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人を遠ざける癖を改善したい

人に都合の良いように私を判断される事が不安で人の輪からちょっと離れる事が多いです。 自分が受け入れられているな、と安心出来るまでは知り合いであっても他人扱いしてしまいます。 話し合いやプレゼンなど自分が話す必要のある立場のときは社交的で人見知りの”ひ”の字も見せませんが、 そういうきっかけがないとし~んと口を閉ざし、場合に寄っては知り合いに対し視線を外してしまうため、相手方に無視した、という印象を与えてしまい、人を傷つけてしまう事もあります。 実際には特定の相手に対して他意はなく、人によって態度を変えたり冷淡になるのではなく、自ら場を作る事が出来ないだけなのですが、とても未熟な態度であると思うようになりました。 また、 私に興味を持ってくれている人に対しても、普段人と壁を設けているので、話しかけて来た人にもとっさには対応出来ず、無関心な態度を取りがちで、いつも人を遠ざけてしまいます。 このような私に、具体的に御勧めする人との向き合い方を教えて頂けないでしょうか? 是非皆様の御意見を参考にリラックスして人と接する事が出来るよう成長したいと思います! 幅広い具体的なアドバイスを頂ければそれだけ参考になりますので、一言でも嬉しく思いますのでよろしくおねがいします。

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  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.4

人に会ったら心の中で「いいところ探し」をしてみたらどうでしょう。楽しんでゲーム感覚で。人のいいところを見つけるとそれだけで楽しいですし。なれてくるにつれて、壁は消えていくかも。あとでノートに書き込んでも楽しいかもしれません。 あと慈悲の冥想もオススメです。 いろいろ実験してみてください。 幸福であれノシ

noname#122173
質問者

お礼

人のいい所探しは良い心がけですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.7

ごぶさたしております。前々はお力になれず、申し訳なく思っております。 >人に都合の良いように私を判断される事が不安で人の輪からちょっと離れる事が多いです。 他人が自分をどう判断するのか不安な気持ちは、大小の違いこそあれ、誰にでもあるものです。 失礼ながらこのお言葉ぶりを拝見すると、ご自分だけが特別にそうお感じになっていると。 そう思い込まれているようにも感じられます。 そして、もしもそうならば、そのお気持ち故、人の輪から離れがちになるのではないでしょうか。 >自分が受け入れられているな、と安心出来るまでは知り合いであっても他人扱いしてしまいます。 これも又、大小の違いこそあれ、誰しもそうだと思われます。 強いて言うならば、まず自分で自分を本物の自己愛を持って受け入れていれば、 自分が受け入れられているか否かという不安は少なくなります。 又、着目すべきは、自分が相手を受け入れているか、です。 >自ら場を作る事が出来ないだけなのですが、とても未熟な態度であると思うようになりました。 人それぞれに個性があり、それを「とても未熟」と括られるのは、やや理想が高いと感じます。 >是非皆様の御意見を参考にリラックスして人と接する事が出来るよう成長したいと思います! 大変力強い、前向きで謙虚なお言葉だと思います。 ただ、リラックスして、とありますが、もしかしたら「常にリラックスして人と接するべきだ」 というような固定観念的なイメージをお持ちかな、と少し心配を感じてしまうのです。 様々な状況変化~ 初対面であるとか異性であるとか、立場の違う人であるとか、利害のぶつかる人であるとか、 そういうものでリラックスの度合いは刻々と変化するのが本来です。 あまりにもリラックスしすぎている人を見かけますが、その態度はむしろマイナスとなることの方が多いです。 よってどうも双極的・二元論的に「常にリラックスして」という、これも又理想が高すぎるお気持ちがあるのかな、と。 すると、貴方様をそういうお気持ちに持っていくものは何なのか? それはなるほど、「恐怖」のようなものかも知れないなと、私も感じます。 そして、その正体・出所が何処なのか。これはこのご質問文だけでは、我々には分かろうはずもありません。 もしそれが分かると言う人がいるならば、その人はプロたる医師をも越え、 神のように自分で自分を錯覚しているとしか、私には思えません。 よってそれを探すことを、貴方様の今後の一つの課題とされるのが宜しいのかな、と。 どうも表面的なハウ・トゥ的対処では、なかなか進んでいかないであろうと思うのです。 しかしこれだけ前向きにお考えなのですから、きっと道は開けると思います。 そしてもしそれを掴めば、或いはコペルニクス的転回のようなことが起きるようにも思われます。 ご迷惑でなければ、又お会いできれば嬉しいです。今後益々のご発展をお祈り致します。

noname#122173
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ございません。 自然体、という言葉の持つ意味を早とちりする事無く受け止めたいと思います。 ありがとうございました。

