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考え方がおかしいと言われました。
私は失敗や自分の能力が足りないと、すぐ死にたくなります。 というか、必要ない人間じゃないのかと考えます。 一度そう他の人に話したことがあったのですが、おかしい、と言われました。私はみんな死にたいと思ったことぐらいあるんじゃないか、と考えていたのでおかしいと言われた意味がわかりませんでした。 別に自殺願望があるわけじゃないのですが、生きていても迷惑になるだけだと思っています。私は考えが足りないところがあるのですぐ、人を怒らせてしまいます。怒った理由を一生懸命考えても理解できないときが大半だったりします。 私は、おかしいのでしょうか。よく変わってる、と言われるのですが、おかしいと呆れたように言われたことはなかったので、心配になりました。率直な意見、よろしくお願いします。
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結論から言うと「おかしくないです」。 おかしくはないけれど、そのままでいることは良くないです。 ずうっとそのままでいると、辛すぎますよね。 質問者さんの周囲の方は、自己肯定感がしっかりしているので、質問者さんを「おかしい」と言ったのではないでしょうか。 そして、質問者さんの場合は人より傷つきやすくて、挫折体験を人生の早い時期に多く味わってしまったのではないかと思います。 質問者さんが お幾つか分かりませんが、皆さんは割りと幸せな家庭で育って、自分の存在意義とか必要性に疑問を持ったことがなかったのかもしれませんよね。でも周囲の人も、大学に進学したり、就職したり、結婚したりで、環境が今と変わり挫折体験を繰り返し味わったりすると、質問者さんの気持ちが解るという人も中には出てくるかもしれませんね。 挫折体験を繰り返し味わった人でなければ、質問者さんのお気持ちは中々想像できないと思います。 私自身は子供の頃は両親が不仲であったり、引っ越しも多く、人付き合いのスキルも身に付く機会もろくにないまま、幼稚園に入園して初めから躓きを感じていたり、転校も多くて環境の変化に慣れるのに苦労したりで、人の顔色ばかり窺って、慢性的に自己否定感が強かったと思います。 でも、あまり死にたいと思ったことはありませんでした。 嫌なことも沢山あったし、周りから必要とされていると感じたことは特にはなかったけれど、自分のために生きていても良いと思っていました。 なぜなら、大人になったらやりたい仕事があったからです(結局は、叶っていません。でも、今も完全に諦めているわけではありません…)。 私は小学生の頃、ある時期までは挫折感で一杯でしたが、たった一人の恩師、小3の時の担任の先生との出会いがあったので、成人まで乗り越えられたのだと思います。 母親には褒められたことも認められたこともなかったけれど、私という存在を受け止めてくださった担任の先生に、母親像を重ねていたところがあったのだと思います。それに気が付いたのは、自分が母親になってからです。 私は、先生に出会うまでは、人に認めて貰う喜びも知らなければ、自分に可能性があるなどと考えることすら出来ませんでした。 自分で自分を信じることの大切さも気が付くことが出来ませんでした。 私が ごく幼い頃は、両親も不仲ではなかったけれど、妹が生まれた頃から父も仕事が忙しくなり、あまり私たち子供と関わらなくなっていきました。それにともなって、母にも家族のことで比重が重くのし掛かっていたのだと思います。一人で内職までしながら、赤ん坊を含めた4人の子育てはストレスが大きかったと思います。母はそれまで末っ子で、甘えん坊に育っていた私に手が掛かり、イライラすることが多かったのでしょう。その頃から母には、きつく叱られることが多くなっていきました。 父も父で家に帰れば酒に酔って暴れるので、当時は家の中は嵐のようで心が落ち着きませんでした。 私には5才ぐらいから、二人にしっかり向き合って貰えた記憶がありません(3,4歳までは人並みな生活だったと思いますが)。 でも先生が、その分を補う様に心の支えになってくださっていたのだと思います。私は先生がいなければ、たやすく死にたいと思っていたのではないかとも思います。そして、心の支えは夢だけでは脆い物なのだとも思います。