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学力は勉強すれば誰でも上がると思いますか?

学力は勉強すれば誰でも上がりますか? それとも、ある程度までは上がるけども、そこからは才能の差が出ますか?

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  • henmiguei
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回答No.14

「継続は力なり」と言う言葉をご存知ですか 「努力に勝る天才なし」と言う言葉もご存知でしょう 勉強すれば誰でも成績が上がるし おいおいと努力の仕方も効率的になってきます 大学へ入ったときには微分積分がさっぱりわからず ましてや偏微分など思いも寄らなかったですが 1年生の夏休みに兎に角解ってもわからなくても 問題集を数多くやりました おかげで卒業時には研究室の助手と対等に 量子力学やアインシュタイン物理に付いて 議論が出来るようになっていました 何も考えずにしゃにむにやってみることが肝要です。

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noname#184449
noname#184449
回答No.13

結論から言えば 学力は勉強すればするほど上がります。間違いありません。 ただし、個人差があるのは当然で、同じ勉強をしても100点取れる人もいれば70点しか取れない人もいます。 その30点の差が「個人差」です。 であれば、その30点差を埋める為にまた勉強すればいいのです。 そうして勉強する内に学力は向上していきます。 勿論、その30点差がいつ埋まるかはわかりません。 明日埋まるかも知れませんし、卒業するまで埋まらないかも知れません。 しかし、その過程で身に付いた学力(知識)は決して無駄にはなりません。 この世で「やればやるほど身になる(成果が出る)」のは学力だけです。 社会に出ると生産業以外は「やってもやっても成果が出ない」事も珍しくありません。(特に営業職) しかし、そこで「諦めてしまう人間」と「創意工夫してもう一踏ん張りできる人間」とでは、やっぱり差が出るんですよ。 「努力した人間が全て報われるとは限らない。しかし、成功した人間は必ず努力している」 私が以前読んだ漫画の中に出てきたセリフです。

回答No.12

>学力は勉強すれば誰でも上がりますか? もちろん、(継続して)勉強すれば誰でも学力は上がります。 ただ、ある分野での第一人者になりたいとか、トップになりたいなど 極めるには勉強などの努力の他に、優れた才能が必要になってくるの ではないでしょうか。 普通に大学を卒業するくらいなら、勉強を継続してれば良いと思います。 極端な話、東大でも人数制限がなければ(例えばこれ以上の点数の人は みんな合格みたいな)、努力で誰でも合格するのではないでしょうか。 実際は人数制限がありそこに競走が生まれるてるので、人よりより努力 した人、才能がある人が合格するのかな?と。 基本的に、勉強すれば学力は上がると思います。

  • ye11ow
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回答No.11

身体能力を競うスポーツでの例になりますが、 100メートルを5秒で走れる人はいません。 人類が進化したら、どうなるかは分かりませんが、 現実的に、身体能力には限界があるといえます。 また、完璧なトレーニングをしたところで、 誰もが9秒台で走れるわけでもありません。 能力の限界には個人差があるのだといえます。 同じトレーニングをしても上達度は人それぞれでしょう。 知的能力についても、似たようなことが言えるのだと思います。 能力の限界は人によって異なります。 ある人が、自分の限界にまったく達していないようなことに関して、 適切なトレーニングをすれば、容易に能力は向上させられるでしょう。 やがて限界に近づけば、向上度が鈍ってくることでしょう。 一旦向上度が鈍ってきたとしても、トレーニング法の調整などで、 スランプを抜け、再び向上していけるということもあるかもしれません。 ところで、 「限界」という言葉は、「やらない」「やめる」言い訳としてよく使われます。 「限界に達した」という勘違いをすることにより、 「やらない」「やめる」という結果が導かれることもあります。 それらのような「主観的限界」は、本当の限界ではありません。 どうせ「主観的な限界」を持つのであれば、 心理的な自己制限とならないないような、 自己の能力向上に寄与するような、ポジティブな限界の意識を持ちたいものです。 夢を持ち生き生きとしている人は、普段限界をあまり意識していません。

noname#140045
noname#140045
回答No.10

当然のこととして、すべての人間は同じでなく、すべてにおいて「差」があります。 ですから当然「上限下限」があり、また個人差があります。 しかし、差はそれだけでなく、環境(塾に行くとか)や勉強の方法でもかなり違いはあるでしょう。 特に日本人は努力することを目的にしますが、楽しんで覚えることも大切な要素でしょう。 そうは言っても私の好きな言葉に「限界は自分で作るもの」と言うのがあります。 自分で駄目だと判断した時点で、それがその人の限界なのです。 なので、諦めなければ人間ある程度まではなれると思います。 (そうは言っても、頭の良い人は本当に何でもすぐに覚えちゃいますけどね)

回答No.9

>学力は勉強すれば誰でも上がると思いますか? 残念ながら・・・ 話を拡大すると勉強すれば「誰でも東大」「誰でも司法試験合格」「誰でも囲碁のプロ」等々、努力すれば夢がかなうことになりますが、その努力を出来るかどうかが実は才能で、やはり才能と言いますか、個人の向き不向きの差は大きいと思います。

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.8

私は旅先で《習ってないからわからない》という 子どもたちに出会ってガックリしたことがあります。 記憶力を大事にするか、思考力を大事にするか。 後者は未知のことに対しても妥当な判断ができますが 前者は未知のことにはお手上げ状態になってしまいます。 アナタさまのいう学力とは前者が主体なのでしょうか。 以下、参考まで: Le talent est une longue patience. 才能は長い忍耐である。 〔 Georges Louis Leclerc Buffon 伯爵 博物学者 〕 才能とはきびしい訓練に耐える心である。 〔 團 伊久磨 作曲家〕 天才とは、絶え間なく努力を続けられる人間である。    〔 エルバード・ハワード 作家 〕 誰よりも、三倍・四倍・五倍勉強する者、それが天才だ。     〔 野口英世  医学博士 〕 才能とは努力のこと。努力の出来る人が才能がある人なんだ。     〔 浅利慶太 演出家 〕 われわれ人間には、まだまだ3分の2の潜在能力がある。 それを掘り起こした者が天才であり、眠らせて終るのが凡人だ。     〔 勝沼精造 解剖学者 〕 自分の才能を疑い出すことは、それ自体才能の現れである。 凡人は才能を疑うなんてことを発想すらしない。     〔 Ernst Theodor Amadeaus Hoffmann 作家 〕

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.7

学力は知識と思考力です。 勉強時間を費やして、上がる科目と上がりにくい科目がありますが、全く学力が上がらない科目は存在しません。 才能は一種の特徴で、特定分野において、個人毎に長短が有ります。 大学受験までの学力程度のことであれば、努力の影響が才能を遥かに上回りますので、強いて学力に才能が必要だとすれば、勉強に努力する才能でしょう。 でも「勉強に努力する才能が無い」なんて言うのは、単にヤル気が無いという言い訳です。 個人に合致した効率的な方法で勉強すれば、誰でも東大に入れる可能性は充分にあると思います。

  • MVX250F001
  • ベストアンサー率19% (700/3519)
回答No.6

効率のある努力をすれば今の自分よりは向上できるでしょう しかし他人と比べるのであれば、どんなに努力したとしても越えられない壁はあります

  • taunamlz
  • ベストアンサー率20% (175/843)
回答No.5

パソコンが自動で出来る事は勉強すれば覚えることが出来る。 しかし、パソコンが自動で出来ない事(翻訳とか作曲とか)はある種の特別な力が必要だと思う。

noname#81935
noname#81935
回答No.4

ある程度まで上がるのにも才能がいります。それ以上なら尚更。

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