- ベストアンサー
日本で自由な発想をもつ子を育てたい
海外(西洋)で生活している人から、日本の生活と違って自由で息苦しさがない、という声をよく聞きます。 「他人と同じでなければならない」という暗黙の縛りがなく、ひとりひとりの個性が尊重されるということのようです。 もちろん日本という国にすばらしい点は多々あると思うのですが、確かに日本では「同じである」という強い意識(前提)の基に、 少し人と違っていると「あの人はヘン」「常識がない」というように言われてしまう傾向があるように思います。 そしてそれは家庭の影響はおいておいたとしても、義務教育の過程とそれに続く社会生活ではなかなか避けられないことであるようです。 日本において子どもをのびのびと、「他人と同じでなければならない」という意識を抱かせずに自由に成長させるにはどのような方法があるでしょうか? 子どもだけではなく大人についても、何かご意見があれば書き込みいただければと思います。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本社会の個人主義の成熟度はまだまだ欧州社会ほどの段階にはありません。 おそらく感じることもあるでしょうが、日本は儒教倫理が根付いている国でもあり、公に対する意識が強いことは否定できないと思います。 では、日本社会で個人主義の尊重した教育を行うならば、という問題提起としての回答ならば、やはり家庭教育の時間を尊重することでしょう。 つまり、日本社会の一部である家庭において個人主義・自由を尊重するようにすれば、いいと思います。 ところで注意してほしいのですが、「自由の敵は我まま」だと私は思うのですが、自由に対する恐怖をまずは教える必要性があると思います。 簡単にいえば、自分の自由が”他人の自由を侵す”という自由の相克関係について教える必要性があります。 具体的には、「知る権利」⇔「プラシバシー権」などが具体例ですが、自由を教える際には、 「あなたの自由が誰かの自由を侵していることを想定して行動しなさい」という教育を行う必要性があると思います。 つまり、自由というのが天賦のものではなく、他者との相互尊重によって成立することです。 ここらの教育については、ペスタロッチなどの幼児教育課程で学習する機会がありますが、日本では「自由を疑う」という意味が極めて不健全であることを考えて、 「自由に対する責任感」と「自由への恐怖」を教えてほしいと思います。 そんな教育されると自由という言葉を濫用できなくなりますし、自制心・利己性の排斥ができる日本社会に馴染みえる個人主義・自由が理解できると思います。 ちなみに、「同じであることも個性」ではないでしょうか? 比較論では常に差異性を要求されますが、同じことであることも比較として重要な結論です。それを個性と言わないような考えも考えものだと思います。 最後に、質問者の自由観と私の自由に齟齬がある可能性もあるので、ご注意ください。
その他の回答 (12)
全体的な傾向としてはそうでしょうが、やはり東京などの首都圏の方が、そのような画一思考が弱いのではないでしょうか。 また首都圏の方が、不景気だとか言ってもお金はありますし、お金がある分、心の余裕もあります。 人により、合う/合わないはあるでしょうが、首都圏はいろいろな地方からの人が共存しているので比較的、適度にバランスがとれているのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに大人の社会を考えると首都圏は色々な人が集まっているので、地方よりは画一思考が弱いかもしれませんね。 教育に関しても、様々なニーズがありますから学校の色も多様になりますよね。 ただ首都圏の学校だと(わたしの経験上)周囲が進学に熱心になりすぎてしまう傾向があるような気がしています。 みんながいっせいにいい高校・大学を目指すというような…… では田舎の学校ならいいのか?というとそういうわけでもないですよね。難しいです。
- masatoshio
- ベストアンサー率29% (111/373)
そうですねえ。義務教育期間は、フリースクールや、インターナショナルスクールなどを活用する、中学を卒業したら海外で生活をさせる、などがいいのかと思います。ただ、今後、日本で生活していくことを前提にした場合は、あまりにも日本の文化や環境、習俗と乖離した感覚を身につけさせてしまうと、(慣れていないので)かえってやりにくく、苦労して、結果として普通以上に萎縮してしまう可能性もあります。高校以降は海外で生活させる、将来、海外で活躍するなど、日本に拘らない覚悟があるのならば、そのような選択肢もアリとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やっぱりインターのような日本の中の海外、あるいはほんとうに国外で生活するというのが一番なのでしょうか… >日本の文化や環境、習俗と乖離した感覚を身につけさせてしまうと苦労して…… 大学で帰国子女の子達が同じ学生達から「あいつらは常識がない」というように一括りに言われていたのでよくわかります。 日本という国がほとんど単一民族(実際にはアイヌや沖縄の人たちは大和民族ではないのですが)で構成されているということが、 「違うものを排斥する」ことにつながってしまっているのでしょうかね。 もちろん子どもは海外で活躍してくれてもいいのですが、わたしは日本が好きなので、 日本という社会の中で、特殊なコミュニティに属するということでなく、大人も子どもものびのび生活できればと思うのですが……
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございます。 >日本社会で個人主義の尊重した教育を行うならば、という問題提起としての回答ならば、やはり家庭教育の時間を尊重すること >自分の自由が”他人の自由を侵す”という自由の相克関係について教える必要性があります 個人主義を身につけた人間が日本の義務教育や社会の中でうまくやっていくことは なかなか難しいことのように思うのですが、そこの部分を乗り越えるためにとれる方法のひとつが 「自制心・利己性の排斥ができる、日本社会に馴染みえる個人主義・自由」を教えることである、ということですね。 分かりにくい質問でしたのに、核心を突いたご回答ありがとうございます。 >ちなみに、「同じであることも個性」ではないでしょうか? わたしの書き方が悪かったのですが、個性のある子に育てたいとか、人と同じであってはならないと 考えているわけではなく、「人と同じでなければならない」という強いプレッシャーを子どもが受け続けること、 その結果子どもが型にはまり、萎縮するような事態を避けたいというように考えています。 「自由な発想をもつ子を育てたい」ではなく、「子どもを型にはめずに育てたい」が正しい表現でした。 「家庭において個人主義・自由を尊重する」ということ、文字で読むほど簡単なことではありませんよね。 家庭の中での個人主義について、どのような方針をとり、具体的にどのような教育をしていくか 考えあぐねています。 「自制心・利己性の排斥ができる、日本社会に馴染みえる個人主義・自由」について、 もう少し詳しく教えていただけると大変ありがたいです。