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感情のコントロール
自分自身が感情のコントロールが効かず、何かしら家のものを破壊したり、家出したり、困っています。 10年前から精髄損傷で車椅子生活を送ってきて、仕事、家の用事、何もかも中途半端にしか出来ない自分を受け入れることが出来ないのだと思います。 自己憐憫であることは、重々承知なのですが、自分をコントロールできない自分を消してしまいたい、としか考えられません。病院へ行くべきなのでしょうか?出来れば人生これでおわらせたいと思ってます。よろしくご意見いただけますでしょうか?宜しくお願いいたします。
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- hamakkotarou
- ベストアンサー率24% (222/908)
時には自由に使えなくなってしまうものもあるものです。 使えなくなってしまったものにこだわってしまうと、身の回りにある数多くの 使えるものに目が向かなくなってしまいがちです。 でも使えるからといって必ずにも最初から上手く使えることもないでしょう。 思ったように使えるようになるには上手くいかないけれどやり続け、小さな 問題を一つひとつ改善していくことで良くなっていくのだと思います。 それを面倒なことだ思うか,楽しめるものだと思えるかで感じることは 変わってくるのでしょう。 自分のことを自分で成長させたいのか,それとも誰かに成長させてもらい たいのか、その姿勢が自分の考え方に大きな影響を与えていることに 気が付くことができればどうすればいいのかは自ずとわかってくるはずです。
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
せっかく10年頑張ってきたのだから、後、10年頑張りませんか? ただし、お金溜めるために就労支援はうけてください。 現在、胚性幹細胞を使った研究が始まっています。治検としてアメリカではすでに、アルツハイマーと脊髄損傷の治療が開始されています。 胚性幹細胞なら、損傷した神経の再生も可能とされているわけですが、 問題は10年後、なかなか保険適用にならないかもしれないし、 保険が適用されても、自己細胞増殖にはお金かかると思うんです。 まずはネットで、胚性幹細胞かES細胞について調べてみてください。 それを読んでから先のことを考えてみませんか? 私の同僚にも車椅子の人がいるけど、みな毎日黙々とパソコンに向かって作業してますよ。
- miezail2
- ベストアンサー率14% (4/28)
Yatchin2さんへ 10年前から、車椅子生活に自分しか解らない、ご不便があると思います。辛いでしょう。苦しいでしょう。死にたいでしょう。わたしも、何度も何度も思いました。 状況は違いますが、私は2年前に交通事故により『頚椎損傷・腰椎損傷・中枢神経の異常』になり後遺症が残りました。最初は、治すことに希望を持っていたので、あちこち有名な病院に行きましたが、結果『治る見込みが無い』とのことでした・・・。この身体をあと何年も付き合っていくのか?と本当に今でも辛いです。長くなればなるほど、今度は『心』の病になりました。病院の先生方も長くなるほど適当にお薬だけになってしまうし、話などほとんど聴いてくれなくなり、家族も友人も付き合いきれないようで・・・・。『外に散歩にでも行けば?』なんて言う人がいますが、もし、精神的に落ち込んでいたら『電車に飛び込んじゃおう・車にぶつかろう』とか考えちゃいます。精神科に抵抗があるなら心療内科で安定剤を出してもらうだけでも違います(私は安定今の所大丈夫そうです)お役に立てるかどうかわかりませんが、まず、死ぬ前に遣り残したことありませんか?