見守っていてくれる力強い存在がないと、心は折れやすいのではないかと…。 でも、その様な出会いがあったから、子供の頃は、駄目だと思う自分の他に、自分の成長を信じている自分がいました。だから、挫折しそうになっても自分自身に発破を掛けたり出来たんです。 嫌なこと、落ち込むことがあっても、悪いことは決して続かず、良い波は必ず来る、引き寄せられると自分に言い聞かせる事も出来ました。 私の場合は、どちらかというと大人になって、親になってからの方が挫折感が大きかったです。本気で死にたくなったこともあります。自分の限界を思い知るようなことが次々突きつけられて、現実を直視しなければならなかったからです。 そして子供の頃、自分の親で埋められなかった物は、やはり自分の親では埋められないことに気が付いたからです。 実母と私は、やはり異質なものだと悟ったからです。 分かっていたのに、心が折れそうになったとき、すがろうとして挫折感で一杯になりました。 でも、今は乗り越えられたと思います。 親に期待しすぎることの落とし穴が分かったからです。 結局、最後に頼りになるのは自分なんです。 親はなくとも子は育つと言うけれど、それでも“親のような存在”は、やはり必要なんだと思います。質問者さんにも、その様な存在があれば、直ぐ死にたくなったりはしないと思います。 よく芸術家やスポーツ選手には目標とする人がいるけれど、あれもある意味“親のような存在”なのだと思います。 人の心を支えるのは物ではなくて、やはり人なのだと思います。 質問者さんには、まだ“親のような存在”と言えるような、大きな出会いがないから、死にたくなってしまいやすいのではないでしょうか。 質問者さんにも大きな出会いがあると良いですね。
- formidable
- ベストアンサー率15% (470/2940)
これからは、 【類は友を呼ぶ】……いまいまのアナタさまの感覚にベスト・フィットの 【類】を醸成してステキな【友】だけを集めることも 考えてみましょう。 マナー検定の上級~指導者クラス 常識力検定の1級クラス をクリアして自信をつけましょう。 常識力と礼儀作法がパーフェクトで 常に、ベスト・スマイルで、 全身から輝くオーラを放散しながら プラスのストロークを積み重ねていれば アナタさまに、必ず、いいことが起きつづけます。 ※他の人と重要な話をする際には常に録音して 後で、文章に起こすなどしながら、 多様な視角・視点から評価してみましょう。 心のエネルギー・レヴェルを高くして、 過剰な、自己低評価・自己否定・自己攻撃・自己批判や、 過剰反省は止めましょう。 もしかして[Sense of Inferiority] [Delusion of Persecution][Suspicion]が強くないでしょうか。 これからは、 【類は友を呼ぶ】……いまいまのアナタさまの感覚にベスト・フィットの 【類】を醸成してステキな【友】だけを集めることも 考えてみましょう。 マナー検定の上級~指導者クラス 常識力検定の1級クラス をクリアして自信をつけましょう。 常識力と礼儀作法がパーフェクトで 常に、ベスト・スマイルで、 全身から輝くオーラを放散しながら プラスのストロークを積み重ねていれば アナタさまに、必ず、いいことが起きつづけます。 ※他の人と重要な話をする際には常に録音して 後で、文章に起こすなどしながら、 多様な視角・視点から評価してみましょう。 心のエネルギー・レヴェルを高くして、 過剰な、自己低評価・自己否定・自己攻撃・自己批判や、 過剰反省は止めましょう。 もしかして[Sense of Inferiority] [Delusion of Persecution][Suspicion]が強くないでしょうか。 縁があるようであれば、早い機会に縁を断っておきましょう。 良い質問には答えが半分隠されている。 〔 開高 健 作家 〕 アナタさま自身、改善すべき点を認識されてますので 大丈夫でしょう。 ※朝日新聞であれば[声]・讀賣新聞では[気流]を読んで、それぞれ、 賛成の立場・反対の立場から文章を書いて、それを、どなたかに 評価してもらうか、2週間以上の時間を置いて、ご自分で読んでみて、 感想を書いてみるのなども1つの方法でしょう。 [常識力検定1級]の感覚で違和感を感じなければ 異常などではないでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これは常識力をつければ問題ないということなんでしょうか。 常識力が欠けているが故の行動かもしれない、と? あまり回答内容の意味を理解できませんでした。すみません。
