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日本国有鉄道時代の教育機関として中央鉄道学園というのがあったそうですが---。
日本国有鉄道時代の教育機関として中央鉄道学園というのがあったそうですが---。 何かエピソードを教えてください。 要するに"企業内学園"として運転士とか鉄道公安職員の養成をしていたのでしょうか?
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国鉄中央鉄道学園は、高卒で採用した職員の中で優秀な職員を選抜して(推薦及び中央鉄道学園入学試験)、合格した職員が職場を離れ、最低限の給料をもらいながら4年生大学の勉強を3年間で完了する「大学課程」をメインとしてつくられた学園です。この中央鉄道学園を卒業すると国鉄内では「大学卒」と同様に扱われました(しかし国鉄を辞めると正式な大卒の資格はない)。 家が貧乏で大学へ行きたいけど行けない優秀な高校生を、早めに国鉄内で囲い込み、給料を払いながら大卒の実力を付けさせ活用していました。また、高卒で国鉄の仕事を一所懸命していたけど、まだ勉強したくなった優秀な職員の夢をかなえる的な意味もありました。さらに、普通科や商業科などを卒業して一般事務などをしていた職員が、土木や機械、電気などの専門に興味を持ち、専門技術職に変わりたいときも、中央鉄道学園の土木や機械、電気など専門の入学試験に合格すれば、卒業後は異なった専門の職種に変わることもできました。 しかし、給料をもらいながらの大学のため、一般の大学に入るよりも難しい狭き門であったようです。 中央鉄道学園は、大学課程がメインですが、他にも、大卒採用の新卒職員教習なども行っていたようです。 しかし、一般職の運転士の養成は各鉄道管理局の学園で行い、運転所長などの幹部職員や各鉄道管理局の先生などしか中央鉄道学園では養成していなかったと思います。鉄道公安官も幹部以外は違うと思います。 また、中央鉄道学園には多くの優秀な教授もいて、他の大学に講義に行ったり、研究をしたり、教育資料を作ったり、鉄道の専門書を書いたり、各鉄道管理局の持つ学園の指導や応援をしたり、国鉄幹部職員の登用研修を行ったりと、いろいろ活動していたようですが、昭和62年に国鉄が分割民営化され廃止されました。国分寺~西国分寺間の中央線南側にあった中央鉄道学園の敷地は、国鉄清算事業団が国鉄の借金をいくらかでも返すために売却して、今では一般マンションなどが建っています。 現存する防衛大学校や税務大学校などと似たようなものの国鉄版ではないでしょうか。
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- unchikusai
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特急こだま号にあこがれていた元鉄道少年です。 昭和30年代半ばに発行された子ども向けの「日本の鉄道」的な書籍に、「運転士になるには…」の項目があり、そこに中央鉄道学園の名前が紹介されていました。内容は「鉄道体操」をしている学生の不鮮明なモノクロ写真が掲載されていただけですが。
お礼
有難うございます。
- 風車の 弥七(@t87300)
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元国鉄職員です。 中央鉄道学園は国鉄本社直轄の学校で「大学課程」と言うのをメインに実施していました。 高校卒でも大学課程に合格し学園卒業後は学士待遇になりました。 出世がはやくなるのです。 三島はのちに保線区のモーターカーやマルチプルタイタンパーと言う保線専用機械車両の学校になりました。 なお運転士や鉄道公安官は地方の鉄道学園で教育を行いました。 東京近辺では大宮の「関東鉄道学園」がそれに当たります。 私もこの学校で新任教育を受けましたが、いまは中央鉄道学園同様に存在しません。
お礼
となると中央鉄道学園は本社が直轄する大学課程の教育機関で、それ以外の学校は各鉄道管理局が管理する教育機関だったということですね? 又中央鉄道学園では何を教えていたのでしょうか?
- hiroki0527
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昭和38年の通称「38豪雪」の際、「中央鉄道学園三島分教所」(とナレーションが流れる)の生徒が長岡操車場の雪かきをしている風景が映画(豪雪とのたたかい)に残っています。 他は下記をどうぞ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%89%84%E9%81%93%E5%AD%A6%E5%9C%92 大手鉄道会社には社内に教習所があり、そこで社員に運転士や車掌等の教育を行っています。
お礼
有難うございます。
お礼
大変詳しい回答有難うございました。