄目とは限りませんよね。 戦時なら当然良いですし、今の日本でも、死刑執行時は合法的に殺害が行われていますし、自衛隊の個別的自衛権は正当に認められた応戦権です。民間人同士の殺害も、正当防衛が認められれば合法的な殺人が成立します。 平時の時でも、場合によっては人を殺してよいと、公然と認められています。 しかしそういう教育は、小学生にはまだ早いのです。 つまり、「場合によっては戦争も良い」という教育と同じですね。 小学生のような年代は、まずそんな理屈ぬきで「駄目なものは駄目」と教える必要があります。戦争=悪も同じ事です。
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- burahuman
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私は今の平和教育は根本的に間違っていると思います。 その理由ですが平和教育=戦争を起こさないように国民を洗脳する行為、と定義しての話ですが戦争は何も日本から仕掛けるとは限りません。 外国に理不尽な事をされ日本の国土や領海を奪われ度重なる外交手段でも解決がつかない、相手国はさらに日本を侵略しようと軍備増強を続けている・・・・・ こんな状況でも平和教育が意味あると思いますか? 【観念的平和主義者】達は戦争の恐ろしさ、悲惨さを国民に教育すれば戦争は防げると思っているらしいですがまるでマンガの世界です。 そのような考えは百害あって一利なし、戦争を防ぐ効果は全く無い事を歴史が証明しています。 一番分かり易い例を挙げると第二次世界大戦を誘発したのは貴方方のような価値観を持った【観念的平和主義者】たちなのです。 どういう事かと言うと第一次世界大戦で敗戦国のドイツはベルサイユ条約で自国の軍備を厳しく制約され、更に不況が原因で国民の間に閉塞感が溜まりに溜まっていた。こんな状況でヒトラーは一つ又一つと条約違反を重ね軍備を増強し更にオーストリアのズデーデン地方を侵略し自国の領土にしてしまった。 これでドイツ国民は欣喜雀躍、敗戦による自信喪失と不況の閉塞感など簡単に吹っ飛んでしまいヒトラーは神になった。 ここに至るまで周辺国の【観念的平和主義者】達はドイツを攻撃する事を拒否してきた。 条約違反ゆえ初期の段階で攻撃を加えても誰も非難しないのに【観念的平和主義者】達は平和主義に徹した。良い子になりたかったのでしょう。 で結果はご存知第二次世界大戦の始まり。 臆病で事なかれ主義の平和屋達のせいでより悲惨な世界大戦が始まった事を理解できれば貴方方の受けた平和教育と言うモノが如何に空しいか効果が無いか、いや逆効果になる事さえ有ると言うことが理解出来ると思います。 戦争を防ぐのは外交交渉の能力、相手国との経済的な結びつき、相対的に十分な軍事力などであって戦争の悲惨さを教えれば防げるなどと考えるのは幼稚園まででしょう。 そのような教育で一番得をするのはどこの国か良く考えて見てください。
お礼
今の平和教育に対する貴殿のお嘆きはわかりました。 でも、やはり私は戦争に反対です。 ありがとうございます
- kendamakun
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私自身その様な教育を受けた記憶はありませんが、貴方が言うように平和学習最大の罪は自虐史観を植え付けた事でしょう。これは平和主義に名を借りた敗北主義であり、度々中国や南北朝鮮に政治利用され、日本の国益を大きく損ねてきました。もっとも悪質な点は、その根拠となるのが南京大虐殺のような捏造史だと言う事。嘘の歴史で罪悪感を植え付け意のままに操る、まるでカルト宗教のような手口は、とても民主国家の教育制度の中で行われている事とは思われません。 「戦前=悪」、確かに今戦前の体制や思想に戻る事は良い事とは思いません。しかし逆に、戦前の日本が現代日本の戦争放棄や民主思想を持っていたらどうでしょうか?。間違いなく独立国家としては存在出来ていないはずです。当時世界を支配していた欧米列強から国家と国民を守る唯一の選択肢は、それに対抗出来る力を得る事だったからです。 平和というのは「戦争反対」と呪文を唱えていれば手に入る物ではありません。もしそうならどうして日本は竹島を韓国に奪われ、何の罪もない国民が北朝鮮に拉致され、そして尖閣諸島を中国に脅かされているのか。また学校で国歌斉唱や国旗掲揚をしたからと言って軍国主義になると言うのも程度の低い被害妄想であり、中国や南北朝鮮のプロパガンダにすぎません。「軍備を持てば驕り高ぶる?」、自称平和主義者の常套句です。つまり世界中で日本人だけが狂犬のような危険民族だから軍備を持たせるべきではない、と考えているのですね?。私はそうは思いません、そしてそれこそが最大の自虐史観と知るべきです。「こんなに力があるんだぞ」と言うのは正に北朝鮮や中国が今やっている事であり、自虐史観はそんな相手に非常に好都合な物であり、そしてその相手が仕掛けている物であると知るべきです。