>私はみんな死にたいと思ったことぐらいあるんじゃないか あると思いますけど 口に出さない 出したら本当におしまいになってしまうような気がして(人によるだろうけど) 出さないように 出さなくて済むように 「何か」をしていると思います 「何か」は 宗教的なことかもしれないし 「楽に生きる方法」見たいな本を読むことかも知れません 風水や占いのようなものかもしれません >必要ない人間じゃないのかと考えます。 これだけ沢山の人間が生きているのですから 一人くらい欠けても あんまり影響はないと思います 私も。 でも 生まれた・生かされているという事実があるわけですから 勝手に死ぬとか考えるものじゃないよな! って思いますね せっかく健康なら・・・ それなりに生きて欲しいです 生きたくても生きられない人もいます そう考える前に赤ちゃんのうちに亡くなる場合だってあります 生か死などと考える余裕が与えられない国に生まれてしまったらどうだったでしょうか せっかく どちらかといえば裕福で自由な国に生まれたのですか… 迷惑なのでは? と考えるのなら ”生か死などと考える余裕が与えられない国に生きている人達”を救うために ¥100でも寄付をしたらいかがでしょうか…(¥100じゃ全然たりないけど…) 日本での数百円で どこかの国の子供が何人か生き延びるかも! >私は、おかしいのでしょうか。 そう考えることは おかしくないです でも 普通は・・・何かをやりくりして 生きているのですよね 自分が生かされている意味を考えることが多くなった 末期のガン患者より
お礼
「生かされている」ことを軽んじていたのかもしれません。 生か死などと考える余裕が私にはあるのだと思います。何かをやりくりして、生きていないのです。幸せとは何なのか永遠に考えたことすらあります。 指摘されて、つまらないことで悩んでるのだと気づかされました。 ご回答ありがとうございました。
- daikon01
- ベストアンサー率21% (8/37)
人は自分が理解できないものに触れると怯えます。そしてそれを否定するばかりか蔑むことはよくあることです。否定され、蔑まされ続けると、そのうち自分を正当化するために自分が特別な人間だと勘違いして、もっと孤立を深めてしまうことがあります。 死にたいとか、必要じゃないとか、そういう貴方のような考え方もありだとは思いますが、貴方が今考えなくてはいけないのは、そういう貴方の考えはともかくとして、貴方が理解できないものに対して貴方自身がどれだけ寛容になれるかが問題のような気がします。 自分を理解されないことを心配することも良いですが、貴方と話している人だって、同じように思っていますよ。貴方は人によく変わっていると言われるそうですが、貴方を変わっていると言う人は、貴方以上にに貴方に対して寛容な態度を求められるわけですから、その人の気苦労を貴方が察してあげることから始まるような気がします。
お礼
>>貴方は人によく変わっていると言われるそうですが、貴方を変わっていると言う人は、貴方以上にに貴方に対して寛容な態度を求められるわけですから、その人の気苦労を貴方が察してあげることから始まるような気がします。 相手を思いやって行動する、と言うことですよね。 一度自分が余計なことを言うのが原因なんだ、と考えたことがあって、その時対策として極力自分から話さないようにしました。その間はため息をつかれたり睨まれたりすることは無かったんですけど、そうやって自分を制御しているうちに体のあちこちに支障がでてきました。 でも、相手の心情を察することで相手の態度は緩和になりましたし、衝突も減りました。これで良かったんだ、と思う反面人付き合いってこんなもんなんだ、と思ってしまい、それからは自分の思ったことを人に言えなくなりました。 我が儘なんでしょうね。こういう風に思うのは。 そもそも私のやり方が間違っているのかもしれませんし。 また、相手を察すると言う事を考え直して気苦労をかけないとはどういうことか考えていこうと思います。 ご回答ありがとうございました。
