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子供の頃○○が怖かった

私は小学生の頃、夏休みの半分を田舎の祖父宅にて過ごしていました。 それなりに楽しかったのですが、どうしても夜、長い廊下の先の薄暗いトイレに行くのが怖かったのです。途中の部屋の古時計がタイミング良く(?)ボ~~ン、ボ~~ンと鳴ったりします。それがまた怖い。 質問です。皆様の子供の頃怖かったものは何ですか?

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  • trgovec
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回答No.29

#15です。まだありました。 ・消毒。暖かくなって下水でボウフラやハエの幼虫などが増え始める頃、手押し車に消毒薬の噴霧器を積んで町中を消毒していました。今は下水設備が完備したので行われていません。町の人が当番制で保健所から機材を借りて行っていたのですが、全身白衣にゴーグル、マスク、噴霧器からはすごい音、人畜無害なのに逃げ回っていました。消毒の意味も分かっていなかったんですね。 ・デパ地下。今でこそデパートはもっぱら地下ばかり行きますが、子供の頃一時期地下に入れなかったことがあります。欲しいものがあっても親に頼むだけ。「モグラが出てくるかもしれないから恐いのか?」などとからかわれましたが(出るわけないだろ)子供というものは怖い理由を言えないものです。その理由が話題に出ること自体が怖いのです。その理由ですが、地下には薬局がありました。そこに人体を縦に割って内臓などの説明を書いている看板のようなものがあったからです。 ・祠の照明。坂を上ったところに何かの神様を祭った祠がありました。無人ですが夜は電球が一つ灯るようになっていました。昼間は電球はついていませんが古くなった電球は内側に黒いシミのようなものができることがあります。そのシミがたまたま瞳のようになって、昼間はまるで祠の上部に大きな眼球がついているように見えて気持ちが悪かったのです。

hirarno36
質問者

お礼

消毒の係の人の白衣にゴーグルといういでたちがちょっと不気味ではありますね。消毒が「有毒ガス」のように思えたのでしょうか。 薬局の看板、ありましたね。グロいと映るのも分かります。あれ、貼られるとちょっとね。 地下の怖さという話でしたら、私はやはり祖母に連れられていった地下街がたまたま一斉閉店の日だったでとても閉塞感があり不気味に感じました。 祠の照明。これも凄く分かります。また説明が上手いですね、リアルすぎます(笑) 闇と照明の乏しさがかもし出す雰囲気が怪しいですね。 余談。お稲荷さんなんかはとても怖いです。神社の狛犬も夜見ると怖いのですが、両方とも縁日ではなんともなく見えるのがまた勝手なものです。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (31)

noname#148416
noname#148416
回答No.32

NO.18です。 あと、まだあります。 昔、家の近くの側溝にアイスの蓋を捨ててしまい近所のおじさんに怒られました。 そしたら私と会うたびにそのことを言われおじいちゃんに言いました。 「あのおじさん怖いよう!」・・・しばらくおじさんの家の近くは通りませんでした。 おじいちゃんが「○○(おじさんの名前)め!!、まったく!」と言っていました。

hirarno36
質問者

お礼

昔は子供を叱るおっちゃん、おばちゃんがいましたね。今はやりたい放題のうえに親が知らん顔していて、えぇ~?なことが多いのです。 でも回答者様のようにあまりしつこく言われ続けるのも嫌なものです。 おじいちゃんが味方で心強かったでしょうね。 回答ありがとうございました。

回答No.31

またまたお邪魔いたします。 ANo.17です。 ANo.27さまの回答を読んで、 "あぁ・・・私も小さい頃花火が怖くて大泣きしてて、小さい頃は花火大会行かなかったっけ・・・" と思い出しました。 私が小学生?中学生?くらいの頃、夜ベッドで寝ていると・・・。 バターーーーン!!!という凄い音と衝撃で、びっくりして目を覚ましました。 一瞬なんだなんだ???と思いましたが・・・。 自分の足が、落ちた衝撃の感覚(打ちつけられた感じ)をもっているのがわかりました。 "え?私、両足持ち上げて寝ていたの・・・???" 自分で両足を持ち上げていたのか。 はたまた、見えない "なにか" に両足を持ち上げられていたのか。 確かに両足の付け根は、しばらくの時間持ち上げていたであろうだるさや痛みがありました。 学生の頃は、夜寝ていると自分の両足が落ちる音と衝撃で目を覚ましたことが何度もありました。 あれはなんだったんだろうなぁ???と、ずーっと不思議でならなかったんですが、 大人になってからはそんなこともなくなって、忘れていたりもしました。 が、先日の夜、久しぶりに経験しました。 旦那はちょうど布団に入ったばかりでまだ眠りも浅かった状態でした。 私は極度の眠気で先に寝ていて・・・その時にバターーーン!!!と・・・。 その時に。 "あ、久しぶりだなぁ" と思いまたそのまま寝ましたが、 旦那はその音の凄さにビックリしてガバッ!!と反応したのがわかりました。 久しぶりに経験しましたが、今でもそれがなんで起こるのかは・・・謎です。

