- ベストアンサー
日本の教科書問題と対立: マクロとミクロの使い分け
- 日本の教科書が他の国によって捏造され、国民の誇りを奪われる教育が行われていることにショックを感じています。
- 竹島問題をめぐる対立について、国と政府の対立と個人同士の対立という二つの視点で考える必要があります。
- 韓国政府に対する怒りが沸点に達しているが、個人としての韓国人を嫌うべきかについては議論の余地があると思います。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「無知の知」と言う言葉があります。 自分が知らない言うことを知っている人は、立派な知恵を持っていると言う意味です。 「無知」と言うところからスタートするなら、最低でも100冊の本を読むところからスタートしてください。 本を読めば、思考過程が鍛えられ、自分で結論が出せるようになります。『結論を人に聞く』と言うのは、無知を認識している人の取る態度ではありません。 尚、韓国や中国の教科書(翻訳版でもよい)を見て、日本の教科書見れば、日本の教科書が韓国や中国に、捏造されたものでないことはすぐに分かります。これらの国のものと、編集方針が全く違っています。 また、「日本に誇りをもてないようにする教育」は日本の教科書から排除されています。何か勘違いされていると思います。 また付け加えると、「日本に誇りをもたすような教育」も排除されています。この事をもって、「日本に誇りをもてないようにする教育」がされていると勘違いされているのではないでしょうか。 日本人が過去に行った成功や失敗の蓄積を知った上で、それに誇りを持つかどうかは、個人の判断によるものです。 結論は、『自分で考える』というのが、教育の基本なのです。 <最初に戻って> 先ずは、図書館に一年位は通って、教科書の元の記述にはどのようなベースがあるのか、日本と韓国の関係を古代の歴史の始まりに戻って、見ていってください。(当然、それぞれの本の著者には歴史の捉え方の違いなど、考え方の違いがありますから、過去の経歴・著書などでその考え方・どのような立場で書かれているか、チェックしてください。) 歴史の一般的教科書について、私の個人的意見ですが、限られた分量の中で歴史を記載しているために、多くの細かな事情が欠落しているものの、起こった主要な事例は、ほぼ客観的に記述されています。 特に客観性を重視し、善悪や誇り・屈辱などの個人的観念・感情が入り込まないようにしています。 将来、教科書以上のレベルまで、歴史認識を深めていくことを前提にすれば、ベストの編集方針であると思います。教科書のレベルの欠落した情報で、歴史に結論を出さないようにできています。 しかし、このことによって、面白味のない無味乾燥したものになって、歴史嫌いの子が増えそうなのもまた事実と思いますが。
お礼
客観性を重視、ですか… 最初に改めてもどってみようと思います。 ありがとうございました。 自力で、学ぶ事が大切なんですね。 本もできる限り呼んでみます。 本当に、ありがとうございました。