  • nyau-nyau
  • ベストアンサー率45% (28/62)
回答No.6

気になったのでもう一度、回答させていただきます。 カウンセリングを受ける方というのは、決して精神科や心療内科にかかるような方ばかりではありません。 私は精神科医でも心療内科医でもありませんが、カウンセリングに関わる領域で実践し、学びを深めている者です。 「~症」などの診断は、医師の診断範疇ですので、ちまたにあふれている情報で自己判断(他己判断も)してそれを鵜呑みにしないよう、くれぐれも注意して下さい。

noname#122173
質問者

お礼

アドバイスを下さりありがとうございました。 自分で物事や状況を判断する事は大事ですが 全てを把握する事は出来ませんので自分と丁寧に向き合いたいと思います。

回答No.5

♯2 おはよう、おじさんです^^ 御礼の返信ありがとう。 うーん、やっぱり家庭環境か。。 これも言おうかどうか迷ったんだけど 君はカウンセリングも受けるだけの意欲を持っているようだからやはり伝えておこう。 君はね、正直に言うと『神経症』なんだよ。 自分の心に捕らわれているんだ。 リラックスして人と接したいというのが何よりの証拠。 自分を好きにならなければダメだよ。 この世のすべての人、自然に、万物にも感謝してこれからは生きることを誓うんだ。 それが出来なければ、カウンセリング受けようとも社会生活は多かれ少なかれ苦痛に満ちたままだと思う。 以下、参考までに…。  他人の心を理解できない者はまた、他人を信じることができない。他人が実際に自分に好意を持っていても、その他人の心を感じとる能力がない。神経症者は自分の心を他人に投影し、それを実際の他人と錯覚する。ありのままの他人をじかに見ることができない。  自分が自分を好きでないのだから、他人が自分を好きであるということが信しられないのはあたりまえかも知れない。他人の「好き」という言葉に安心できないし、信じられない。そういう人は自分が自分を心の底では嫌いなのである。そして自分が自分を嫌いだという自分の感じ方から眼をそむけている。いわゆる抑圧である。  そして抑圧したものを他人に投影する。つまり他人は自分を嫌いだと思う。そこで「好きだ」と言われても何となく信じられない。自分に自信がないという人も、心の底の底で自分を嫌いつつ、その感情から眼をそむけている。  そのような人は、どんなに社会的に名誉を得ても、どんなに他人の好意に接しても、他人の言うことを信じることはできない。表面的には他人の好意は分かる。しかし心の底の底で自分を嫌いな以上、どうしても最後のところで他人の好意を信しきれないのである。  他人の好意を表面的に分かっても、信じきれない人は、自分を心の底で嫌っているのではないがと反省してみることである。他人の好意を得ても、いつその好意を失うが不安でな小ない人も同じである。他人の好意が何となく居心地わるいという人も同じである。

noname#122173
質問者

お礼

私の質問内容は、私の一面を相談する形にしたものですし 何も感じない、悩まない人はいないのですから、神経症というのは、判断材料を踏まえると少し大げさな印象を受けましたが 親身になって下さった御回答に対し、参考になる点は今後に生かしたいと思います。

  • nyau-nyau
  • ベストアンサー率45% (28/62)
回答No.3

こんにちは。 まずお聞きしたいのは、あなたはどの程度のことを望んでいるのかということです。 「実生活においてどう行動したら良いのか」という表面的なことをなるべくすぐに変えたいのでしょうか? でしたら、認知行動療法のカウンセリングを受けることが有効なのではないかと思います。 また、今まで育ってきた家庭環境や人間関係が今のあなたにならしめる原因を作っていることを考えると、深い部分から紐解いて行くこともひとつです。 この場合は、精神分析的なカウンセリングや交流分析的なカウンセリングなどがお勧めです。 このような作業を自分自身の中で一人で行うには限界があるように思います。 いずれにしても、ご自分の心をしっかり見つめること、どのように行動を変化させるか、この二つは車の両輪のような役割をしますので、この二つのバランスを取っていくことが大切です。 ご自分の問題点に気がついたところから、すでに良い変化は始まっています。自分自身を見つめることは辛い作業ですが、焦らず、一歩一歩進んでいきましょう。 逃げずに向き合えば、必ず良い方向に向かいますよ。

