• 締切済み

40代にして

こんばんは。 40代にして、いろいろ人生失敗して、 メンタルヘルス系のお医者さまにお世話になってて、 生きてる、ごはんは食べるし息はしてるけれども、 でももう、自分の人生は終わりだと思っている人いませんか。 自殺願望なんかはありません。 その天は心配ありませんが そんな人がもしいたら 話をきかせてください。 きついので はげましの類はお控えください。 よろしくおねがいします。

みんなの回答

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  • ベストアンサー率17% (42/247)
回答No.7

 私も40代で、夢を持てる人生終わりと日々感じています。  早く70になって人生終わればすっきりするな、とも感じます。  今は、家族への義務感を支えに、重たい心を引きずりながらも生きております。  質問者さんや私だけでなく、ほとんどの方はそうではないでしょうか。  40代で「人生これから」と思っている方もいると思いますが、個人の性格や現在の状況に恵まれた少数の人でしょう。  自分の思う通りにはいかないものですね。

noname#11114
質問者

お礼

そうですね、 この年齢になって自分がただのただの凡人だって やっとわかってきました。 これからどうなることやら。 回答ありがとうございました。 この場をかりまして、回答くださったみなさまに 改めて御礼申し上げます。 ポイントは、どの意見もそれぞれに拝聴すべきものがありますので、 申し訳ありませんが、 どなたか特定の方に差し上げることができません。 みなさまありがとうございました。

  • htx2005
  • ベストアンサー率25% (22/87)
回答No.6

自分は39~40歳とウツ病で社会からリタイヤしていました。 もちろん収入圧迫のため、家族離散の危機や 自分自身の自我崩壊のために自殺も真剣に考えた時期もありました。 ただし、いまとなっては、うつ病に至る過程において、自分が人生に失敗した~と思っていた事象は、実は失敗ではなかったと思えるようになりました。 真の意味で、体験で語るなら、うつは辛く悲しく耐え難い時期であり、人生の氷河期であると思います。 しかしながら、その時期は永久に続くものではなく、最終的には、周りの人たちや自分の力で終わらせる事が可能なものであると確信しております。 「はげまし」が辛いとの事ですが、その気持ちはとても良く理解できます。 しかし最終的には「はげまし」無しでは、立ち直って行く事はできないと思います。 それは「うつ」の状況への自己憐憫からの脱却と、他者への必要以上の依存を断ち切り、 真に自立し自信回復していくためには、必要なこととなります。 簡単に言えば、最後は気合と根性で、それを乗り越えるしかないのです。 きついようですが、それが現実的なことであると思っています。

noname#11114
質問者

お礼

たいへんありがとうございました。 参考にさせていただきます。

  • VET21
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.5

同じように鬱でかなり落ち込みました。そうですね、18から27までが激しかったですね・・・何もやる気がおきず、私の場合、死にたいと思う気持ちが強かった。同時期に突発性難聴になってしまい本当に観念してしまいました。薬を飲んでも気分は優れず、ただぼんやりとぼうふらのように毎日を繰り返していました。とにかくみんな回りが自分を馬鹿にしているように思えたし、誰も理解してくれず苦しかった。母親に「あんたは誰の子?」といわれたことを今でもおぼえています・・・。今でも周囲からすると一見普通に社会生活を送っているように見えるでしょうが、鬱はかわりません。いっしょに生きています。

noname#11114
質問者

お礼

大変でいらしたようですね。 自分だけではないことに 少しの安堵と、それからなんともいえない気持ちが いたします。 そちらさまもご自愛ください。ありがとうございました。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.4

