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失敗を成功に変えること

生きる中で致命的な判断ミスで、大きな幸せを逃したとして、例えば第一希望の就職面接で失敗して落ちたり、あきらかに後悔すべき状況でも失敗を更なる成功のチャンスに変えて行くことは可能ですか?例えば仕事でミスをして、大事な飲み会に参加させてもらえなかったとして、その日にあえて、合コンを設定し、大きな幸せをつかむなどです。生きることはそういうことでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • dai-ym
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回答No.9

質問文に書いてあるようなやり方では、失敗した事はそのままでそのマイナスはなくなりません。 失敗したことに対して、なんでそのような判断ミスをしたのか、同したら今後はそのような判断ミスをしなくなるのかを考え、実践し、次には同じ様なミスをしないようになる。 そうやって自分を成長させることで失敗を次への成功のための準備に変えてしまうことが大事です。

その他の回答 (8)

  • LOTUS18
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回答No.8

うまくいくチャンスは できたときよりできなかったときのほうがあります。 考えるからです。 自分についても、状況についても。 厳しい目線のほうが、見つかることは多いです。 満足してしまうとそれ以上がありません。 成功したときはその喜びで心が満たされ その瞬間はとても幸せだと思いますが それは継続するとは限りません。 失敗したときは失望感で満たされますが そのあとどうするか、という選択肢が与えられます。 既存の視点と別の視点で現状が見えるかもしれないし 問題点に気付くかもしれない。 その繰り返しで、 人は成長していくものだと思います。 一年後この質問をご自身で読み返したとき 懐かしくほほえましく思うかもしれないし まったくその通りと思うかもしれない。 それは自分の考え方次第です。

回答No.7

上手くいかないことで発見できることもあれば、上手くいってしまった ことで見落としてしまうこともあります。 いま成功したからといっていつまでも成功するわけでもありません。 常に継続していることを忘れなければ失敗しても成功しても問題点を 発見して改善し、いまできることがあればやってしまうことだと思います。

  • ye11ow
  • ベストアンサー率40% (230/564)
回答No.6

「人間万事塞翁が馬」といいます。 人生の中で起こることには、何が成功で何が失敗か、 最後までわからないということがあります。 何が「あきらか」であるのかが、わからないのです。 例えば、第一志望の就職口を手にしたとしても、そのことにより、 入社後、魅力的ではあるけれど、身の丈に合わない仕事を ストレスを感じながら続けねばならないということも起こりがちです。 現代においては、「心を病む社員」は社会問題化してきています。 「うつ病」や「自殺」なんてことがないとは言い切れません。 外から見ると良いイメージのある、いわゆる優良企業でも、 入って内側から眺めてみると、あちこちが汚なかったり、 人間関係が冷たかったり、なんていうこともありえます。 それよりは、合わない人たちとは縁を切り、 本当に自分に合う人たちと一緒に生きたほうが良いでしょう。 一般にステータスが高いといわれる仕事でも、激務だったりして、 適性の無い人にとっては、「全く良くない仕事」であったりします。 しかし、それらは実際に体験してみないとわからないことです。 “失敗”と“成功”を、同じ瞬間に同時に体験することはできないので、 「何も言えない」というのが本当のところでしょう。 また、物事を失敗と成功に二分するための絶対の基準もありません。 相手を血まみれにしたけれど、最後3カウントを取られた悪役レスラーが、 「試合には負けたが、自分は勝負には勝った」なんて吹聴したりします。 価値の基準は複数あるし、引き分けもあって、本当に何も言えないわけです。 確からしいのは、「自分が今生きている」ということくらいでしょう。 では、「苦労しながら100歳まで生きた人」は成功者でしょうか? そうだともいえるでしょう。しかし、そうではないのかもしれません。 私は、大好きな曲があるのですが、曲の作者は近年夭折されました。 あんなに素晴らしい曲を作り、多くの人に感動を届けたその人の人生が、 若くして途絶えてしまったことで、“失敗に終わった”とはとても思えません。 しかし実際、生きていて当然な人が、「今この時」死んでしまっている・・・。 それでも私には、最高の人生に思えます。短くも太い、完璧で最高な人生。 才能ゼロの凡人の私としては、100歳を目指す「細長い人生」で対抗です。 「生きていること」すら、成功なのかどうかわからないと思います。 では、何も言えないところでの“成功”とは何か? それはきっと、自分が今とっている選択を「成功の選択」や 「成功に通じる選択」、「ベターな選択」と思い込めるかどうかだと思います。 「逃した魚は大きい」と考えるよりも、 「届かなかった葡萄はきっと酸っぱかった」と考えるべきなのです。 成功・失敗に確実な根拠がないので、「根拠なしに」信じられれば最強です。 昨日、新聞勧誘のオヤジがうちに来て、いきなり妙なことを言うのです。 「いや、あなた、いいこと起きますよ、宝くじ3億円なんて目じゃない。 ホント、私の話聞聞いた人、必ずですよ。・・・ところで、新聞3か月どうです?」 新聞屋も不景気で、こんなことまで言うようになったかと笑いました。 初対面の相手に、何の根拠もなく、アホぬかすなと思います。 でも、「いずれ成功が舞い込んでくるかもしれない」と期待しながら生きれば、 その逆よりは、おそらく良いことが起こる可能性は高いことでしょう。 「もしかしたら」と思えるだけでも、それはそれで少し幸せな気もします。 3億円分かどうかわかりませんが、3千円位の価値(?)はあるかもしれません。 ところで、今質問者さんは、間接的に「新聞屋の話」を聞きましたね?(ニヤリ) 「失敗を成功に変える」ためのコツとは、そういうところにもあると思います。