お礼
別に私は自虐史観は持っていません。 ただ、戦争には反対ですし、戦時中のアジアに対する残虐非道への謝罪・補償はすべきだと思っています。 ありがとうございます。
- at9_am
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> そもそも平和学習は今後も必要でしょうか?不必要でしょうか? 現在の、一定の思想の刷り込みでしかない「平和教育」は有害無益であり、不必要どころかやめるべきだと考えています。 > 二度と戦前の日本へ戻らないためにも とありますが、時間は遡りません。では、何のどのような状況に戻らないために、ということなのでしょうか。 太平洋戦争に至るまでにはいろいろありましたが、大正時代は現在と同じく議会制民主主義が成立していました。例えば、日本で普通選挙が始まるのは大正時代です。二大政党制でもありました。この体制は、大政翼賛会が成立する1940年まで続きます。 さて、現在の政治は自民党と民主党の二大政党制になりつつあります。では現在の体制もかつて来た道なのでしょうか? こういった部分を考えると、非常に危ういのです。 多くの人が口々に「戦争反対」と言いますが、その根拠が非常に脆いのです。単に悲惨な写真を多く見せられたから、という程度の話に、結局は行き着いてしまいます。 もちろん、そのような個人個人の感情に基づいた意見というのは大切ですが、そのような感情を起こさせるような写真のみを集め、そのような感情を植え付けるような教育をわざわざ行う、というのは、洗脳といわれても仕方がない部分がかなりあります。 さて、戦前の日本はいわゆるファシズム国家であった、ということがよく言われます。このことが本当に妥当かどうかは置いておきますが、ファシズムとは簡単にいえば、ある考え方のみを絶対視し、違う考え方を認めないような思想または体制のことです。これを拡大生産するために、往々にして教育が行われます。いわゆる思想教育というものです。 では今、「平和学習」なるものが行っているものは、主張の内容こそ違え、ファシズム教育ではないでしょうか? このように考えると、現在のような、きちんとした時代背景を無視した形での平和学習などは、有害無益なものでしかない、といえます。
お礼
ご意見わかりました。 ただ、同じファシズムでも「正しいファシズム」「間違ったファシズム」がありますよね。 平和を希求することは、正しいことだと思います。 ありがとうございました
- to9311mu
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No.11です。 強力な軍の維持は決して軍国主義ではありません。維持する軍隊は他国を侵略する軍ではなく、戦争抑止力のための軍。戦争をやらないための軍なのです。一見矛盾しているようですが、こうするしかないのです。日本に侵攻すれば痛い目に合うぞ!と言うことが大事なのです。「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」孫子も抑止力こそが一番良い、と説いています。 ドレスデンというドイツの都市を知っていますか?第二次大戦時、ドレスデンは無防備都市宣言を出しました。それをいいことに連合軍は戦略的価値が低いにも関わらず徹底的に(しかも反撃がないので安全に)爆撃し、町は焦土と化しました。 私は何度も言いますが戦争は望んでいませんし、軍国主義もまっぴら御免です。でも現実には他国の武力に対抗するには武力でしかありません。お隣中国ではかなりの勢いで軍拡を進めていますが、日本は急速な軍縮(自衛隊の人員を半分に削減、とか)を実施しようとしています。隣国に攻められてもいいなら、自衛隊は必要ありません。軍の維持について議論する必要もありません。憲法9条を遵守するだけで良いのです。 No.14さんの回答を読んで考えましたが、私の回答は明らかに小学生向けではないですね。大事なのは戦争の真意に迫る学習が必要だということ、感情的に目を背けるだけでは前に進まない、これが言いたかっただけです。本来の問題から脱線してしまったことをお許しください。
お礼
