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墓石を残さず、ゲノムの塩基配列を残す案

自分の先祖の墓石を維持・管理するのは、どういう意味があるのですか?自分のDNAの中に、先祖のDNAの、それぞれの部分が混在して生き続けているわけです。自分がこの世に「存在した証」が必要だとすれば、自分の墓石を残す代わりに、自分のDNAのゲノムの塩基配列を記述して残すとすれば、何か問題がありますか?一族のDNAの共通配列も明瞭になり、先祖と自分と間の親近感(魂の交流?)も増すのではないですか?昔は、DNA・ゲノムのような技術・知見がなかったので、墓石(遺骨など)を残したのではないでしょうか?

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

仏教でも多くの宗教でも、魂の存在の証しとして墓石があります。一つの発想が受け継がれた訳でなく、多発的に生まれたと思われます。つまり自然発生的なものです。 我々は墓の大きさや材質、作りなどによって、過去の人の思いや思想、家に対する気持ちなどに思いを馳せます。ところが人の人生や歴史、功績や恩恵は、人為的な造形物でない遺伝子には記憶されないし、DNAを見ても判りません。 別に何を以って先祖を思い描こうと、捨て去ろうと、それは個人の自由です。 自分の存在をどのうような形で示そうと、それも個人の自由です。しかし守り継がれた事も過去の人の遺志です。

  • kinoie
  • ベストアンサー率61% (13/21)
回答No.3

お墓は精神的なものです 宗教的な考えです 別に嫌なら残さなくても良いですが 自分が今生きているのは 親や先祖が居たからじゃないですか 今のお墓は一般的に名前を彫りますが  あなたの5代前はどこの誰だったか解りますか 日本では系図等は一般人にはありません よほどの家系で無い限り 寺に過去帳が残っているくらいが普通 それならなぜ高い金をかけて人は墓を造るの? 良くも悪くもあなたはあなたの両親から生まれたはず 浄土真宗では仏壇は現世と浄土との門みたいなもので その前で手を合わせる事により 死んだ先祖を思い出し 感謝する所であると 坊主が言ってました お墓も納骨することにより 土に帰っていくという そんなものです キリスト教では 法事もありません しんだら終わりって事です 私も浄土真宗の家に生まれましたが あの世や浄土があるとは思っていません この世には多くの地獄や極楽はあるように思いますが でも 先祖を(一番近い先祖両親)大事にしたり 死後思いだして色々思い返すのは悪いことではないと思います。 一般人のDNAを墓に埋めても何の役にも立たないと思いますが

dsu323
質問者

お礼

仏壇を共同生活の学生寮に持ち込むのも問題だし、引越しのたびに、お坊さんも代わり、苦労します。お坊さんが、ゲノムから推論した内容を講釈してくれるような宗教に代わる必要は無いですか?つまり、釈迦の悟りを、先祖代々のDNAの視点から、現代風に説法したらどうかという提案です。いわば、仏教の僧侶システムの産業革命が必要な時代では?

  • lovesens
  • ベストアンサー率30% (48/158)
回答No.2

お若い方ですか? 私の考えですが、葬式もお墓も故人を偲び、残された人を慰めるもんです。 ゲノムで故人を偲べるのであればそれもありだと思いますが、難しいでしょうね。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.1

案は案として、それでよければ勝手にどうぞ…というところですね。 遺骨の処理さえちゃんとすれば問題もないでしょう。 ただ、生物化学を勉強してきた僕ですが、塩基配列を残す意味はまったく分かりません。 モニュメントとしてお墓のほうがよっぽど分かりやすいです。 まぁ個人の価値観の相違ですね。 でも、“個人”と言いましたが、少なくとも確認の取れる範囲の親族に、そのようなことをしていいのか、確認を取る必要があると思います。

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