- bumassa
- ベストアンサー率33% (32/95)
私も同じです。 死にたいというわけじゃないけど、私が死んだほうが世の中のためで、少なくとも自分の周りの人は不快感が減るのじゃないだろうか、とよく考えて一人でめそめそしてます。 私も友達にこの気持ちを話したことがあります。 「答えは真ん中なんだよ」 と言われました。 いまでもよくわからないです。 おかしいのかどうかはわかりません。 だけど、自分が世の中に邪魔な人間なのかどうかの答えを知ることができません。 必要な人間なのかどうか、私の人生に意味があるのか、ないのか、答えを知る方法を知りません。 だから、生きてます。 生きていたいわけでもない。 でも、死にたくないんです。 そんな理由で死にたくないです。 自分が死んだほうが他人が幸せになるのかもしれません。 私が嫌いなひとも、好きなひとも、無関係に自分の死で不快感が減るのかもしれません。 だけどね! 私だって人生に一度くらいは幸せな目に遭ってみたいんですよ! 変な言い方だけどね! 私は、「自分が死んだほうが周りのためになる」なんてことを自分で認めたくないです。 誰も知ることのできない答えだから、自分で否定を続けます。 思うのは自由! あなたは死にたいわけじゃないって言ってるから、その点は安心! おいしいもの食べて、眠くなって、たまに友達とおしゃべりして、それだけでいいから生きていきゃいいんです!
お礼
ご友人が言われた「答えは真ん中なんだよ」という言葉はどちらでもないということなんでしょうかね。 >>私は、「自分が死んだほうが周りのためになる」なんてことを自分で認めたくないです。 誰も知ることのできない答えだから、自分で否定を続けます。 否定を、今までは続けていたのですが成長するにつれてその考えに揺らぎがでてきました。自分ではそう思って生きてきたけど、本当はすごく勘違いをしているだけなんじゃないか、と。でも、思うのは自由と言って貰えてこんな自分でも良いのかと思えてきました。 これからはあまり深く考えすぎずに生きていこうと思います。 ご回答ありがとうございました。
- TU-SK
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すいません、書き忘れ。 『逆の考え=死にたくない』って事です。
- TU-SK
- ベストアンサー率50% (1/2)
『みんな』というのはわかりかねますが思った事のある人は多いと思います。 僕は、今では逆の考えで周りを困らせているかもしれません。 何かあればすぐ病院に行くので・・・。
お礼
みんな、と一括りにすれば決めつけのように聞こえますね…。言葉が足りず、すみません。 思った事がある人は居る、というのが私の思い込みではなくて不謹慎ですが安心しました。ご回答ありがとうございました。
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お礼
私も割りと幸せな家庭で育ってきたのだと思います。両親は不仲でしたが、世間一般的に言えば幸せそうな家族、で通っていました。 別段、両親に不満な点はありませんでした。只、母親は怒るとすぐに枷が外れるタイプでした。長女である私は他人と比べ何をするにも時間がかかり、はっきり言って手間のかかる子供だったので怒りの対象はいつも自分でした。はっきりとした存在否定をするのです。可笑しい、と言われるのも常で要らない子だと言われるのも日常茶飯事でした。しかし、それでも生きたくて生きていたくて自分は生きてもいい存在なんだと言い聞かせていました。 でも大きくなるにつれて自分のそう言った感情は、受け入れがたいものなのではないかと不安になっていきました。そうすると胃が痛くなったり過食症になったり眠れなかったりで、ますます人と違う自分が可笑しいのではないかと不安になりました。それから、どうでもよくなって、人に何言われようが傷ついて泣くこともなくなりました。(涙がいきなり出てくることはあるんですが) おかしくないと仰っていただけて、少し気分が楽になりました。 私にも大きな出会いがあればいいと思います。なかなか自分を信じられず、このまま成人を迎えるのはどうかと思っていました。 でも少しずつ自分を信じて前向きに進んで行けたら、と思います。 ご回答ありがとうございました。