hirarno36
質問者

お礼

まさか・・・これ以上は怖くて言えない。 子供の頃から妖怪好きで何でも妖怪のせいにしていた私ですが、それも今となってはほほえましいです(自分のことなのにです) ご自身で持ち上げていてバターンとおろしたのなら良いと思えてきます。夜中録画してその姿が映ると安心して眠れるのですが、もしかして何か別の事態だったら嫌なのでそれもどうかと思いますし・・・って私が悩んでどうする?(笑) 謎のままがよろしいようで~。 回答ありがとうございました。。

  • ckbckb
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回答No.30

小さい頃から寝る時は真っ暗じゃないと眠れなくて、 これは別に怖くなかったのですが、 布団から顔だけ出して寝るのが怖かったです。 顔だけ出して寝てると顔に何がが落ちてくるとか、 オバケに顔だけ持って行かれるような気がしてました。 布団から足とか体の一部が出てるだけで怖くて 布団の中で丸くなって寝てましたね。 今は息苦しくてそんな事してませんが、 たまにふと一瞬ですが、ドキッとなる時もあります。

hirarno36
質問者

お礼

これも分かります。足だけ出していると「つかまれそう」な。顔だけだしていると上から見つめられていたらどうしようとか。 そのうち寝てしまうので、朝起きたらしっかり顔とか足は出ているのですけどね(笑) >たまにふと一瞬ですが、ドキッとなる時もあります 思い出してそうならないようにおまじないをひとつ。 「布団が吹っ飛んだ」 これで大丈夫。(冷房効果もプラス!) 回答ありがとうございました。

noname#88702
noname#88702
回答No.28

子供の頃母親が恐かったですね。 「何で?」の一言で逆切れ 木刀・包丁ブンブン振り回されて… 言う事聞くしか無かったですね。 高校に入って立場が逆になり バイトして稼いだ金知ると猫なで声で… コレもまた別の意味で恐い(笑) ってヤバイかな?(笑)

hirarno36
質問者

お礼

腹を割って話し合おう・・・じゃなくて、木刀、包丁は穏やかではないですね。 回答者様そうとうな悪さをしたんじゃないですかぁ~? 猫なで声ならまだ良いかも知れません。同じ態度に出られてバイト代おねだりされたら割りにあいませんものね(笑) 回答ありがとうございました。

回答No.27

5、6歳の頃まで花火がスゴイ怖かったです。 8月のお盆の頃の夜、両親と祖母が嫌がる自分を無理矢理連れ出して町内のお祭に繰り出しました。 頭上で閃光が上がるたびに狂ったように怯えていたのを覚えています。 ちなみに大人になった今では大好きです。(笑) パッと華やかに咲いてあっという間に散る、日本人の繊細さを具現化した日本独自の素晴らしい芸術ですが幼少の頃は何故にそんなに怯えていたのか自分でも分かりません。

hirarno36
質問者

お礼

私の弟の話ばかりで申し訳ないのですが(もう3回も登場)、花火を怖がってしかたなかったです。 あんなに綺麗なのに、もっと近くで見させてやろうとしても絶対真下近くには行きません。 回答者様の気持ちも分かります。きっとあの大きさ、大音量が雷のように(何か非日常なものに)思えたのではないでしょうか。 でも昼間に音無しでやるわけにも行かないので仕方ないか(笑) 回答ありがとうございました。

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5721)
回答No.26

古いお家は、どうしてああも、便所が遠かったり、母屋とは別になっていたりするんでしょうね。 私には怖いものなどなかった、と言いたいところだけど、両親の死が怖かったような気がします。 両親とは離れ離れで生活していたので詳しくはないけど、命がけとまでは言わないまでも、両親はいつ死んでもおかしくないような環境にあったので、時々「親が死んだらどうしよう」と思っていました。

hirarno36
質問者

お礼

そうなのです。田舎の家の廊下は無駄に長いんです。家のど真ん中にトイレを設置して欲しいぐらいです(笑) 両親の死にあうことで死を深く身近に感じます。それは死に対する恐怖でもあり、肉親を失う恐怖でもあります。 回答者様のご両親がお元気でおられますように。 回答ありがとうございました。