- h1r0s13
- ベストアンサー率12% (61/497)
人生おわりにしたいくらいなら、精神科へは行けますよね。 そこで、カウンセリングを受けて、身体障害者福祉作業所で、ワイワイガヤガヤと仲間たちと、のんびり作業されたら如何でしょうか。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
障害の受容というのは想像以上に大変なんです。 比較でモノを言うつもりはありません。 ただ僕は生まれた時から障害を持ってる方とも、中途で障害を得た方とも関わったことがあるので凄く感じるんですけど、やはり最初から障害をパートナーとして抱えてる人はある程度の納得と言うか、これが私と言う部分が出来てるんですよね。だからあれこれ高望みしないと言うか、想像できないと言うか。それに対して中途の障害、特に脊髄損傷などの麻痺などが加わる形の障害では今までの自分が当たり前に出来てきた部分がどうしても捨てられない。何故?という思いや、自分だけが~という思いでどうしても、これが私なんだと言う所までたどり着けない。それはある意味当たり前というかね。簡単に切り替えられる方が難しいんですよ。貴方は10年掛かってる。人はそれを長いと言うかも知れない。でも10年掛けてもそれでも受け止めきれない自分がいるのも正直な自分なんですよね。 ただ、中途の障害を持った人というのは、それまでの生活を健常者の中で普通に送ってきた。その間に積み上げてきた人間関係や交友関係は残ってるんです。貴方が障害を持ってしまった。でも昔からの貴方の仲間は貴方を過去の流れの中からそのまま受け止めている。車椅子であろうが貴方の価値は変わらない。世界の広がりは変わってないんですよ。 それに対して生まれつき障害を抱えていると、どうしてもそういう仲間の中でしか生きて来れない現実があったりする。そうすると世界が広がり難いんです。自立しようとしても成長過程で障害の括りで狭いところに居た自分が急に社会に出ようとしても難しかったりね。 どうしても自分の変わり果てた姿を見せたくない気持ちが出てしまう事もある。でも貴方を知っている人たちからすれば、貴方が車椅子になった事は些細な問題なんです。受け止め方としてね。極端に言えば眼鏡を掛けた外したと同じ感覚。貴方に介助が必要なら友達として当たり前のようにやる。 敢えてやってあげるなんて思わなくても、それが普通に出来る。 それが今までの関係の貯金だったりするんですよね。 その辺りは障害を得て行動範囲や交友にも影響が出てきたかもしれない。でも昔の仲間を頼ったり、また連絡を取ったりしても良いと思うんです。プラスして新たに同じ様な境遇の仲間との連帯感、交流。 それも自分の力になる。 貴方は中途半端にしか出来ない自分を責めてる。 でもその貴方の今は、中途半端じゃないんですよ。 それが貴方なりに出来ることなら、それが貴方のベスト。 障害を持とうが持つまいが出来る事は歳を重ねていけば、成長していけば変わってくる。貴方は今自分が出来るベストを大切にしていけば良いんですよ。貴方がそうして障害を得てしまった事。それにはやっぱり意味があると思うんです。今はそう思えなくてもね。 貴方と同じ様な苦しみを今後味わうかも知れない人、今も味わっている人。そういう人たちにとって、貴方が今まで苦しみの中生きてきた、もがいてきた経験、思いは力になる。支えになる。それを還元していける貴方として貴方が求められる場所はあるんです。 出来る事は制約されてしまったかもしれない。 でも貴方の貴方としての価値は何一つ変わってない。 それは忘れずに。気持ちの波があっても良いんです。不安定になってしまう自分が居ても良いんです。 でも。貴方には貴方の明日が必ずやって来る。である以上、貴方は貴方なりの今の自分としての進み方が求められる。 その進み方は貴方が自由に決めて良い。貴方の人生なんですから。 自分の中の保てない感情があれば、誰かに伝えても良い。 自己憐憫になっても良い。でも誰かに伝える、吐き出すことで貴方の整理につなげていかないと。貴方は一人じゃない。貴方を今まで支えてくれた人、今も支えてくれている人の存在を忘れずに。 もし貴方がそういう人たちにお返しをしたいと思うなら。 貴方が笑顔になる事。とてもシンプルですけどね。 まだまだ時間があります。自分を責めない。恨まない。 少しずつで良いんです。自分と折り合いをつけていってください☆
お礼
ごめんなさい、その笑顔がでないんす 感謝が足らないんですかねぇ まだまだ、自分自身で精一杯で、気が回らないか、もともとの性格かもしれません ともかく、自分を壊したい思いです
- hasiru750
- ベストアンサー率13% (64/490)
わたし自身は車椅子ではないが杖を使う生活でも特段不満は無いです。 杖を使う生活が意外に楽しいから。 説明:不自由は必ずしも不幸ではない。 不便は必ずしも面倒ではない。 車椅子でも楽しみを見つけてくださいね。
お礼
ご回答。ありがとうございます。つまらなそうに感じてしまいます。 やはり、終わらせた方がいいように思えます