「社会人特別選抜」など、社会人でも「学位」が取れるチャンスが、もう10数年前から実施されています。
よって、働きながら物理学者になれるかと言うと、可能性はあります。
能力はあっても、金銭的、時間的、地理的な問題が大きく絡んでくるので、現実問題、能力以外のところで可能性はズンッ!と落ちます。
仕事自体が物理に関係しているものであれば、より可能性は高くなるけど、まったく違う分野の仕事であると、かなり困難か、不可です。
学者ともなると、起きている時間のほとんどをその学問に時間を費やすのが普通です。
まぁ、中には大変天才がおられて、遊んでいても学者としての才能を出す方もおられますが、稀です。
夢の中でまで研究されている方もおられます。
ただ、間違った認識をされると困りますが、「学者」と言うのは、「学歴」とは違い、賢いからなれるとは限らないし、賢くてもなれるものではありません。
「運」が大変大きな要素を持っているのも事実です。
学者は、世間に「功績」を認めてもらってなれる(実際は少し違うけど)ものであるので、その功績をどうやって認めてもらう舞台を作るか。舞台ができても、どうやってその舞台を見に来てもらうか。見に来てもらっても、どうやって理解してもらうか。理解してもらっても、評価してくれるのか。
この「評価」が一番難しいところです。
「骨董の壷」と同じで、受け入れてくれる人が多ければ価値は上がりますが、仮にすばらしいものでも、時期や人気で二束三文になります。
「学術評価」も似たところがあって、隙間を突いて出てきたような内容に人々の注目が集まると、高くなる「傾向」があります。(あくまで「傾向がある」だけで、本当の評価は厳しく行われます)
でも、世間から評価してもらえるような功績を残すためには、やはり専門の道にドップリと浸かることをしないと難しいでしょう。
じみちな努力の積み重ねが、功績へと繋がるわけで、時間がかかるものです。
1日が24時間あっても足りないと言う方が多いですから。