noname#96519
noname#96519
回答No.25

「広島・長崎の原爆写真集」。。。怖かった・・めちゃくちゃ怖かったです!! 小学校から帰ってきたら 玄関のドアに送られてきた写真集がぶら下がっていて、つい「なんだろう?」なんて開けて見てしまったのです。 恐ろしい写真やら被爆者の方が書いた絵や詩が、子供心に衝撃的で・・かなりショックを受けました。 これにはCD・・あの頃はレコードか。。(^^;)が付いていて、その歌も聴くだけで写真を思い出して怖くなりました。 その頃から 飛行機が上空を飛ぶ時のあの大きな音が怖くてたまらなくなったのです。。。 それに比べたら他の事は「へ」のようでしたよ。。 本当に戦争って怖い!そんな地獄をもう二度と繰り返してほしくない!と今もずっと思い続けています。Love&Peaceです!にゃー! 

hirarno36
質問者

お礼

長崎で本物の原爆被害の展示物を見せられたときには(中学生ぐらいでしたけど)やはりショックでした。 爆撃機や焼夷弾の落下音って独特でしたし、空襲警報の警報音も不安をあおる音です。 でも回答者様の仰るとおり、写真集での衝撃でもそれぐらいショックなのですから本当の戦争は絶対体験したくないものですね。 回答ありがとうございました。

  • hoshies
  • ベストアンサー率26% (27/103)
回答No.24

ラーメン屋台のチャルメラ。 遠くからだんだん近付いてくると、恐怖もピークに!! あと、救急車のサイレン。 遠のいていくといいんだけど、少しずつ近付いて『ピ~ポ~ピッ‥』と止まった瞬間「ギャーッッ(TOT)」でした。

hirarno36
質問者

お礼

またまた私の弟のことで恐縮ですが、やはりラーメン屋台のチャルメラの音や近くの神社での神事に使う笛、太鼓の音を異様に怖がっていました。と、いうより私、面白がってあおっていたんですけど。(悪い兄でした。反省) 救急車のサイレン(緊急自動車のものをひっくるめて)は夜空に響き渡ると結構不安感を誘いますね。それが近所ともなると怖がる子がいても不思議ではないです。 大人は野次馬がいますけど(笑) 回答ありがとうございました。

  • Claudio
  • ベストアンサー率24% (87/361)
回答No.23

ゴジラ。 その反動なのか、今では特撮ファン歴20年めです。

hirarno36
質問者

お礼

あ、これも分かりますね。 ちょっと前のゴジラは子供に対して正義の味方的なところがありましたが、さらに古いタイプのゴジラは「いかにも悪そうな」凶暴な怪獣でした。 演出、撮影の仕方、音楽なども子供をびびらせるものがありました。 で、ありながら一方では魅了されていたんですけどね。 回答ありがとうございました。

回答No.22

ANo.20さまの回答を読んで思いだしたので、再度回答させていただきます。 ANo.17です。 私も子供の頃、遮断機が怖くて踏み切り渡れなくて、泣いていた記憶が今でもハッキリとあります。 遮断機はそのほとんどが、棒の左側が固定されていて斜めに持ち上がるタイプだと思いますが、 私が怖かったその遮断機は・・・確か、大阪かどこかに家族旅行ででかけた時だったと思います。 紐のような遮断機で、それが真上にすーっと持ち上がるやつでした。 しかもその踏み切りは物凄く幅が広いのに、電車の通行量も多く、遮断機が上がっても またすぐに降りてきて電車が・・・の繰り返しで、通る人はみな走っていました。 その短い間隔で幅広い踏切を渡るのが怖く、ずーっと泣いていました。 最終的には、父か母によって引っ張られ、渡りましたが・・・かなり怒っていました、母が。 それから、上野へでかけた帰りの電車の中で。 電車の発車待ちをしている時、何気に反対ホームを見たら・・・。 酔っ払っていると思われるホームレス風の男性がホームのベンチに横になり寝ていました。 が、口からはゲロが、止めどなく次から次へと流れ出ていて・・・・・・・・・・。 気持ち悪いのと同時に、こわっ!!!とも思いました。

hirarno36
質問者

お礼

私は大阪ですのでもしかしたらあそこの踏み切りかな?と。 子供の歩幅でしたら引きずられるようにして渡らないといけません。お母さんの怒る顔と遮断機の音が重なって怖かったのでしょうか。 踏み切りの警報音って神経質に聞こえるので子供にとっては恐怖を感じさせるでしょうね。 口からゲロが・・・。オーメンというホラー映画を想像してしまいました。怖いと気持ち悪いが入り混じったなんともいえない気持ちでしょうね。 想像するのも嫌なグロいシーンです。 回答ありがとうございました。