40というのは一つの大きな山ですね。 「ミッド・ライフ・クライシス」と言われてますね。 で、私も例外に漏れずなんですが、さんざん紆余曲折(本当!に)して最終的に辿り着いたのが「仏教」だったんです。(図書館で独学で始めた仏教ですから、現時点では何処にも属していません) 仏教の教えというのは反社会的と言えば反社会的なんです。 「足るを知れ(少欲知足)」 「智慧を持って生きなさい」 「感情の奴隷になって放逸に耽るな、平常心を育てなさい」と教えるんです。 そしてその実践法が「ヴィパッサナー瞑想」という元々はヨガの瞑想法で、お釈迦さまが悟りを開いた時にやっていて、伝統仏教の世界で2500年間伝承されている瞑想法なんです。 日本にある仏教というのは大乗仏教といって、伝統的な仏教(南方アジア圏に伝わるテーラワーダ仏教(上座仏教))とはかなり違うんです。 伝統的な仏教というのは生きている人間のための、生きていくための形而下の教えであり、心理療法のようなものなんです。 あとストレスでのぼせ上がってしまった脳のコンディションを整える、実践大脳生理学でもあります。もし暇だったら、この瞑想に真面目に真剣に取り組んでみてください。(私のHNをクリックしてもらっても、この瞑想の歩くバージョンを簡単にご紹介してます) あと「ひろさちや」という人も書いた本も、仏教の価値観をベースにして、少欲知足の生き方を庶民感覚で書いてありますので、図書館で読んでみてください。 今まで信じてきた世俗の価値観は仏教に縁って潰されてしまうと想います。 本当に心豊かな生き方とは? 本当の人生とは? 正しい生き方、正しい心の使いかた、を説いて、さらに自分を鍛えていくのが本当の仏教なので、是非、この機会に勉強してみてください。(死人のためのものではないんです) http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1211695 こちらも一読してみてください。

参考URL:
http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/arita/arita.html
noname#11114
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#10940
noname#10940
回答No.3

こんにちは  本当のことですよ。(食事をしている人ごめんな さいね)ぼくは、うつのとき、自分の事を 「うんこ製造機」とマジで思い込んでいました。 今でもその一面は事実だけど、あまりに思い込み すぎですよね。  六大学に入って、出世したりなどなど・・・とお受験 チャイルドだった僕にしてみれば、うつによる学歴 キャリアがこわれた事は人生の終わりでしたよ。 でも、本当は終わってませんでした。  他の人の話を見ると、30代や40代でも自分の 成長を信じている人もいれば、10代でも成長する 余裕が無くて苦しんでいる人もいます。なん才に なっても、心はそだてることができますよ。  肉体的なピークは越えましたね。お互い。でも、 ココロはこれからですよ。ココロの円熟期なんて 60歳前後だそうです。肉体だってすごいですよ。 本格的に体を鍛え続けると、60歳にして、20歳 の8割の筋力を維持できるそうです。介護の知識で も、後期高齢期は75歳からで、その時に体の色々に 衰えがはっきり現れるけれど、それまでは老いは 非常にゆるやかなのです。(個人差とか細かい事は かんべんしてくださいね 笑)  後半、漢字がおおくなってしまい、ちょっと読み づらくなってしまってごめんなさい。でも、うつは 治りますから。きっと良くなります。あなたの気持ち はわかりますし。病気の辛さも。また、フレッシュ マンを見ると僕もあせりは少しありますからね(笑)

noname#11114
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.2

こんにちは、かなり弱ってらっしゃる様子ですね。 一番きつい時は、ほんとにきついんですよね。 ただ生きてるだけ、楽しいことも何にもないようになって。 いつも出来ていることも出来なくなり、益々自己評価が低くなってしまう…。 私もそういう時期をくぐってきました。 相談者様より若輩ですが、医者通いし、田舎なので 両親にも理解されずと、結構どツボにはまっていました。 ネットで、同じような心情の方を見つけられると 結構励みになるものです。 傍から見ると、傷の舐めあいとしか思えないと思うのですが、 本人にとっては、とても休まる場所になります。 そういう場所を見つけられるといいですね。 あと、時間がある程度解決してくれることもあります。 何にせよ、あなた自身に非は有りません。 運が悪かったと、ゆっくり身体と心を休めてくださいね。 ムリは禁物ですよ。

noname#11114
質問者

お礼

ありがとうございます。 これしかかけませんがすみません。

  • yetinmeyi
  • ベストアンサー率21% (761/3595)
回答No.1

私も3年前はそうでした。 キツカッタけど、自分の目標を作って、自分で自分励まして。 私、家族、友人、会社すべて無くしました。。 現在は、友人のみ何とか作りました。 こんな感じです。

noname#11114
質問者

お礼

ありがとうございました。 ご回答に感謝します。

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