霊については分かっている事も非常に多いですからご安心下さいませ。
1、心の問題としての霊
先祖や亡き人を敬う気持ちを表現するには対象物があると便利ですから心の中に生前のその人を思い浮かべて擬人化しそれを霊と考え墓参りなどの行動を起こす、もちろん霊と言う物体を拝んでいる訳ではありません。
2、物質としての霊
心霊写真、ポルターガイスト、金縛りなど物理現象を伴うと言われる霊、このような物が存在すると半信半疑ながらも信じている人は人口のおよそ半分、日本に6000万人位居るかも知れません。
で、はっきり言える事は1の場合きわめて人間的な教養ある人の行為で素晴らしい文化だと思いますし未来永劫続けたいと思います。
問題は2ですがこれは【確立された自然科学の法則】に真っ向から反するか全く説明できない現象であります。
自然科学を学べば学ぶほど、霊と言うものを定義すればするほどこの両者は矛盾する事が誰の目にも明らかです。
ところでこの矛盾を解決する素晴らしいアイデアが有るのですがご存知ですか。
それは伝家の宝刀“思考停止教”の信者になることなのです。
何しろ矛盾に遭遇した場合そこで脳みそのスイッチを切ればすべてhappy、何の不都合もありません。
実際霊の存在を信じる人の意見を良く聞いてみると初めから定義すらしないで存在の有無を論じているのが分かります。質問者さんも定義などしないでしょう?
つまり
よく分からない特徴を持つ良く分からないモノは存在すると思うか?と聞いて入る事になりますがこれに答えられるのは神のみ。
結論!
2の場合信じている人は初めから定義などする気持ちは毛頭無く只信じたいだけ、理由は人それぞれ。
ところで宇宙は様々な観測機器や技術でかなりの事が分かっていますし仮説の範疇ですが定常宇宙論やビックバン宇宙論、ビッグクランチなどがあります。
また恒星の生い立ちや成分、エネルギー放出原理、観測できる宇宙の範囲など分かっている事も非常に多いですがこれは仮説と実験、観測の成果だと思います。
これに対して霊ですか(^^
思わず笑ってしまいます、いや気を悪くなさったら申し訳ないのですがこの両者は同日の談では有りません。
ゴミ溜めとダイヤモンド以上に隔たりがあります。論外です。
一方は科学の粋を結集して、地球人の英知を集め研究した成果、一方は定義すらせず只信じたいだけ。
自然科学に反しようとも全く気にせず「今の科学だって完全ではないから居ないとは言い切れないだろ」とか「信じる信じないは個人の自由だ」とか言うだけ。中にはパニックになる人もいますよ(^^