  • Bsukesan
  • ベストアンサー率25% (73/284)
回答No.5

あなたの例えは意味が少し違うと思います。 失敗は成功の母と言いますが、これは一つの答えを得るために集中して工夫を重ねる。ということで、こちらが駄目だから、次はこちらでと目標をひょいひょい変えることではありません。 あなたの例に沿えば、「就職の面接でこの点で失敗したから、今度の面接では同じミスをおかさないぞ。」「この仕事は、俺のこのミスの為に失敗した。次は経験不足な点は経験者に相談して、方法を検討しよう。必ず成功させるぞ!」寝ても覚めても仕事のことを考えている。そんな時期が必要ですけど。 これが失敗を成功に変えるということです。失敗をスキルアップに繋げている。 平たく言うと「やる気」ということです。 絶対とは言えませんが、不可能ではないが答えになります。

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.4

私は、 失敗じゃないさ。 この方法では上手くいかないって発見が出来たじゃないか。 だからこの実験は成功なんだよ。    〔 Thomas Alva Edison  発明王 GE創業者 〕 という言葉が好きなのですが……ネットのお付き合いでは 現実のヒューマン・インタフェースよりシビアで 行間を読んでもらえないなどで、誤解で、破綻してしまうのですが やり直しの機会がないタイトな状況では、 イメージ・トレーニングを重ねるなど 十全な準備をして 失敗する機会を極限まで狭めておくことが大事ですね。 途中下車してから運が広がった 〔 増村義直 〕 萬華鏡この世は夢を見るところ 〔 中尾藻介 〕

noname#203300
noname#203300
回答No.3

 そうですね。  『致命的な判断ミス』とか、『第一希望の就職面接で失敗して落ちた』とか言っても、飽くまで、“その時点”での評価での“ミス”で、長期的、あるいは一生を通して評価すれば“ミス”かどうかなんてわかりませんし、、そもそも、評価するに値しないものかも知れません。  私自身について半生を振り返れば、貧乏家庭に生まれて、そこから抜けるべく努力して、○大に落ちて、△大に行って、就職志望をやめて起業して、女房に出会って子供が出来て、今の境遇。今は他人からみれば全てに恵まれた暢気な生活ですが、どこかでちょっとくるっていたら今はないわけで、全て『結果オーライ』でしょう。  これで、あと10年くらいでポックリ死ねたら最高の人生でしょう。

  • hasire750
  • ベストアンサー率14% (153/1066)
回答No.2

人には失敗する権利がある。だがしかし、それには反省と言う義務が付く。 本田宗一郎語録より

  • kokkodon
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.1

失敗は全て練習だったと思えばいいではないですか。 そしていつか成功するのは練習の賜物ですよ。