noname#122173
質問者

お礼

回答して頂きありがとうございました。 認知行動に関する改善、向上が今の私に必要であると捉えています。 自分の考えは正しい方に向いていると感じごりごり押していた10代 人とのずれに孤立感を覚え異性との交遊が長く持たない過渡期を経て 現在があるのかな、と思っています。カウンセリングの経験は私の人生に役立つような気がします。

回答No.2

僕は40代のおじさんだけど、君は偉いと思うよ。 そうやって自分の至らないところにきちんと目が行って 改善したいとまで思うのだから…。 これは僕の勘でもあるんだけど、君は家庭で恐らく 安心して暮らせる環境で育っていないような気がします。 まぁ、もし違うのであれば申し訳ない話になってしまうけど…。 おじさんも昔、対人恐怖っぽいところはあったけどね。 でもそれは長く生きてれば自然と学び体得し改善されることだと思うよ。 経験に勝るものなしってやつで。 色んな経験を通して人っていいな。 安心してていんだなって自然にそう思えた時、 自分の中で確かなものになる。 今ではおじさんは、人から話し掛けられただけで嬉しくて嬉しくて 犬のように尻尾まで振ってしまう♪ 人が好きなのではなくて恐らく自分のことも好きなんだろうね。 このままでは、どこまでもお節介な爺になりそうで逆にブレーキ掛けたいくらい。 人があってのこの世。 人が自分に関心を持ってくれるというのはどれだけ有り難いことか。 嬉しいことか。 人を知るのには、己の心を覗けばいい。 俺は、君は善人だと思って疑わない。 それはどうしてかというと、自分も善人だから。 だから、君も根本的には同じ人間だと思って疑わないのさ。 究極的な例ではあるかもしれないけど、他人のヨチヨチ歩きの子供が 一人で車道に飛び出すようなことがあれば 君も、すぐにでも助けに行くだろう?そういうことが予想出来るから あー、人って自分と同じだな。 安心してていいんだな、って分かるんだよ。 これは理屈では中々体得しにくいものなんだけど 人間ってやっぱり生きてればそれなりの経験をしていくわけだから 嫌でもいつか気付かされる。 ずばり言ってあげると、君は自分のことがまだ見えていないから 他人も世間も見えず怖いんだ。だから戸を立ててしまう。 (これを仏教用語で『無明』と言うらしい) 要するに、真理に目覚めてないってことなのでしょう。 目覚める必要があると思う。 だって、戸を立ててたらこの世の天使とも戯れることが出来ないから それはやっぱりかなり損なことだと思わなきゃ。(笑) でも大丈夫!君はまともな人間だし、このまま生きていけば君もいつかきっと目覚める! あまり気負うな。どうやら『人って安心してていいらしいと先人に聞いた』ぐらいのことにして、そのまま生きていけばいい! 大体そんなに若くして早く目覚められたら、人生の先輩方も立場が無くなるしね(笑)

noname#122173
質問者

お礼

回答して頂きありがとうございました。 家庭環境が、安心出来る所ではありませんでした。 好きな人には好きだと素直になろうと感じました。 人付き合いを重荷に感じる必要はないですね。

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.1

心の奥の奥にある恐怖心を消滅させましょう。 アナタさまご自身、その恐怖心の存在に 気づいておられるでしょうから 素直なお気持ちになれば、大丈夫です。 ご家系に 似たような人がおられるでしょうから その人に治し方を訊くのも 1つの方法でしょうし、 心理学 受け取り上手 で検索して [受け取り上手]になるのも 1つの方法でしょう。

noname#122173
質問者

お礼

受け取り上手 時折自分の成長の度に情報を集めるのですが三日坊主的になってしまうので、 現状がとても嫌になったのでご回答を機に勉強しようと思います。 ありがとうございました。

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