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外人への神風の簡単な説明
こんにちは、私は今北欧に留学していて現地の高校で今歴史の授業を取っています。 前回WW2についての授業のとき先生にKAMIKAZEはなぜ存在したのか、彼らは狂っていたのか、自爆テロなのか?と質問されました。 恥ずかしいながら私はこのことを簡潔に説明できるまで深く考えたことがそれまでなく、「武士道の常に死に向かい生きる侍(日本軍)の信念と天皇を宗教のように神と崇めていたからこそ神風はあったが、もちろん皆死ぬのが恐ろしいと思っていた。これは苦肉の策なのだ。」と説明しました。 しかし自分でこの説明では全く不十分で分かりにくいと思います。 そこで、また海外でこのような質問をされた時どのように説明したら簡潔な回答ができるでしょうか。参考にしたいので思ったことを描いてくれたら嬉しいです。
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特攻を「武士道」と結びつけて説明するのは牽強付会です。 質問者さんの説明の中で「これは苦肉の策なのだ」とありますが、これがキーワードです。 最初にまとめますと 「通常攻撃でも戦果ゼロ、帰還機ゼロというのが現状であった。その中で『特攻』というのは戦果を期待できるそれなりに合理的な戦法であった。日本軍の指揮官の中には、特攻隊を送り出した責任を取って、終戦後に自ら命を絶った人も多い。特攻隊で戦死した人たちは、国家のためというより「愛する者のため」に死ぬと気持ちを整理して死んでいったようだ」 となるでしょうか。 順序だてて説明するとすれば、下記のようになるでしょうか。 1) 特攻が始めて行われたレイテ沖海戦当時、既にアメリカ軍の戦力は圧倒的であり、アメリカ軍に対して「特攻でない普通の攻撃隊」を出しても生還者はほぼゼロ、戦果もほぼゼロという絶望的な状況。 「台湾沖航空戦」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B2%96%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%88%A6 が好例です。 日本はこの「航空戦」に比較的練度の高い搭乗員を投入しましたが 参加1,200機、損害300機以上 戦果:小型空母2隻大破、1隻小破 に終わりました。 2) 急降下爆撃のためにはある程度の高度から敵に接近し、「エアプレーキ」をかけて失速寸前までスピードを落とさねばなりません。高度をとって敵に接近すればレーダーで探知されて敵戦闘機に叩き落されてしまいますし、ようやく敵の上空にたどり着いても、急降下爆撃の体制に入る前に撃墜される飛行機が多かったようです。 敵に体当たりする特攻であれば、海面を這ってレーダーの探知を避けることが可能です。敵の所在が分かっていれば、敵に事前に知られずに(迎撃体制を取られずに)攻撃することが可能です。 3) レイテ沖海戦での最初の特攻では、決して多くない数の特攻機の攻撃によって、 「米軍護衛空母1隻撃沈、3隻撃破」 という 「大戦果」を収めることが出来ました。 これは、特攻が「苦肉の策」としてそれなりに有効であったことを示します。ただし、残存していた練度の高い搭乗員を投入したから、これだけの戦果が出たということでもあります。 4) レイテ沖海戦以降、「飛べる飛行機は何でも特攻に出ろ」というようなムチャクチャな特攻作戦が行われるようになり、練度の低い搭乗員が送り出されることも多く、特攻の戦果は激減しました。 逆に、教官クラスのベテラン搭乗員を、旧式の機体に乗せて特攻に出すような愚劣極まる特攻も行われました。 下記の本に詳しいです。 「白菊特攻隊―還らざる若鷲たちへの鎮魂譜 (光人社NF文庫)」 永末 千里 (著) ※ 特攻隊員で戦争を生き残った方の著書です。 http://www.amazon.co.jp/dp/4769823630/ また、特攻を拒否し、「夜間攻撃」で一定の戦果を出しつつ終戦を迎えた部隊もありました。 彗星夜襲隊―特攻拒否の異色集団 (光人社NF文庫) 渡辺 洋二 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4769824041/ 3) 特攻に深く関与した将官で、終戦と共に自ら死を選んだ人が何人かいます。 大西瀧治郎 海軍中将 (自決) 宇垣纏 海軍中将 (「最後の特攻機」に同乗して帰らず) こうした将官は、特攻隊員を送り出す時に「お前たちだけを死なせはしない。私もいずれ後を追う」と言い続けた人ですが、それを守ったわけです。 ただし、同じようなことを言って特攻隊を送り出し続けながら、自決もせず戦後に生きながらえて「卑怯者」と現在に記憶されている将官たちもいます。 4) 特攻戦死した人たちは、「生きて帰れない」攻撃に出る前に多くの葛藤を抱えながら出撃して行きました。 「自分が死ぬことで、自分の愛するもの(妻、恋人、父母など)の死を少しでも遅く出来れば」 と自分を納得させて特攻に出た人が多かったようです。 これも、先述した「白菊特攻隊―還らざる若鷲たちへの鎮魂譜 (光人社NF文庫)」に書いてあります。
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- 風車の 弥七(@t87300)
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特攻隊員たちは笑って死んでゆきました。 恐ろしくはなかったのです。 特攻隊は外国人には理解不能です。 何度説明しても無理でした。 絶対に志願して死んでいったのを理解できません。 先生に言った回答で宜しいと思いますよ。
お礼
私自身余り知識が無いのに関わらず特攻隊をそこまで変だと思わないのは やはり同じ日本で生まれ育ち様々な日本文化に囲まれて生きてきたからでしょうね。 海外にある程度長くいると自国と西洋の心から「違う」と思う部分が少なくなってきていましたが、特攻隊員さん達の例はこれにことごとく当てはまります。 回答ありがとうございました。
- leman
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そうですね。自分ならば「日本には武士道を具体的に示した。”葉隠れ”という本がある。これを見れば答えが見つかります。」というでしょうね。 色々言葉で説明するよりかはこっちの方が簡単かもしれない。現地語訳の本があるかどうかはさすがに判らないですが英訳本くらいならば見つかるはずです。
お礼
葉隠れと検索したらそれらしき本がいくつも見つかりました。読んでおいて損はないので一冊読んでみようと思います、ありがとうございました。
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お礼
順序だった分かりやすい説明ありがとうございます! かなり自分の中で特攻隊の整理ができてきました。 戦争とは恐ろしいですね。特攻隊が合法で飛び回る。。沢山の人がつらい思いをしたと思います。 でももしこの時代特攻隊がなく米軍に破竹の勢いでどんどん侵略されていたら今の時代日本はどうなっていたのだろうかとも思ってしまいます。 回答ありがとうございました