• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分を客観視することはもろ刃の剣ではないでしょうか。)

自分を客観視することはもろ刃の剣ではないでしょうか

このQ&Aのポイント
  • 客観性に対する疑問が強くなってきました。
  • うつ病の原因は自分を客観視した結果ではないですか。
  • 主観が客観を気取る事は、実のところ自作自演のひとり芝居であり、自分を置き去りにする行為ではないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#194289
noname#194289
回答No.11

kaitara1ですがお礼をいただいて、他の方がご指摘になっていることと重なるところが多いと思いますが、お書きになった文に即して改めて書かせていただきます。  まず自分を客観視するというのは自分を認識の対象にするということでしょうか。「客観とは自分自身を分析したり、評価したり、あるべき自分を想定したりすることを指す」とおっしゃっているところを私はこのように理解しました。 「私たちは常に「私」を客観視しますが…」とおっしゃっているときの私というのは実は実体がないものではないでしょうか。「・・・、客観とはいえ見ているのは自分ですからどこまで行っても主観です。」とおっしゃっている意味は認識の対象になっている自分と思われている自分が実は認識の主体であったということだろうと思います。 「主観が客観を気取る事は、・・・」とおっしゃっているところは認識主体である自分は認識の対象にならないにも関わらず認識できたと錯覚することというような意味に思えます。どのような対象であり認識するということは「・・・実のところ自作自演のひとり芝居であり、…」だろうと思います。数学的な法則さえも理解している人の主観でしかないのですから。またかなり重要なのは「・・・自分を置き去りにする行為」というのは認識主体である自分以外のものは認識の対象になり得るという意味ではないかと思いました。もしかしたらうつ病というのは認識できないはずの自分を認識の対象にできると錯覚した結果、場合によっては陥る状態なのかもしれないと思いました。「・・・客観はもろ刃の剣ではないでしょうか。」というご指摘もこのことにつながるのではないかと考えました。つまり認識の対象にしてはいけない”自分(私)”を対象にしてしまうということです。「…私たちは常に「私」を客観視しますが・・・」というところについて、普通言っている私というのは私の体であり、名前であり財産であり名誉でありというように認識主体である自分のことではありません。むしろうつ病はこのような自分そのものではないものを自分と間違えることとも関係があるように思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほどです。 私という存在について「ある」のか「ない」のか。 ここら辺の認識を詰めていくと面白いかもしれませんね。 「私」というものの存在のしかたに関わるのもしれません。 勉強させていただきました。

その他の回答 (11)

回答No.1

客観視は自己分析には最適だと考えます。 しかしながら、そこから何かを生み出そうと考えない人には意味の無いことです。 うつ病になるならないは知りませんが、それは自身への客観視が問題ではなく、 客観視した後にデメリットだけを考え悲観したり、自己防衛の為に 逃げる考えが原因ではないでしょうか。 なので私個人としては、デメリットしか見れず、また、それを悲観ばかり するような人は、自身の客観視は諸刃の剣と考えます。 因みに私は客観などせずとも、仕事で理不尽に酷使され、生きている意味を なくせばうつになります。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 客観というのは一つの道具ですから、それをどう使うかで運命の分かれ道が決まると思います。 私たちが無意識に使うこの客観というものを意識して、それがどのような結果になるかを理解しておくことは重要だと思います。

関連するQ&A