>日本に侵攻すれば痛い目に合うぞ!と言うことが大事なのです。 わかってます。おっしゃるとおりです。でも、最初は自国防衛のための軍事力強化だったのが、だんだんおごり高ぶって、「おい、言うこと聞けないのか?こんなに私ら日本は力があるんだよ」という侵略につながる可能性を否定できないではないですか? この国にはそういう国民性があります。 最初は異常なまでに謙虚です。今の対アメリカのように。もっと、言えばいいのにって思うことも言いません。北朝鮮にも韓国にも中国にも・・・。 そんなフラストレーションが、日本の軍事力が強化されたときに弾ける気がします。「おりゃあ、これまでのお返しじゃ」といわんばかりに。 日本の国民がそうでしょう。「キレたら恐い」ってやつです。異常に我慢して、キレると見境がない。そんな国が、強大な軍事力を持つことは危険極まりない。と思うのです。 もちろん、軍事力が敵の侵攻を防止することは確かです。でも、やっぱり前述の懸念が消えません。 ありがとうございます
- 2011年 2月変更(@wwbc)
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ご返信ありがとうございました。 そちら様の受けられた平和教育は、恐らく日教組主観の物でしょう。 平和を一面から解釈する思想教育ですよ。 私流に言えば、それらは日本の武装解除を強制するための洗脳教育です。 お幾つに成られているのか分かりませんが、あなたはまだその小学生の頃の思想教育に束縛されている。 平和を守るために死んでいく人々、平和平和と言いながら殺しに来る軍隊によって殺されていく人々、こういう人々が世界には沢山居る事を知らなければなりません。 ・平和を守るために死んでいく人々 → 例えば国連平和維持軍とか ・平和平和と言いながら殺しに来る軍隊によって殺されていく人々 → 例えば中国のチベットやウィグル また日本においても、あなた達を守るために命をかけようとする人々が居る。 → 例えば自衛隊員 あなたの平和を守るために、戦争をする人々。こういう人々をあなたは悪人と呼ぶのか… やむ終えない人殺しであると達観するのか。 あなたは自分の命が助かるためなら、他人が殺されても、他人を殺してもいいと考えるのか。 それともあなたの命は救ってもらわずとも良く、皆で一緒に死ねば良いと思っていられるのか。 本当の平和思想とは、 「絶対に戦争をしてはいけない」 という思想ではなく、「絶対に戦争の被害に有ってはならない」 という思想です。 絶対に戦争の被害に有ってはならないから、自分から戦争を起こさないし、他人にも戦争を起こさせない。起こった戦争には勝つ。こういう思想が必要です。 あなたの思想では一旦戦争が起こったら、あなたもあなたの旦那もあなたの子供も、全員殺されますよ。
お礼
日本の自衛隊について 私は必要な組織だと思います。今の日本が、自衛隊を放棄すれば北朝鮮や中国、下手すると韓国がつけあがってきます。ですから、平和を追求する一方で、自衛隊は維持すべきです。 本当の平和思想について おっしゃる通りです。ただ「起こった戦争には勝つ」のもいいですが、「停戦する・話し合いで解決する」というのもありです。 私は、小学校・中学校で平和教育を受けて良かったと今でも思っています。この幼いころに培った反戦精神があれば、いざ戦争になろうとも、日本が軍国主義になろうとも、絶対に私は戦争反対を訴えます。 ありがとうございます。
補足
中学校での平和学習のご紹介 ご興味があるとおっしゃったので、中学校の平和学習を紹介しておきましょう。中学では、当時の文部科学省が力強く推進していた「総合的な学習の時間」をフルに活用して平和学習を行いました。 まず、、、 中学1年生:「日本がアジアをどれだけ痛めつけたか」というテーマで、自主学習。おもに図書館で関連書籍を読み、レポートにまとめます。中には「戦争賛成」とか、ふざけた生徒もいましたが、そういう生徒には先生からきちんと教育的指導がありましたね。私は韓国の慰安婦のおばあちゃんのことを書きました。 中学2年生:「これからの世界平和のために」というテーマで、これから日本を含めた世界が平和を実現するために、一人ひとりができることを書きました。私も一生懸命書きました。 中学3年生:総合的な学習の時間はすべて受験勉強の時間になりました。
- yamame17gou
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必要! それが知恵だと思います。
お礼
ですよね ありがとうございました
- cse_ri2
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今必要なのは、観念的・情緒的な平和教育ではなく、現実的に平和をどう維持し、また紛争地域の問題をどう解決していくかという実務的な教育ですね。 そのために、日本史だけでなく世界史まで広く学び、また防衛大学以外ではほとんど教わる機会もない、軍事学まで(できれば基礎だけでも)学ぶべきでしょう。 医者は人を健康にするために、病気について徹底的に学びます。 平和のためには、戦争についても徹底的に学ぶ機会が必要なのは、当然のことでしょう。 まあ、専門的な内容はさておき、一般国民が広く学ぶ教科書として、永世中立国であるスイス国民用国防ハンドブック「民間防衛」が望ましいでしょう。
