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設計者は神ではない、そして、経営者も

設計者はフールセイフ位は考える所も有るようですが、 クレージーセイフまで考える所は無いでしょう、経営者に せかされますからね、売れる物を作れと、結果として リコール、事故がたえませんね、神と錯覚しているんですかね お客様は神様だ、は、南春雄だけですね、ほんとに 皆さんの意見をお待ちしています

質問者が選んだベストアンサー

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noname#155097
noname#155097
回答No.4

先日、がちゃがちゃのおつり排出口に 手を突っ込んで無理やり引き抜いて 指を切断した子供さんがいましたね。 昔は、子供が悪い。 ちゃんとみていなかった親が悪い。のですが、 最近では、切れるような造りになっているのが 悪いといわれる時代です。 アメリカではマクドの食い過ぎで成人病になったと 訴訟がありましたが、どうなったのでしょうね。 マクドのコーヒーが熱すぎて大やけどをしたから とン億円の賠償命令がでた裁判もありました。 日本でもそんな時代がくるのでしょうか。 設計者には神のごとく最善の設計が求められる。 そんな時代なのでしょう。

noname#85957
質問者

お礼

回答有難うございます、訴訟時代かもしれませんね まあ、アメリカは特別でしょうけど、日本にも同じような やからが増えて来ているのかも知れません、設計はパート パートでやる時代でしょうから統括した時の審査が大事 ですね、システム全体を見渡すのは不可能に近くなって 来ているのでは無いでしょうか、頭のいる仕事だと思います 素人ながら思います、経営者も分からないでしょう、売れ筋と来たら 尚更でしょう、難しい時代に入ったものですね

その他の回答 (5)

  • MVX250F001
  • ベストアンサー率19% (700/3519)
回答No.6

モノによりけりだと思いますがね 業務機とか専門家しか基本的に扱わないモノであればそこまでする必要はないと思いますが、家庭用であればなるべくクレージーセーフまでも考慮すべきだと思います 以前家庭用シュレッダーで子供が指を切断してしまう事故がありましたが、法的にはメーカー側の責任はなく保護者側の責任だとしても結局被害を被るのは子供です 設計者も経営者も責任ではなく良心としてフールセイフは考慮してほしいと思います

noname#85957
質問者

お礼

回答有難うございました

noname#88423
noname#88423
回答No.5

質問者様に同意します。 マニュアル通りとは違う方法で物を扱い、楽しむところに 昔から文化や創造性が発生します。 昨今ではあらかじめ用意されたオプションをポン付けして 「カスタム」なんて言って喜んでいる人が少なくないですが、 その一方で正規の使い方でない遊びを開拓する欲求も尽きません。 自動車から文房具まで、妙なことの達人はたくさんおられます。 法的責任と「想定された使い方」とにがんじがらめなプロダクト ばかりの現在、メーカーにはクレイジーセーフに臆病にならずに、 ユーザーがリスクある程度負ってでもカスタムできる楽しさを 残したモノ創りをしてもらいたいですね。 法的責任は「このビニールを破ったら自己責任」とか 「ここから先に指突っ込んだら自己責任」の表記で十分であると みなされる社会のために、悪質クレーマーなど駆逐したいものです。

noname#85957
質問者

お礼

回答有難うございました

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.3

事故が多くても売れるからです 経営者は売れるものを企画します 設計者は設計条件にしたがって設計をします 誰も買わないものを作りません 買う側も賢くならないといけません

noname#85957
質問者

お礼

そうですか、騙しは無い方がいいですね 回答有難うございました

noname#140045
noname#140045
回答No.2

フールセイフ ==> フェイルセーフ? > リコール、事故がたえませんね リスク管理ができていないだけでは? こんなの何度も起こしていたら相当な損害額になるはず。 (当然、株主代表訴訟も覚悟しなければいけません) もちろん、倒産してもおかしくないし。

noname#85957
質問者

お礼

馬鹿でも大丈夫と言う意味でフールセイフとしました 回答有難うございました

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

ウソ書かないように ・お客様は神様だ、は、(誤)南春雄 三波 春夫(みなみ はるお、1923年7月19日 - 2001年4月14日、本名・北詰文司) は、新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の大衆歌謡の歌手。紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。 1939年、16歳の時に浪曲師・南條 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。1944年に陸軍入隊し、満州に渡る。敗戦を満州で迎える。 敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。三波は、「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難していた。後に日本を守る国民会議(現・日本会議)の代表委員となるなど、反共主義運動を展開。1949年9月、帰国。浪曲師として復帰し、活躍した。1957年6月、芸名を「三波春夫」と改めて歌謡界へデビュー。

noname#85957
質問者

お礼

間違い指摘、有難うございます、以後気をつけます

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