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水子の供養を忘れてしまった私の気持ちと対策について
- 過去に中絶した経験があり、9年間家の近所のお寺で供養をしていたが、10年目の命日を忘れてしまった。
- 子供が夜泣きや暴れるようになり、命日に気づいて供養をし、その後夜泣きが止まった。
- 命日を忘れていたことに対して申し訳なく自己嫌悪し、これからも毎年供養に行くつもりでいるが、水子(我が子)に対して他にしてあげられることはあるか聞きたい。
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年に1度と言わず、時々思い出してあげれば良いと思いますよ(^_^) たった一日、唯一お母さんに思い出してもらえる日なのに、 お母さんが思い出してくれなかった事がさみしかったんじゃないかなぁ。 最低なんて言わないで下さい。今、こうして悲しんでおられる事が 何よりの証しです。ちゃんと愛しておられるじゃないですか。 あんまり思い込んで、悩まないで下さいね。 私も中絶した事があります。 命日の近くの日曜日等、暇が出来れば供養に行ってます。 不思議とその近くの日になったら、ぽっかり予定が空きます。 私の場合は、あまり思い込まない様に心がけて 『ちょっと、日光浴がてらお参りにいこうかね ヽ(´ー`)ノ。』 って感じで行ってます。(お花も500円位のカワイイブーケとか持って。) 陰(いん)に考えず出来るだけ楽しみましょうね。水子ちゃん(?)にとっても お母さんの笑ってる顔が一番だと思います! 『・・・ごめんね。』だけじゃなく『ありがとう』と言って微笑んであげて下さい。 子供はお母さんが大好きなんですよ! 水子ちゃんの為に出来る事は・・・。 mutamasaさんが幸せになる事です。 ・・・頑張って下さいね。
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- emoto
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本当に有難うございます。私の周りには同じ様な経験をした人がいないので、mutamasaさんに読んで頂けただけでとても嬉しいです。有難うございます・・。 私は痛みはなかったのですが、ベッドに移されてから泣きながら騒いだみたいで看護婦さんがとんできました。あまり覚えてないのですが・・。 今度、お寺へ行こうと思います。ちゃんと供養が出来るように。yasosukeさんが言われているように、有難うと言えるようになりないです。 本当に本当に有難うございました。
- emoto
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こんにちは。 mutamasaさんやyayosukeさんの文章を読んで、体が押さえつけられているかのような気になってしまいました。 私も中絶を経験しました。私は本当に馬鹿なことをしました。あれからずっと、心の中に鉛を抱えているようです。 今でも考えれば涙が止まらないのですが、私は今まで、自分に一体何が出来るのか分からずに過ごしてきました。どこのお寺へ行けばいいのか、どう供養すればいいのか、どこにお花を供えればいいのか、何も分かりません。お寺などできちんと供養してくれる、と聞いたことがありますが、どうすればいいのか、誰に尋ねる事も出来ずに今まできています。命日が来るのが怖くて、正直忘れたくて、結局今まで何もしませんでした。 だからお二人のお話を読んで、何もしていない自分が嫌で嫌でたまらなくなりました。 私は結婚しましたが、まだ子供はいません。もともと子供が苦手なこともありますし、きっと、私はまだ自分のした事の本当の酷さに気づいていないのかもしれません。それが余計に怖いのです。 mutamasaさんはなぜ、そちらの神社へ行かれているのですか?お墓へ行くと、水子供養の石碑がある所もありますが、私もそういう所へ行けば供養になるのでしょうか。自分の家のお墓があるお寺でなくても構わないのでしょうか? mutamasaさんは命日を忘れていたことを本当に悔やんでいらっしゃるようですが、私なんかに比べればずっと、供養になっていますよね。 申し訳ありません、何の回答にもなっていませんがとにかく誰かに聞きたくて・・。
お礼
emotoさん、こんにちは。レス有難うございます。中絶と言うのは体だけでなく心まで傷つけてしまうんですよね。出産経験ある私ですが出産の時の痛みもすごかったですがそれ以上に中絶した時の痛みは今でも忘れる事が出来ません。(麻酔が途中で切れたせいなのか判りませんが痛みの中で子供に対して謝り続けていた記憶が昨日の事のように思い出せます)それと水子の供養する、しないは人それぞれだと思います。心の中で思っている人もいれば供養に行く人もいる訳で。うまく言えませんがemotoさんも今まで忘れたくても忘れずに水子の事思っていたのでしょ?皆さんの意見は判りませんが私にはそれも供養になっているんだと思います。私は子供をおろした次の日の産科の検診の時に何を思ったか先生に「私の子供の亡骸はどこにあるんですか?」と聞いてしまいました。亡骸を供養してもらおうと思ったからです。でも先生は「そんなものないよ。手術でかきだしているから原形なんてないよ。」とあっさり言われてショックを受けた事を思い出します。なので私は自分の家の近所にある神社に行きそこで供養する事に決めたんんです。(そこは偶然なのか水子供養のお地蔵さんが奉ってありまたから)だからお坊さんに供養してもらった訳でなく自分の気持ちとして供養しています。毎年必ずどんな事があってもと心に決めていただけあって今回の事は本当に申し訳ないことをしたと思っています。毎年お地蔵さんを見ると涙が溢れてくるんですよね。emotoさんになんて言ったらいいか判りませんが水子の事を忘れない事が一番の供養なのではないでしょうか?私はそう思います。神社に行くも心の中で思うも気持ちの問題ですからね。無理に神社に行く事はないと思います。そして神社で供養しようと思われるなら行けばいいのですしね。こんな私が偉そうに言ってしまってすいません。emotoさん・・・・。これから辛い事もあるでしょうけどお互いこの世に生まれてこれなかった水子の分も頑張って生きて行きましょう。そして回答下さって有難うございました。
お礼
ご回答有難うございます。こんな私に暖かい言葉をくださって涙が出る思いです。私自身も親の勝手でこの世に生まれてこれなかった我が子の為にも頑張って生きる事が少しでも供養になるのではと思っています。息子を見ていると思うんですよ。『今ごろ生きていたら今年で10歳か~』『どんな感じに育っていたんだろぉ~』って。たまに中絶したことに後悔の気持ちになってしまったりしています。でも、もしあの時子供を産んでいたら今の息子もいなかったでしょうし。この10年間辛い時よく思い出していました。水子の父親も私も当時10代で付き合ってまもなく妊娠しその時既に彼氏の方には子供がいたんですよね。それが中絶の一番の理由です。それからすぐ別れましたが6年後再会し不倫の状態でしたがその時相手には子供がもう1人増えていて精神的に耐えられず数ヶ月でお別れし、現在の旦那と知り合って今があります。今の旦那は口は悪いですが優しいです。でも心のどこかに昔の人が忘れられずにいるのも事実です。もう会うことはないですが一番好きだった人の子供だけに思い入れが特に強いんです。失礼な事を聞きますがyayosukeさんは水子に名前は付けられましたか?私は付けました。これも偶然なのか水子の父親の下の子の名前と私が付けた名前も一緒だったんですよ。漢字も。名前の事なんか一言も言ってなかったので驚いてしまいました。yayosukeのお言葉で少し救われた様な気がします。水子も大事ですが生きてる我が子も大事です。前向きにそしてこれからも心の中に生まれてこれなかった我が子の事を思いながら頑張っていきます。yayosukeさんも頑張ってください。有難うございました。