変ですね。農学のはじまりが古代ローマだなんてわたしは言っていません。
学問と農業が結びついた書き物、「農書」が、じつに例外的に、ローマの紀元前3世紀と紀元1世紀にあると言っているのですよ。
それも、農業博物誌みたいなものだと付け加えて。
詩歌ではない畜農中心の「農書」がやっと17世紀に見られるということを念頭にです。
中国の場合は、各時代の農書を再編纂した『農政全書』が17世紀に出ていますから、
これ一冊で古い時代の史料の出典もわかることになっています。
でも、紀元前3世紀はないですよね。
お教えいただいたのでウィキの農学を見てみました。
英語のほう、農学とは、最近では18世紀ドイツの植物生理学からなる化学肥料に始まるとしたほうがよいと書いてあるじゃないですか。
植物生理学を調べると17世紀のベーコンからです。妥当ではないですか。
仏語のほうは、カルタゴの碩学の遺産を継いだローマに、著述が現われることを教えています。
> 12~13世紀の農業革命は大抵書かれている。農機具の改良と、おっしゃられた三ぽ式農業についてです。
いいえ、2代目Charles Townshend が推進した18世紀の農業革命を話題としています。
三ぽ式農業から脱却するということの意味を考えるためにリンクを貼ったのです。
リンク先の、以下の記述に、あなたの注視がないということから、
わたしの回答の主旨は最初から伝わっていないのだなと察しています。
「(輪栽式農法と改良穀草式農法の)どちらも小麦の他に、クローバー、サインフォイン、ライグラスなどの地力を回復させる性質を持った栽培牧草と家畜飼料となるカブ、ジャガイモなどを生産した。中世以来の三圃制では牧草の問題から一年を通じて家畜を飼育することは難しく、冬を前に保存食料へと加工する必要があったが、カブなどの栽培によって冬期の飼料問題に制約されることなく、家畜を一年中飼育することが可能となった。冬期以外は牧草栽培地にて放牧を行い、家畜由来の肥料(つまり糞尿に草を加えて発酵させ衛生的な肥やしにしたもの)で地力の回復を図り、牧草の枯渇する冬期はカブなどを家畜に与えた。また、三圃制ではどうしても土地を休ませる必要が生じたが、輪栽式農法にせよ、改良穀草式農法にせよ、栽培牧草と放牧の相乗効果により、(以下略)」
施肥は、養生と回復の技術です。古代でも中世でもこのように18世紀でもです。
土に、草に、家畜に、何が作用しているかは、今日のわたしたちから見れば、
(1)化学分析で解明できる (2)微生物学で解明できる (3)記号的連想と象徴の産物で非科学的である
に大別できます。たとえば具体的に以下のようなものです。
コンフリー、イラクサ、フキタンホポを植えると無機養分が増える、
イラクサを糞尿に混ぜると発酵が進む、
ヨウシュツルキンバイがアヒルの糞を増やし、牛の食欲を高める
イラクサやタンポポが兎や鳥禽を丈夫にする
セイヨウカノコソウを畑に植えるとミミズが増える、
シダを植えると蟻が近寄らない
アンゼリカやシダに殺菌力がある、
スギナがカビやうどん粉病を防ぐ、
経験的にはともかく、なぜ、かくかくの植物がしかじかの効能を持つと「学問的に」主張できたのでしょう。
アルカロイドだとか、珪酸だとか、窒素となじみが良いとか、無機塩が豊富だとか言うかわりに、
古代から中世の人々は、植物の外観と性質を、惑星と対応させました。
惑星の影響は、植物の活動期や開花の時刻を決めるだけでなく、性質にふさわしい外観を与えると考えられました。
たとえば六角形の外観を持つ植物は、土星の影響で骨格や節が目立ち硬質である。
それらは、内部に六角形の結晶を持つのであり、
これが雪の結晶に対応するがゆえに冬のシンボルである土星に対応するとみなされる、
というような分野があります。
これが錬金術の領域であることはおわかりだろうと思います。上記はつまり珪酸の特徴なのです。
Alexander von Bernusから過去へ遡ると、ゲーテが関心を寄せ、パラケルススによってまとめられ、中世の薬草書へ拡散していきます。
Walafrid Storabo(9世紀 Reichenau Abbey)、Hildegard von Bingen (12世紀)、Albertus Magnus(13世紀)、Bonaventure(13世紀)など。
ルネサンス初期には詩歌を散見することはできるでしょうが、まとまったものを知りません。一因は飢饉とペストにあると思いますが、
経験医学としては、ユダヤ人によってアラビア医学がエジプトを主として地中海沿岸に入っているのを、ヨーロッパの修道士や軍医が学んでいるものなので、
ペストによってルートが断絶したとも考えられます。
またギリシャにもローマにも軍医の手になる薬草書が豊富なので、掘り起こしの時代であることも一助かもしれません。
16世紀には、パラケルスス、Hieronymus Bock, Garcia de Orta, Pietro Mattioli, Leonhart Fuchsなどが、
植物について引き続き「学問的な」著作活動をしますが、
彼らも記号的な世界観を模索する者たちで、経験的な情報と織り交ぜながら植物の効能を説きました。
形には内部の微細な組織が現われ、内部の微細な組織は宇宙の偉大な法則に従っているというわけです。
あなたがおっしゃっているのとは違うようですが、わたしの理解する形成力とはこういうものです。
そしてリービッヒがこれを継承していないとも思いません。
土壌の性質を人間の手で変えられるとするかどうかが、肥料の境目であることをすでにお伝えしていますが、
物質の形と内的性質の因果関係を追及することから、一転して生産効率へと目的が変化したときに、境目が訪れたと思うばかりです。
このご質問には、待っても他の回答はつかないと思います。
クザーヌスについてとか、ケプラーの形成力についてとか、農学の成立についてとか、修道士の転地についてとか、
疑問は分けて質問をたてられたほうがよろしいと思いますよ。
どうでしょうかはもう無しでいいですね。
お礼
せっかく回答を頂いたのに、消されてはもったいない。 >回答と、ご自分の質問との繋がりがみえないわけでしょう? とお書きになる以上、ご回答が僕の役に立っているとは思っておられないわけですね。けれども、質問との繋がりはどうでしょうねぇ。僕の読みが足りないんでしょうけど。まぁ、いずれにしても、いつも僕はひとりで何かを読む環境にはありませんから、誰かは近くにいて送信してくれます。 ゆっくりで良いですよ。 このサイトでの質問の仕方について、教えていただいてありがとうございました。