お礼
もちろんそうですね。 ありがとうございました
- to9311mu
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戦前≠戦中です。これを勘違いしている人が結構居ます。 私も戦争は望みません。しかし、今の平和教育は間違っていると思います。なぜ太平洋戦争が勃発したのか、先人たちがどうして戦ってきたのかも考えず、短絡的に戦争反対を叫んだところで何の意味もありません。 軍があるから戦争が起きるのだ →平和というものはある一定の軍事バランス上で成り立っている。 軍を無くせば平和になる →人類が何千年も実現できなかったことが今更実現するはずもない。 文民統制がしっかりしているので戦争は起きない →戦争しろ、と軍に指示するのは文民です。ヒトラーもルーズベルトも文民。 核のような非人道的兵器を無くせ! →核のおかげで第二次大戦後は大国間の戦争は起きなかった。 誠意を持って対話をすれば必ず解決する →世界は腹黒い。時には軍事力を見せつけることも必要。 日本は平和憲法であるから戦争にはならない →国外から攻められれば国を守れない 平和憲法を遵守すれば平和になる →日本だけがそれを叫んでも無駄 「平和の維持=強力な軍隊の維持」です。
お礼
だいたいはその通りだと思いましたけど、 最後の「平和の維持=強力な軍隊の維持」は、本当にそうなんでしょうか? それじゃあ、日本はどんどん軍国主義になれば平和になるってことですか? ありがとうございました
- jacta
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戦争を避けるための教育は必要ですね。 ただし、感情的に戦争は嫌というだけでは話になりません。 第二次大戦に至る経緯(大航海時代から近現代にかけての歴史)をしっかりと教え、戦争回避(第二次大戦だけでなく、日清・日露戦争も)のために当時としては何ができたのか、戦争を回避できた場合にどのような影響が出たのかを一緒に考えるべきです。 そして、第二次大戦後から現在の世界情勢や、実際に発生している脅威、今後の戦争を回避するのはどうすべきかについても具体的な教育を行う必要があるでしょう。 「教え子を戦場に送らない」というのは、第二次大戦後しばらくはリアリティがあったかもしれませんが、間違った平和教育を続けていると、教え子が住む町が戦場になってしまいます。
お礼
なるほど ありがとうございました
- taotao2
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平和について考えることはとても重要なことです。 平和教育というものがどういう内容であったのかはわかりませんが、戦争の悲惨さだけを伝えるのでは充分ではないかもしれません。 大切なのは、人間が怨恨を根拠に直接的に行動を起こすとどうなるのか、ということです。私も含めてここに書いておられる人々は、実際の戦闘というものを経験したことがありません。しかし、一場面でもそれを体験することが、人間性を破壊しうるということ、人が人でなくなるということなのです。それは攻撃した側も攻撃された側もそうなのです。(イラクの戦闘により、アメリカの多くの人々が今PTSDなどで苦しんでいるのです。PTSDが蔓延すると、社会の労働能力、生産能力は低下しますし、PTSDに対する対策により、とてつもない経済的負担がかかるのです。深刻なPTSDの人をみたことがないのなら、簡単に戦争を知っているとはいえません。多くの場合、そういうことを知らない人が戦争に賛成するのです。) 現代では、(国家にとってではなく、個人にとって)闘わざるをえない戦争というものは、極めて少なくなっているはずです。想定するなら、仮想敵のことのみならず、戦争が起こる場面、起こった場面というものを、詳細に想定しないと大きな過ちをおかすことになるでしょう。孫子はそのことを知っていたのではないでしょうか。 ここなら、闘っても、たかが文章による応酬のみです。よく、「平和ボケ」ということばを軽く使う人がおられますが、そういう人こそとんでもない「平和ボケ」にかかっていることがしばしばです。
お礼
そうなんですよね。 戦争はいろんな面で悪いことだらけですよね ありがとうございました
お礼
私も全く同意見です。 いや~、素晴らしい文章力ですね。貴殿の賢明なお考えが120パーセント理解できましたよ ありがとうございました